その4 産業の一部が農業では無い!
元来が六次産業なのよ!
農業を一次産業の農林水産業の一部と考えてたら耕すだけの農民になってしまう。そこに一石を投じたのが30年ほど前に?農水省が提言し始めた六次産業化。
戦後の昭和20年代から30年代半ばまで農村は貧乏だった。
がカネが無いだけで皆、明るかった氣がする。
小さな田畑で米や陸稲や梨を育て、現金収入は、草や瀬戸物を砕いた餌で育てる鶏の卵くらいのモノだった。
記憶の中では、昭和30年代でも卵は、1個10円していたかと。
冬場になると土間にて、父親が、藁を材料に、縄や筵を編んでいたのが記憶の片隅にある。
むろん、ガスも水道も電話も無い時代。かろうじて、5蜀とよばれた裸電球が1個だけ吊るされていた。そう、現金の出金は電気料だけだった。むろん、車は無い。当時の村人の世界は、精々が隣集落までだったかと。
食べ物も同様に、田圃の畦に植えていた大豆を収穫し、近所持ち寄りで大鍋で大豆を煮ていた。一部は、味噌をつくり、皆で分け合った。
藁に包んで冷暗所に置いたのは、納豆になる。
納豆の一部は、筵の上で寒風に晒して干納豆になっていた。
まぁ知ってる現代人は稀だろうが、農協職員時代だから、昭和40年代までは、農家さんは自家製の納豆と干納豆をつくっていた。
配達に行きながら、庭先の干納豆をつまんで食べるのが愉しみのひとつだったが・・・。
余談ですが、我が家の屋号は、マンジ屋と云う。
正確には、饅頭やだったようだ。旧街道沿いに自宅があり、農業の傍らで饅頭を売っていたようだ。江戸期から明治の頃までだったようだ。
氣づかれましたか?
製造業も商業も、農業からの派生に過ぎなかったと歴史が証明してます。
6次産業化というのは、なんでも出来るのが農業なんですよ~と農水省のキャリアの皆さんの呼びかけだったんであろうかと。
が、残念なことに、補助金を投じても、所詮は、家内工業に過ぎず、現代社会の食品製造業には、到底、太刀打ち出来なかったことは事実が証明している。まぁ一部、道の駅内で数名が加工に勤しんでるのはあるようだが、農村発で都会に進出したとか全国展開に至ったとかの話題は聴いたことが無い。
農業は何でも出来るんですよ!
農協の定款を読んだことがありますか?
農業法人の定款は同じことが出来るんですよね?
それこそ、何でも出来ることが判明します。
葬儀屋、結婚式場、不動産業、飲食店経営、観光業、保険・・・。
そこにヒントが埋もれてますね!
細分化が進んだ現代社会は、片手間に出来ない!と考えて一歩踏み出せないかと思うが、なんでも出来るのが農業の世界。
昔から感じていたことですが、農家生まれと非農家生まれでは職業選択の自由がひとつだけ違います。
そう、農家生まれは、非農家生まれよりも職業選択の自由が一つだけ多い!
こどもたちの姿が消えた農村
昔話しだけで恐縮ですが、村に戻っても外で遊んでいる子どもたちの集団を見かけることは、皆無。
公園のある街場では時折、見かけるが、公園が無い村では見かけない!
2つ要因があります。
その1,TVの普及が、子どもたちのヒエラルキーを消滅させた。
その2,事故を恐れた親世代が、こどもたちの活動範囲を狭めて自宅に閉じ込めた。幽閉と云っても良い。
前者を記憶しているのは、多分、70歳前後から上世代までであろう。
上級生が下級生にルールとマナーを教えながら、山野、田畑で遊ぶルールを教え、小川やらの危険地帯で遊ぶ時は、上級生がそれこそ、ALSOKやSECOMの役割をしていた。
子どもの頃に、自然に接する機会の有無は人生を左右すると常々感じている。幼児をフカフカの土の上に連れていけば、必ず、座り込む。
砂浜に連れて行っても同様のことが起きる。
あれは、自然と接することで自然の一員であることを学ぶ絶好の機会であろうかと。水辺も同様。
これからの農業を考えるヒントがたくさん、隠されていると感じる。
それは、決して、芋掘り体験からだけでは学べない!
子どもたちが自然に触れる機会の提供も大きな意義があろうかと。
大上段に構えずとも、場を提供しさえすれば、農地は子どもたちの学びの場になる!
勝手な解釈!
六次産業化!を政策のひとつにした農水の官僚の皆さんは認識されてたと思うんだけどね。
農業・農村って、農水の枠に収まりきれないんだよね!
家庭菜園であろうが、農作業を毎日続けていれば、寝たきりになる可能性は低くなる。とすれば、これは福利厚生!
新規就農者を受け入れたら、労働市場の開拓と開放!
云うまでもなく、水田は、天然のダム。洪水を防ぐ能力を保持している。
土を良くすれば、地域全体の環境は改善されるし、、、、
食糧自給率を高めたら、これは国内安全保障であり、防衛でもあろう。
子どもたちの学びの場を提供すれば、情操教育でも自然学習でもある。
厚労省、国交省、文科省、防衛省、環境省。
国の要が一次産業であろうかと思うんだが・・・。そんな場でありたいね。