【小説 神戸新聞文芸202501】倹約家の饗応 ※落選作
万寿から長元に元号が変わる頃、すなわち万寿五年、長元元年の暮れのことでございます。わたしは越前守の藤原為盛(ふじわらのためもり)さまの視察で越前国におりました。冬の越前国は格別です。雪が降ると一面ほの暗くなりますが、晴れているときは格別な世界です。海は青く美しく広がり、雪の積もった山々は精錬されたばかりの銀のように輝きます。冷たい強風には閉口しましたが。
為盛さまは年齢もお立場もわたしよりずっと上なのに、久しく会っていない親戚のように温かく迎えてくださいました。こちらの風体を舐め回すように検める横柄で無礼な役人の多い中、為盛さまはただ者ではない、さすが北陸の要衝を任されるだけのことはあると密かに感心しました。
「長旅でお疲れでしょう。食事を準備しました。さあどうぞ」
食事は驚くほど質素でしたが、どれも美味しく、腹も膨れます。酒が美味いせいもあったのだと思います。酔いが回っていい気分になった頃、為盛さまが口を開きました。
「今でこそやっと落ち着きましたが、任官当初は大変だったんですよ」
そうして、次のような話をしてくれました。
六月の暑いさなかです。六衛府の官人・下人たちが邸に押しかけ、うちの門前に天幕を張って座り込みました。大粮米(だいろうのよね)の不進――要は給料未払いに対する抗議行動ですね。そうは言っても、こちらは越前国に入ったばかりな上、先年の旱魃で不作だったため、彼らに支給する米はありません。
座り込みは夜明け前から始まりましたが、昼過ぎになってもいっこうに帰りません。米をもらうまでは帰らないという強い決意を感じました。無理もないと同情しつつも、門を出ることもままならないので仕事になりません。
そこで、最年長の部下を使いにやって、座り込み運動をしている首領格の者だけ邸に入れることにしました。いちどきに全員入れてしまうと、邸で暴れられたりでもしたら収拾がつかなくなってしまい ますからね。
「暑い中、喉も渇いて大変なことと存じます。それに、お昼過ぎでおなかも空いておられましょう。左右近衛府のお役人と舎人の方だけですが、お入りください。兵衛府・衛門府のお役人の方は、第一陣が終わり次第、順次ご案内いたしますのでしばらくお待ちください」
中門の北の廊下に、長いむしろを東西向かい合わせに三間ほど敷き、中机を二三十ばかり向き合わせて並べました。そこに、干鯛の短冊切りの盛り合わせ、塩引き鮭の切り身、鯵の塩辛、鯛の醤など、とにかく塩辛いものを並べました。果物は、よく熟して紫色になったスモモを大きな春日盆に載せて出しました。食べれば口の中の水分が持っていかれるものばかりです。
わたしは物陰から、尾張兼時(おわりのかねとき)、下野敦行(しもつけのあつゆき)などの名の知られた舎人(下級役人)が、訝しげに塩辛いものをつついているのを見ておりました。ほどなく、もう水でも酒でも、何なら泥水や小便でも、液体が飲めるなら魂の一つや二つ売り飛ばすという顔になってきたので、若い衆に命じて古い酒を運ばせました――強力な下剤である朝顔の種をすり入れた、少し酸っぱい酒です。
連中は、杯を顔に近づけるたび、そして酒に口をつけるたびに顔を顰めます。怪しい、何かあるなと思ったのでしょうね。そうは言っても、喉がひどく渇く中、酒しか飲むものがないとなれば、がぶ飲みするしかありません。惚れ惚れするような飲みっぷりでした。
杯の動き落ち着いてきたころ、わたしは彼らの前に姿を見せました。そうして、給料の米を支給したいのは山々だが、先年の旱魃でひどい凶作で米はほとんど徴収できず、そのわずかな米も京のお上に納めてしまったので、みなさんに支給する分どころかわたし自身の食い扶持もないありさまで、幼い娘も空腹に泣いて暮らしている始末、よほど前世の行いが悪かったのだろう、長らく不遇をかこって、やっと越前盛りに任官されたと喜んでいたらこの有様だ、と涙を流しながら頭を下げました。
舎人たちは事情を察してくれたものの、向こうも家族があり生活がかかっているので引き下がりません。他国から前借りするなどして米を融通できないか、越前国で旱魃が起きたことは我々も承知しているが全国で起こったわけではない、余った米を備蓄している国もあるのではないか――そんなことを陳情する舎人たちの腹が鳴っているのを、わたしは聞き逃しませんでした。
彼らの顔はみるみる紫色になっていきます。大の大人が、めいめい上体を頻りに揺すって便意に堪えているのはなかなか見られるものではないと静観していましたが、そのうち、有無を言わさぬお通じに耐えられなくなったのか、一人がちょっと失礼と言って表に駆け出しました。そうなるともう止まりません、我も我もと立ち上がっては門まで走っていきました。厠がどこにあるかは知らせていませんでしたし、だいたい門の反対側ですしね。
せっかくのお食事中にこんな話をしてしまい恐縮です、これ以上のことはご想像にお任せしますが、なかなか見られるものではない光景が展開されたということだけお伝えしておきましょうか。
第二陣にも同じ目にあわせたかったのですが、ほうほうの体で門から出てきた第一陣の惨状に恐れをなしたか、蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。韓信や孔明でもここまで上手くはできなかっただろうと、それはもう、痛快でしたよ。
「それはまた、大変なご経験を」
「それからはもう、天下一のけち、歩く倹約、越前朝顔、藤原毒盛と、さんざんな呼ばれようです。でも、自分のことしか考えられないのかと頭ごなしに叱っても部下たちとの関係が悪くなるだけ、塩辛と朝顔の種入り酒は苦肉の策だったのですよ。幸い、今年の収穫は上々で米も滞りなく支給でき、ほっとしています」
「良かったですね。為盛さまのお人柄ゆえの功徳かと」
「功徳どころか仏罰が下るかと冷や冷やしていましたよ――ちょっと炭を足しましょう」
為盛さまと笑いながらも、自分が飲んでいる酒にも朝顔の種をすり入れてあるのかと、気が気ではありませんでした。実際、帰京してからも、どうも腹が落ち着きません。
もしかしたら、質素な酒席を持たせるための作り話だったのかもしれません。為盛さま一流の粋なはからいなのでしょうが、あいにくわたしには刺激が強すぎました。くそ。
(終わり)
【筆者注(参考文献)】『今昔物語集』巻二十八「越前守為盛付六衛府官人語第五」
ゑつぜんのかめためもりにつくろくゑふのくわんにんのこと だいご
を参考にした創作です。
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