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【ショートエッセー 神戸新聞文芸202409】復習で青春を ※落選作

 母校の同窓会主催の講演会に出かけた。この手の講演会に出るのは初めてだったが、それは、講演者が大学時代のクラスメートだったからだ。配属された研究室も同じ無機化学だったから、なおのことである。ある国立大学の教授になっていて、研究室の同期では出世頭である。

 一方、大学を卒業してから二十六年、流れ流れて今は鍼灸師をしているわたしは、すっかり化学の素人になってしまっている。情けないことだが、今、母校の大学入試を解かせたらほとんどできない自信がある。卒後の化学との関わりは、せいぜい、新聞雑誌に載っている化学の記事や、数年に一度くらい市販の科学雑誌を買って化学に関するトピックスを読む程度である。

「コヒーレント光」、「ボーズ・アインシュタイン凝縮」とか「スケルタル結晶(骸晶)」なんて専門用語を久しぶりに聞いて、ああ、聞いたことがあるけれど、何だったっけ、と講義ノートをとりながらパニックの連続だった。これから数ヶ月かけて、ゆっくり復習したい。

 だが、パニックになりつつ、不思議な幸福感があったのも事実だ。『論語』に「朋有り遠方より来る、また楽しからずや」、「学びて時にこれを習う、また説ばしからずや」と書いてあった意味が分かったような気がしたからである。

 何十年も会っていないクラスメートと会ったり、何十年も勉強していなかったことを再び勉強したりしている間、青春時代に戻れる。死という想念を、一時でも忘れられる。

 若いときに勉強をしておいた方がいいのは、いい学校に入るため、いい収入を得るためという実利的な目的もあるかもしれないが、本当は、年がいってから復習するたびに若さを取り戻せるからなのだ。

 若いうちは、若いときにしっかり勉強しておくことの効能に気づかない。実際に若いからというのもあるし、学校が受験や就職の予備校のようになってきているのもあるのかもしれない。しかし、若さを失って青春時代特有の素晴らしさに気づいたとき(自己否定や自己破壊の衝動に悩まされた青春時代に戻りたいとは決して思わないが)、若いときに勉強していたかどうかで、年をとったときに人生の精神面で大きな差が出るように思う。

 「そんなこと言われても、自分は学生時代勉強しなかった」と嘆く方もおられるかもしれない。心配無用である。胸を張って言うことではまったくないが、わたし自身がそうだった。理系志望だったわたしは国語をろくに勉強してこなかった。そのうらみで、古今集や中国の古典など、現代語訳つきでないと絶対に読めないし、国語の資料集だった「国語便覧」などいまだに重宝する。そうして時間のあるとき、国語便覧を適当に開いて眺めながら、ひとり青春時代のやり残しをしているのである――ところで、試すわけではありませんが、六歌仙、誰だか答えられますか?

(終わり)

※本作品の著作権は本木晋平にあります。無断での引用・複製・転載を禁じます。

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