縁は必然!宗任神社と安倍晋三大人命
陸奥・岩手で知った宗任神社と安倍一族
仕事で10年ほど岩手に通わせていただいた。
紫波町と云う素敵な名前の町だった。それ以上に素敵だったのは、町長以下役所職員がペイトリオッツだったこと。
とにもかくにも、町のこと、町民のこと、未来のことを真剣に考え行動する、それも迅速な行動をする管理職に囲まれての10年。
持ってる能力の数倍を注ぎ込んでも足りなかった。
その町の西方で農家と立ち話をしていて教えられたのが安倍道。
旧い町で、江戸時代は、南部藩の本城があり、阿弖流為の時代から陸奥の中心の一つだったようだ。
そこで安倍宗任のことを知った。
20年以上昔のこと。
あれ? そう言えば、20代の頃に、行ったことがあったな~
大銀杏か紅葉だったか失念したが、枝を落としたのを貰い受けに頼まれて伺ったのが初回。当時は隣村だった千代川村に神社があった。
「宗任神社」と云う。
34代目宮司
帰郷した翌年、知人に誘われて宗任神社・宮司を訪ねた。
神社を建立した直系の34代であること。
先祖は宗任の郎党だったこと。
関東に下り、上陸したところが下妻市だったこと。
夢枕に宗任公が立ち、神社を構えろ!と云われたこと。
後に、別の位置(現在の宗任神社)にも建てたこと。
安倍晋太郎さんが存命の折に機会があったが、叶わず、彼が冥土へ行ってしまったこと。
病モチで余命いくばくも無いこと。
等などを二時間ほど、お聞きした。
UZUと昭恵さん
34代松本宮司の手紙を携えて、当時昭恵さんが選挙区山口の支援目的で開店した神田にあったUZUを尋ねることにした。
昭恵さんへのアプローチは直截な方法もあったが、いやらしくなるのを避けた。予約制ゆえ、宮司を紹介してくれた人物と在京の仲間に声がけしてUZUを訪ねた。勘定の折に、宮司からの手紙と小生が書いたものを店の方に託した。微かな希望での手渡しだったが、なんと二日後に本人からメールが届いた。二度目の総理になって以降の彼女の行動力を横目で眺めていたが、予想通りの人物でしたね。迷惑と思い、その後メールを差し上げたことは無い。
帰郷したことの意味と意義!
とにもかくにも、帰郷を決めた後は、故郷に貢献出来て生涯を終えることだけを考えた。
むろん一番は己自身の人生と家族。次に帰郷前および帰郷後知り合った仲間。次に地域。次は市内全体、県、国へと連なる。
左翼も知ってる。国粋主義者も知っている。街宣右翼の正体も知っている。
政治家も政治屋も知っている。
上場会社のオーナー氏にも知己は居る。が使わない!
その上で60数年を生きてきた知恵の限りを尽くさないといけないと感じていた。もっともその事は、後に、役所および外殻団体との交渉で愕然とさせてもらっている。見事に縦割りで蛸壺の中。
古希過ぎたジイさんたちが街づくりで頑張ってるなら応援しないとね~とかは決して考えないようだ。
ちなみに、帰郷して間もなく、交通安全協会からハガキが届いた。
高齢者は、運転講習に出ないといけないらしい。
なんのことは無い!
警察と仲良しの自動車教習所&警察官OBの稼ぎネタにされている。
このあたりの仕組みを作るのは警察庁は上手いね~
@6400だったかしらね? 手数料と記載してますが、講習料ではなく、手数料なのよね~ どこに手数料払ってるんだろ・
電話してみたら、数カ月先まで満席とか云われたっけ(*^^*)
またまた、脇道へそれた。
始末が悪いことに、政府が良くやる有識者会議を関係機関総てが設けている。而、有識者なる無意識者が判定を下すことになる。
国も県も外殻も市町村すらアリバイづくりの委員会を設置しているよね。
彼らの常識と物差しでね。肝心なことは除外される。
理由は、彼ら、彼女ら有識者会議は、委員であることが目的であり、事務局の誘導に従っているのみ。
とすれば、事務局は、世間が広いか?と言えば、上しか観てない。
而一年を無為に無駄に過ごした感。
が、そのことは良い。
得意分野は、農と循環と環境と食。
それに特化すれば良い!が個人の力ではどうにもならないのが農の世界。
農は、GHQ指令と称した(霞が関官僚が編み出したんであろうと推測)農地開放!後の農協と米価闘争。その歴史を考えれば、国策以外の何物でも無い。国策に沿えばなんとかなるものでも無いことは自明。
まぁ出来る限りのことは命がけでやる!と決めている。
昭恵さん参拝
5月14日に昭恵さんが宗任神社に参拝された。
残念なことにご主人である宗任の血をひく、晋三氏は前年暗殺され、単独での参拝となった。
すでに、安倍晋三大人命の魂は脇社に祀られていた。
松本宮司家34代の望みが叶った。
あと四年後に晋三さんは、本殿に移り、宗任さんと並んで文字通り、守り神となられる。
34代、35代、36代と三代が並んで昭恵さんと映像に納まった。
初代から33代。および初代と共に落ち延びた皆さんもお喜びかと思う。
氏子でもない身ゆえ、写真班に徹して昭恵さんに声がけもせずに居た。
惻隠の情というやつかな?
奥ゆかしいと自画自賛しても良い。
当日の様子を下手な動画にしてます。ご笑覧ください。
こちらは、当日同行された月刊誌「和合」の記事です。
映像も印刷も今どきの雑誌ではありません。ご興味のある方は編集部に直接連絡されてください。
文字通り、「和」が醸し出されています。
自身のためであるが、少しだけ地域貢献をさせていただいた。
これからが、地域貢献と追い続けた夢舞台構築
縄文遺跡の上の農地で、現代社会が求めている農の姿と役割を生きてる限り追求してまいりたいと念じてます。
縄文遺跡、前方後円墳、南北朝時代に南朝方に与して破れた土塁の城。
様々な伝承が遺されている畑の真ん中にある「駒の墓」。
室町時代の建立と伝わる「五輪塔」。
古代鬼怒川が遺してくれた、芳醇な水田とそこから生み出される米。
残り少ない人生。
己の為、
家族の為、
仲間の為、
地域の為、
茨城県の為、下妻市の為、日本のために、イノチを燃焼させていく。