帰郷4年が過ぎた。
本来は、居残るつもりは毛頭無かった。
熱心に後輩氏に口説かれたのが一義だなぁと思っていたが、考えてみると生まれ故郷にて人生を閉じるのも一考と考えてたフシがある。
とにもかくにも一年生のごとき四年間でもあった。
最良の共感者が冥土へ旅立ったのが一番かな?
一回りも齢差があったが、苦労した人生が共通の舞台だったようにも感じる。苦労してきたからこそ、無言でも相手の立場を重んじることが出来たんだよね。
言葉は不用だったが・・・。
爾来、仲間は増えたが、時折、孤独を感じないこともないままに一年。
彼の遺産の上で仕事をしていることもあろうし、彼から譲ってもらった車両を家人が載ってることもあろう。
彼なら、こんな時、どんな判断をするんだろう?とも時折脳裏を過る。
古希なる齢
庭先に訪れるメジロさんやシジュウカラさんを眺めていると60年前に戻る。この季節になると日曜は早起きして里山にメジロ取りに出向いた。
むろん、密猟だが、至上の時間でもあった。
一人で松林に入り、トリモチを囮カゴの上にセットし、後は待つのみ。
枝を伝って降りてくるメジロを待つ瞬間のトキメキはなにものにも変え難かった。モノが無い時代ゆえ、穴の空いた靴下をポッケにねじ込み。そこへ獲ったメジロを入れて満足の瞬間。今なら至上の一服が待ってますね。
と喫煙者の弁。
時折、穴から獲ったメジロが逃げ出すこともあったが。
獲ったメジロは予約をしてくれた知り合いに販売した。オスが100円。雌が50円だった。
中学生になった折、警察署長が全校集会に見えた。曰く、野鳥を捕るのは密猟です。法律で禁止されてます。している生徒は居ますか?
数名が手を挙げた。罪になるとは思って無かったからだし、昔からの伝統だったからだが・・・。
後に校長室で諭されもしたが、誰も従うことは無かった。
今にして思う。
あんな楽しみが出来たのは現在の市内で我が小中学校だけだったかと。
なぜなら、里山が他所の地区には皆無に近い。
キノコをとり、メジロやホオジロを追いかけた里山は今は無い。
過半は工業団地になり、残りはソーラー発電のパネルが並ぶ。
単なるノスタルジーであることは理解している。時代と共に、子どもたちの遊びも目的も変化することはわかる。
チビが宿題を終えると、一目散に遊び部屋に籠もり、レゴブロックやプラレールやドミノで愉しむ様を観ていると一抹の寂しさを禁じえない。
これから何年動けるか?働けるかわからないが、現場(土の上や里山)で学ぶことが出来る場がつくれたら、過半が他町村の耕作地となっている畑地をなんとか出来たら・・・と、日々思う。
時折、訪ねてくれる最近の知己の皆さんと話す度にそう思う。
もう、一踏ん張りしないといけない。