百姓で良いでは無いか?
帰郷五年。
なんかね・・・。
集約化が進んでいるのは良いけど、悪い意味での集約化も進行している様子。大規模野菜農家の中には、販売のための営業だけをして、作業は外国人労働者任せの皆さんもあるようだ。
確かに、事業と考えれば、それもありなんだろうけどね。
稲作農家は機械化、それも大型化が進捗し、近年は、農機具メーカーの思惑もあり、GPS機能付きのトラクターやら田植え機まで出現。
稲作を新規にやるばあいの投資額は、ざっくり一億円前後必須だそうな。
毎年償却を一割すれば、1,000万円が償却費。
ということは売上で2,500とか3,000万円ないとね。
単純に計算すれば、haあたりの売り上げが80万円前後だから、40haはやらないといけない。
機械に頼った農業は、地上部だけを考える農業になりかねない。
揶揄するつもりは毛頭ありませんが、百姓とは程遠い農業になりつつありますね。
世間様は、米が安いのなら、小麦をつくれ!と暴言を吐く方もおられるようす。米国の農地面積は2億haあるそうです。そのうち、耕作されているのは、7,000万ha。
日本の耕地面積は田畑併せても400万ha前後です。
それも中山間地や条件の悪い耕作放棄地も含めてです。
そんな狭い耕地面積でも、江戸期で3,000万人。
戦前でも8,000万人もの日本人が飢えることもなく、文化と伝統をつないでこれた。このことを忘れてはいけないと強く感じます。
百姓になろうよ
百姓の二文字は蔑称ではありません。尊称です。
戦前から、戦後のある時期まで、百姓はなんでも自前でやりました。
牛馬を飼育し、労役に使い、糞尿は堆肥にし田畑に還元してきた。
里山の落ち葉は冬の間に、さらい、春先の苗床に使ってきた。
筵や縄は冬期に藁を編んでいた。
購入するものは、極まれ!
それこそが百姓の姿かと。
日本初!も世界初!も農地から生まれるハズ!
百姓の二文字に重きを置けば、創意工夫の日々が続きます。
小さなヒントから世界的な発明が生まれないとも限らない!
醗酵食の見直しと加工、製造から、現代社会が忘れている日本食の原点である新たな醗酵食が生み出せる。
そんな農場でありたい!