見出し画像

オーストラリア雑学ノート(1)

10月のオーストラリア雑感


生き物観察に適したシーズン

 今日から10月。

 僕が頻繁に訪れているオーストラリアは春から初夏に向かおうという時期で、個人的には一番好きなシーズン。オーストラリアは国自体がひとつの大陸と言うほど広大なので、場所によってこの時期もさまざまな表情を見せてくれる。北部は乾季が終わりに近づき、雨の心配は無くとも肌では少しずつ湿気を感じるようになる。乾季の間は風が強く吹くことも多いけれど、10月に入ると風も止みだし海は穏やか。外に飛び出さずにはいられない、そんな気持ちになる頃だ。南部ではいろいろなワイルドフラワーが満開になっていて、特に西オーストラリアのパース以南はワイルドフラワー観察に適した季節となる。そして……オーストラリアの春告花である紫色の花を咲かせるジャガランダの開花エリアが、桜前線よろしく日ごと南下をしていく。

 もうすぐ夏がやってくることを、自然の中の生き物たちも感じ始める。10月に入ると活発に活動を始め、冬の間目にすることが少なかった昆虫たちも人前に出てくることも多くなる。特に北部ではカラカラに乾燥した大地にうんざりして、
「そろそろ雨よ、やってこーい!」
 と昆虫も動物も植物も、願う頃だと思う。
 オーストラリアの生き物といえばコアラやカンガルー、ウォンバット、最近ではクォッカなどを思い浮かべてしまうけれど、それ以外にもユニークな生き物がたくさん生息している。そうした生き物観察に適した季節の始まり――それが10月だ。

オーストラリア北部に生きる珍昆虫

画像1

《右上がナマラゴン》

 オーストラリア北部ノーザンテリトリーの一角にある世界遺産カカドゥ国立公園。ヴァンディーメンズ湾へと注ぐアリゲーターリバー周辺の湿原や森、そしてエスケープメントと呼ばれる断崖絶壁、そこに生息する数多くの生き物……オーストラリアの原風景の自然が残る貴重な場所だ。さらに4万年以上前の人の生活の痕跡が残り、先住民アボリジニが伝承のために描いたと思われる壁画が数多く残るなど、オーストラリア先住民文化を知る上でも重要な場所。世界遺産の中でも、特に希少な世界複合遺産に登録されている場所だ(現在世界中で複合遺産登録されている場所はわずか39ヵ所だ)。

 カカドゥ国立公園の一角に先住民アボリジニの壁画が多く残るノーランジーロックと呼ばれる岩場がある。壁画は1万年以上前に描かれたものから1970年代に描かれたものまで、描かれた年代もモチーフもさまざま。このことからも、近代までこの地は、先住民アボリジニが自分たちの伝統文化を後世に伝える場として機能していたと容易に想像できる。
 壁画の中で、特に有名なのが巨大なワニの祖であるナマランジョルグNamarandjolgとともに描かれた、雨季の訪れを願い描かれたナマラゴンNamarrgonとその妻バラジンジBarrginj。この壁画はナヨンボルミという先住民芸術家が伝説を元に1960年代に描いたとされている。ナマラゴンは雷男(ライトニングマン)の通称を持ち、彼が雷を起こすとやがて雨季が始まるという言い伝えがある。壁画に描かれたナマラゴンは、どことなく「でんでん太鼓」を背負った日本の雷神のようにも見え、実は日本人観光客には結構人気がある。

画像2

《ノーランジーロックの説明看板に載っていたライカートグラスホッパー》

 あと半月もすると、カカドゥ国立公園では雷鳴が轟くことが多くなり、そして11月を迎えると雨季へと入っていく。先住民アボリジニの伝説によると、ナマラゴンが起こした最初の雷鳴のあと、姿を見せだすのが、ナマラゴンとバラジンジの子供とされるアリジュールAlijurrというバッタ。英語名はライカートグラスホッパーLeichhardt's Grasshopper(学名:Petasida ephippigera)。サウナのような湿度を好み、乾燥に強い低木ピティロディアの葉のみを食料とする、ひじょうに珍しいバッタだ。

 バッタというのは日本人の感覚からすれば、ほかの生き物に見つからないよう葉や木々の色の中に隠れやすい保護色になるのが普通だと思う。しかしライカートグラスホッパーは、まったくその逆。赤橙とでもいう体色に青と黒の模様。一見すると、まるでビニールでできたおもちゃのバッタのような姿だ。
 また後足が退化しており、バッタのくせに飛び跳ねるのが下手。羽があるのにあまり飛び回ることもしないので、行動半径は通常数十メートル。唯一、子孫を残す交尾の時だけ100メートルほど移動するらしい、という変わったバッタだ。体からは、人間にはわからないのだが、ほかの生き物が嫌うニオイを発しているそうで、派手な色をしていても、行動半径が狭くても、大丈夫と言うことなんだろう。

 ライカートグラスホッパーが生息しているのはノーザンテリトリー北部、カカドゥ国立公園のごく狭い地域と、ニトミルク国立公園(キャサリン渓谷)、キープリバー周辺のみ。1845年に一度文献に掲載されながらも、その後約120年にわたって実物が発見されなかったという希少種だ(1973年にやっと見つかる)。

 実は僕はまだ実物を見たことがない。カカドゥ国立公園には何度も行っているのだが、まだ10月後半に訪問したことがないのだ。今年はさすがに行くことはできないのだけれど、来年は行きたい、そしてこの珍昆虫を実際に見てみたい(簡単には見つからないだろうけれども……)、そんなふうに、今は願っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?