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その8 「食」と「学校給食」

飢餓への備えから、身体を良くする「食」の時代へ

たぶん、明治生まれや、昭和一桁、戦中世代、戦後世代の皆さんは、記憶にあるだろうが・・・。
我が家でも、父親が存命の時代には、古米を随分と長い間、食していた。
出来秋に一度だけ新米を食べるが、その後は、飢饉に備えていた、備蓄米(当然古米になる)を食べていた。
勤め人家庭から嫁いで来た奥さんは、常々、こぼしていたっけ?
なぜ、新米を食べないのかしら?
不味いよね? 古米は・・・と。

知り合いの米農家のジイさんに聴いた話。
ジイさんは、昭和20年8月15日に上京し、近衛師団に入隊する予定だったそうだ。が、終戦の詔勅があり入隊せずに終わったと。
余談ですが、近衛兵になるのは、大層な名誉だったらしい。親類縁者にアヤシイ人物が居ると近衛師団に属することは叶わなかったらしい。
選ばれた国民だけが入隊出来たんですね。
で、本題。
ジイさん曰く、戦後は、肥料も入手出来なかったため、米は3~4俵しか出来なかったそうな。(現在は、平均8俵/10㌃)
米一俵で、リヤカー一台分のヒノキの柱と交換出来たと仰せだった。
戦後は都市住民が食糧難で地方へ買い出しに出たとも聴いた。
高価な和服数枚と交換出来たのは、数kgの米やサツマイモとも聴いた。

飢饉への備えは昭和の戦前に暮らした者であれば、当たり前だったんだろうね? 電氣、ガス、水道、食糧は、カネさえ出せば、いつでも、どこでも手に入る時代になったことは、この世代にとっては、それこそ、極楽浄土と感じたのでは無かろうか?
我が家の一角に、何箇所か、薪が積まれて、腐ちかかっている。
これも、燃料が薪だった時代の名残で、ジイさんが枝を落としたり、樹を切り倒したりしたモノを丁寧に刻んで積んでおいたもの。
昭和30年代まで続いた当たり前の暮らしが、高度経済成長期に一変した。

父親が残していた薪。何箇所かある。片付けられないで居る。

便利と豊かさと引き換えたモノ?

昭和の時代は激変の時代だった。
時代を反映したのが遺されている。電通の戦略十則!
1. もっと使わせろ
2. 捨てさせろ
3. 無駄使いさせろ
4. 季節を忘れさせろ
5. 贈り物をさせろ
6. 組み合わせで買わせろ
7. きっかけを投じろ
8. 流行遅れにさせろ
9. 気安く買わせろ
10. 混乱をつくり出せ
国連がSDGsを提唱し、循環社会構築を謳っているが、真逆が昭和後半の日本社会の構図。
それを端的に表していたのが、この戦略十則だった。
大量生産、大量消費、それこそが美徳と煽りにあおり、それに社会が乗った。現代社会は、昭和の終焉の時期に、日本中が狂奔したバブルの残滓で生きている。電通を嗤える暮らしをしているのは、少数派であろう。
農的暮らしを続けてきた農村で捨ててきた概念でもある。
農村は相互扶助で成立してきた社会。
労力を出しあう、「結」
金銭やモノを出し合う「講」

農村から、農業に従事するものが減少し、相互扶助制度が崩壊している。
昔は良かった!と云うつもりは毛頭ない。
が、咎は、現金至上主義社会になっている。
と云うかあまりにも刹那金儲け主義に陥ってないか? 
とある人物が時代と社会と一部の皆さんを称してこんなことを言っている!
 今だけ、カネだけ、自分だけ!
身近なモノで生計をたてていた農村社会も、大量生産、大量消費社会の渦に巻き込まれている。自由主義陣営とかの言葉が、飛び交っている。
ロシアのウクライナ侵攻に併せて。
電通を揶揄しただけでは、4代目社長吉田秀雄に申し訳ないので、現代にも通じる、鬼の十訓裏表も紹介しておく。
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

1)仕事は自ら創るな。みんなでつぶされる。
2)仕事は先手先手と働きかけていくな。疲れるだけだ。
3)大きな仕事と取り組むな。大きな仕事は己に責任ばかりふりかかる。
4)難しい仕事を狙うな。これを成し遂げようとしても誰も助けてくれない。
5)取り組んだらすぐ放せ。馬鹿にされても放せ、火傷をする前に…。
6)周囲を引きずり回すな。引きずっている間に、いつの間にか皆の鼻つまみ者になる。
7)計画を持つな。長期の計画を持つと、怒りと苛立ちと、そして空しい失望と倦怠が生まれる。
8)自信を持つな。自信を持つから君の仕事は煙たがられ嫌がられ、そしてついには誰からも相手にされなくなる。
9)頭は常に全回転。八方に気を配って、一分の真実も語ってはならぬ。ゴマスリとはそのようなものだ。
10)摩擦を恐れよ。摩擦はトラブルの母、減点の肥料だ。でないと君は築地のドンキホーテになる。

米国の一昨年大統領選を眺めた皆さんは氣づいておられるようだが、米国主導だった戦後の世界。
謳い文句の民主主義とか資本主義とかは、決して人類を理想の社会に導くものでは無いことを認識させられた。
代わりにどんな制度?と自身に問うても還ってくる答えは、結と講くらいのもの。そう・・・江戸期の心が豊かな社会があったでは無いか?
似非維新は、日本を戦乱の只中に没入させたでは無いか?
との問いがグルグルと脳裏を駆け巡る。

人を良くする「食」と「悪人」

食は分解すると、人を良くする!と書く!
食べて、栄養にならないものは、人の上に悪と書く!(悪人)
師匠のひとりが盛んに言ってた言葉。
師匠と呼べる先人とたくさん遭遇してきた。
過半は土の上で生きた皆さん!
言葉は重い!

とある皆さんから学校給食を問われている。

あんなもん、米とは云わない!と学校給食で供される米を指して仰せの人物。ミネラルも含めた栄養素が含まれていないモノを食べさせている!と云う人物。
そもそも、学校給食の始まりは、余剰分の米国産、脱脂粉乳と小麦の輸入、消費拡大から始まっている。
戦後産まれの団塊の世代が洗礼を浴びている。
その割に、長生きしているのは、なんでだろうね?
幼児期に自宅で発酵食と粗食に甘んじていたゆえだろうか?
働きに出る皆さんが増え、弁当作りが大変になり、学校給食が始まったものかと思う。
時代と共に価値観は変化する。
親世代を楽させるための学校給食から、食育や地産地消を云うのであれば、学校給食に供される農産物は、農村地帯であれば、改善しないといけない時期ですね。人を良くする「食」の学校給食へ!
教育委員会と農政関連部局で押し付けあいをしてないか?
なにゆえ、JAは手を挙げないか?

誰も手を挙げないなら農の現場から挙手したら良いのかも知れないね。
知恵比べです!

とあるキャラ弁! 

https://www.shimotumamonogatari.com/


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