持続可能な循環社会は江戸に学べ!
SDGsを掲げる企業や団体が目立つようになってきた。
これは国連が提唱している、持続可能な開発目標を指している!
世界全体のことは知らないが、少なくても、日本では江戸時代から文化として定着していることが多々。
面倒だから、江戸に学べ!と,日本の国連大使は云えないのかしらね?
スーパーバッグが有料になり、怨嗟の声が満ちた!
あれは、環境省の役人が情弱で目立ちたがりの大臣に吹き込んだ政策だったんだろうね? 誰が考えても下策を通し越して愚策。
たぶん、マイクロプラスチックが海の生物を痛めているとかの情報を元にして、思いついた役人が居たんであろう。
国の政策は、個々人の出世や点数稼ぎの道具にしたらいけないよな~
最近、あれは強制したものでは無い!なんてことを云い出したようだが。
同調圧力の極めて強い明治以降の日本政府!
とりわけ、企業人は即、実行することになる!
結果は、所得が数十年も停滞したままの三流国民の負担が増えただけ!
環境省は、四日市公害や水俣病、富山のイタイイタイ病が世に出た時期の昭和47年につくられた環境庁が始まり!
紆余曲折がありますが、環境省の存在を世に知らしめたのは、公害による人体への損傷だったことになりますね。
善きにつけ、悪しきにつけ、環境省の政策は、国連と国連政策の主導をしているEU追随型。環境省サイトのTOPページは下記です。
脱炭素ですね!
地球温暖化を世に知らしめたのは、米国のアル・ゴア副大統領(クリントン大統領と共に、1993年1月20日 - 2001年1月20日までWHの住民だった)
後に、ドキュメンタリー映画『不都合な真実』の主演をつとめ、ノーベル平和賞を受賞している。ちなみに、アル・ゴアは、レイチェル・カーソン女史の熱心な信望者でもあったようだが、彼が提唱した地球温暖化とCO2元凶説は紆余曲折と最大限に使用しようとしている一部の環境迎合者に強く支持されている。
最近話題の電氣自動車(EV)普及の圧力もこの流れに沿ったものと推測される。
とりわけ、中国とEU諸国の自動車メーカーがEVに軸足を移している。
冷静に考えれば、TOYOTAの開発したHV車の技術に追いつけないから、土俵を変えようとしているに過ぎまいが・・・。
あろうことかTOYOTAの本社がある東京都知事殿が、2030年までにガソリン車、ディーゼル車の販売を禁止する!と仰せだし、それに先駆けて、菅首相が2035年までにすべての新車販売を電動車に切り替え、純ガソリン車、純ディーゼル車の新車販売を禁止する方針を明らかにしている。
3・11後に、農地や住宅の土砂を削らせたのは、環境省の指針でなかったかしら?
削った汚染土!と呼ばれる土を双葉町と大熊町にまたがる地に集積したのも環境省?
汚染を無くすための施設かと思ってたら、一次保管場所になった?
批判するつもりは、毛頭ないが、省益を増やす目的だったら、お笑いですね。
純粋に、汚染を減らす!無くすのが目的の末!と思いたい。
明治の文明開化と富国強兵に見る西欧礼賛と地球温暖化防止と江戸の循環社会
まぁ当たり前であろうが、薩長の二藩は「尊王攘夷」を謳い文句にした。尊王攘夷は御三家である水戸徳川家の提唱した時代錯誤とも思える暴論。
後に明治政府を形作った、薩長土肥の勢力は、徳川幕府を非文明として文明開化と富国強兵を謳い文句にした。それを支えた中級役人の過半は、徳川政権時代の武士団だったそうな。
武士団は正確ではありませんね!官僚ですね!
有名な説話ですが、旧大蔵省のコアは明治時代に形作られ、その仕組は徳川幕府時代の勘定方の、人材も仕組みも使いまわしだったようだ。
地球温暖化防止とEVに奔る日本政府と関係者が、明治期のそれに酷似していると感じてならない。
江戸の循環社会システムは、完璧だったようだ!
テロで成立した明治政府は、徳川政権を礼賛させるわけにはいくまいから徹底して江戸の文化を消している。
が、森林保全政策にしろ、庶民の旅にしろ、(戸籍謄本制度に連なる)宗門人別帳にしろ、徹底したシステムが仕上がっていたようだ。むろん、その時代に生きていたわけでは無いので、過半の情報は、戦後刊行された書物から得たものだが・・・。
江戸時代。人糞は過半が循環活用されていたとされている。
巷間伝わるロンドンやパリのそれとは大きな差異があり、今のTOKYOに連なる美しい環境と景観が息づいてたようだ。
近隣農家(過半は現在の23区内かと)が都心に農産物を売りに来て、帰りには糞尿を買い取っていたそうな。
西武鉄道関係者の皆さんには不快な想いをさせるようですが、ある時期まで、池袋線は汚穢鉄道と呼ばれ、武蔵野の大地に糞尿を運んでいたそうな・・・。
我が家でも昭和30年代までは、人糞を父親が肥桶で担ぎ、畑の片隅に埋められていた龜(素焼きのかめ)に放り込んでいた。
そこへ、周辺の土を放り込んで於けば、数週間から数ヶ月で醗酵した良質の堆肥原材料になっていた。
農家により、使用法は異なっていたようだが、我が家では、醗酵した人糞を、牛糞や豚糞を積み込んだ、肥やしボッチに投入し、堆肥をつくっていた。
当然、堆肥は、畑や、田んぼに鋤き込む!
戦後のある時期まで、回虫の検査が義務付けられていたが、あれは、肥料が足りずに、生の人糞を野菜畑に使っていたのが原因とされている。
人糞も家畜の糞も同じ有機物。落ち葉も有機物。
そう考えれば汚いものでは決してなく、欧州の同時代の道端へ捨てる行為やセーヌ川に捨てることと比べたら完璧な社会システムが構築されていた時代であったかと。
森林の管理も巷間伝わるような悪政とは異質で、五木の規制があり、入会地の設定もされてたようだ。
徳川幕府時代の遺産で明治以降の日本の自然は保たれてきた。
林野はいつの間にか国有化が進み、戦後は特に、広葉樹林を伐採し、檜、杉に変えられた。伐り時になってるが、長年、安値で放置されて荒れ放題の杉、檜はどうするんだろうね? そもそも、全国一律に、杉、檜を植えようとする政策自体がねえ・・。
鉄器が入ってきた弥生時代に、禿山にならんかったのは、何故なんだろう?
もののけ姫が居たのかも知れないね。
時代は、江戸時代にまなべ!
日本に学べ!と叫んでいるやに感じてならない!
なにも、国連に追随するだけが能ではあるまいが・・・。
この景観を見る度に、思い出すのは、万里の長城近辺の禿山!
初期のレンガは天日干しを使い、後に、焼きレンガを使うようになり、森林を伐採した結果と伝わる。
現に、もう、30年も以前になるが、長城北部の村を訪ねた折に、大人三人でも抱えきれないような、針葉樹の根っこがゴロゴロしている草地に案内された。
過半は、レンガを焼くために、伐られたものと案内してくれた人物から聞かされた。
江戸と明治以降と戦後のこの国のありようの異様さ!
巷間伝わるように、未だに、占領下にある!と考えないと合点がいかない!
そのことを記したかっただけなんですが、趣旨があちこちに、とんでしまいました。
まぁいつもの悪い癖。ご容赦くださいm(_ _)m
最近読んだ幕末と戦中戦後関連の書籍の中でのお氣に入り!