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映画「おらおらでひとりいぐも」を見て、母の脳内ワンダーランドが気になった話

今年の4月から毎日、母に電話している。
「ときどき電話する」を、「毎日」に変えた。

こんな事態になってしまって気軽に会いにも行けないし、
「あれ?いつ電話したっけ?」って考えるのが面倒になったので、いっそ毎日電話をかけることにした。
「毎日する」ことにすればうっかり忘れる事は自然になくなるし、1ヵ月もつづければ習慣になる。
詳しくはここに書いた。

母は少しだけ離れたところで一人で暮らしている。

6年前まで、大学で先生をしていたのだけど、今は引退して雑誌に映画評を書いたり、アニソン合唱グループを立ち上げたり、今年は映画評に自伝的エッセイを加えた本を出版したり、パワフルに活動している。

ま、そんな元気な人なので、毎日の電話も大きなお世話と思っている可能性はある。
実際、「はい、いつものね!元気です、じゃーね」って切られることが多いし、「半沢直樹が始まるから」って数秒でブチっと切られたりもする。
ときどき次の本の構想を考えろと言って30分くらいアイデアを考えさせられたり、長さはまちまちなんだけど、考えてみたらこんなに毎日頻繁に母と会話をするのは初めてかもしれない。
母子家庭で、母は毎日夜中まで働きに出ていたので、子どもの頃もあまり一緒にいた記憶がない。

毎日しゃべっていて、ああ今日は元気だな〜とか、今日は落ちてるな〜とか、日々感じることもあって、それなりに電話している意味はあるのかなと思っている。
そして最近は少し元気のない日が増えてきたような気がしていた。

この状況で、合唱の練習もできず、映画評のために試写会に行くのも自粛していて、そりゃ落ち込むだろうし、脱力感や寂しさを感じたりする日もあるんだろうなと、漠然と思っていた。

ただ、週末一本の映画を見て、急に心配が加速した。
一人でいったいどんな時間を毎日過ごしてるんだろう?
いったい毎日どんなことを考えているんだろう。
そんな疑問を抱かせる映画だ。

「おらおらでひとりいぐも」 沖田修一監督の新作だ。

沖田監督の前作「モリのいる場所」は、30年間ほとんど外出せずに自分の家の小さな庭を観察し続けた老画家についての映画で、小さな庭を広大な「宇宙」としてとらえたような映画だと思って見ていた。

今回の「おらおらでひとりいぐも」は、一人の老人についての映画だ。
夫に先立たれ、家族とも疎遠で、一人暮らしをしている75歳の女性を描いた作品。
彼女の脳内をまるで広大な「宇宙」のようにとらえた映画だと思った。

何せ、映画は宇宙の誕生から始まる。
星が生まれ、生命が誕生し、人類へと進化する。
「あれ?別の映画見に来ちゃった?」ってくらいあっけにとられる幕開けだ。

ただ物語はそんなに壮大な話じゃない。
映画は、一人暮らしの桃子さんが、飯食ったり、病院行ったり、図書館行ったり、おやつ食べたり、散歩したり、弁当食べたり、140分間で起きることは、ほぼそれだけ。2時間半近くもあって、ほんとに小さな小さな話を描いている。
そんな彼女が未来に向かって一歩踏み出すの?踏み出さないの?みたいな、そういう話。

登場する人物は主人公の桃子さんと近隣にいるほんの少しの人たちだけ。
友達らしい友達もいないし、家族もほとんど寄りつかず、ときどき何か売りつけにくる人が来たり、図書館や病院でほんのすこし会話がかわされるだけ。
なんという孤独な世界なんだ…。

そう書くと静かで地味な映画なようだけど、全然地味じゃない。
どちらかというと、にぎやかで、騒がしくて、楽しい映画だ。

何がにぎやかかというと、脳内がにぎやかなのだ。
桃子さんの脳内では、彼女の思考がつねににぎやかに騒ぎ続けている。
「寂しさ」とか「どうせ」といった概念が、「おじさん」の形になって現れて常に彼女の回りをうろうろしている。
そいつらが歌ったり、踊ったり、いたずらしたり。
ただの老人の何でもない日常を描いているだけなのに、これがめちゃくちゃ面白いのだ。
「寂しさ」といった概念だけじゃなくて、過去の自分や、死んだはずの人たちが現れたり、そこに桃子さんの妄想が加わって突然ミュージカルになったり、過去の迷宮に迷い込んでしまったり、神様が現れたり、医者が猿だったり、しまいにはマンモスまで飛び出してきて、わけがわからない映画だ。
まるで宇宙のように広大な脳内ワンダーランド。

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パンフレットからしてこれだ。

マンモス…。もう何の映画だかわからない。
(大島依提亜によるかっちょいいデザイン最高!)

ただそうやってにぎやかにしていればいるほど、現実の寂しさが際立つようでもあって、なかなかきついものを突きつけてくる映画だと思った。

このどうしようもない寂しさ…どうしても自分の親について考えてしまう。
74歳、一人暮らし。
この主人公に重なる。
特に今はこんな状況で、気軽に人にも会えないし、行く場所も制限されてしまう。元気にふるまっていても、相当参っているのではないか。
そして母の脳内ワンダーランドは大変なことになってやしないだろうか。
マンモスやブラピ(ファンなのだ)が飛び出してきて、原始戦争でもやってやしないだろうか…。
練習できないアニソンのフラストレーションが爆発して、セーラームーンのコスプレでもして出歩いて近隣で有名人になってやしないか…ま、それはそれで面白いけど。
うーん、心配だ。
なまじ元気な人だけにちょっと心配だ。

というわけで、時間を作って会いに行くことにした。
週末の仕事をぎゅっと1日に凝縮して、まる1日、時間を空けた。
前日の電話でちょっと心配になるようなことも言っていたので、ちょうどいいなと思った。

ステーキ弁当と、シュークリームを2固買って、車で母の家に向かった。

ひと月ほど前に会ったばかりだったけど、今回はけっこう長い時間ちゃんと話をした。
思ったよりも元気で、意味あったか…とも思ったけど、ちょっと感じていた不安についても、これからどうしていくかそれなりに答えを出せて、無理してでも行ってよかったなと。
母とこれからの人生のことについて話したのなんて、生まれて初めてだったんじゃないかなと思う。
たまにこういう時間を作らないといけないなと思った。
いや、ほんと、この映画を見てよかった。
いいきっかけになった。

かなり長いこと話をして、帰り際に、次の本について大体の構想がまとまってきたというので話を聞いた。
「今度は、映画と自分史じゃなくて、映画と社会学を書こうと思うのよね、テーマは「キングコング」なのよ。キングコングがね、家父長制を崩壊させたのよね、丸テーブルを囲む時代から長テーブルの時代になったじゃない、そこでキングコングは生きていけないってことを悟ったのよ、そういうことから話を広げてね・・」
マシンガンのように話すので、よくわからなかったけど、だいたいこういう話だったと思う…違ってるかもしれないけど…。
どうやら脳内は次の執筆テーマでいっぱいで、キングコングが大暴れしているようだ。
映画の桃子さんの妄想に負けない広大な宇宙が広がってるんだろうな…。
大丈夫かな…。ま、大丈夫なんだろうな。

というわけで、次の本楽しみにしてますね。
執筆がんばって!(恐らくこのnoteも読んでると思うので)


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