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田園まさに荒れなんとす!

先日、帰郷してきた同輩と話していた折りに、彼の発した言葉。

うん、そうなんだろうな? 己自身も、ほぼ35年故郷を離れていた身。

全国を徘徊して感じたことと同じことを感じ続けていた3年。

両親が相次いで冥土へ旅立ち、相続と整理のために一時帰郷した。

久しぶりの友との邂逅が留まることを選択させた。

ただ、故郷に留まるわけにはいかない。カマ族(マグロ・カツオ属)の一員としては安穏と隠居暮らしを楽しむわけにはいかない。つまらんしね・・・。

生涯の夢は、農業・農村の復権。

生涯の過半を、農業・農村に関わって生きてきた身。

とある知己があり、温暖な二箇所で農業・農村に関わり、生涯を終えるつもりで居た。

そのための、布石も打ってきた。

が、故郷に留まることにした。

多難なことになろうな~と思いつつ。

一念発起して、社団を立ち上げて二年。

昔がすべて善であったとは思わないが、集団登校する地区の小学生は四名になっていた。

育った昭和30年代は、それこそ、地区だけで数十名の小学生が居た。

神輿もなかなか担がせてもらえないほど。

そう・・・団塊の世代がウジャウジャしていた時代。

稀に、団壊の世代とも呼ばれるようだが、人非人は1%も居るまい。

そう、当地は、農村。左翼活動が蔓延ってきた時代は無い。

が、沖縄の基地反対活動家が居ない代わりに、農業の先駆者も大規模稲作農家、畜産農家を除き少ない。

数少ない農業後継者も拠り所を無くし、孤立していることを知った。

畑地の過半は、鬼怒川を越えてくる越境の大規模農家さんが耕作している。

間隙の小さな畑を後継者諸君が借り上げて、営農を続けている。

おかしくないかい?

元来が、当地は、養蚕、果樹、葉たばこ、畜産、稲作と多彩な農業が存在していた。

畜産と稲作を除き、葉たばこも養蚕も輸入モノに押されて壊滅した。

その後、中核になる人物が居らんかったこともあり、転進が運んでいないままに昭和が終焉。

食管法の廃止が追い打ちをかけ、大規模農家へと集積が進んだのが平成。

先日、その大規模農家の一人が全国NEWSになった。

不名誉か名誉か、評価の分かれる国税局の告発によるもの。

1億円を超える脱税での告発。

大規模野菜農家でした。

当地区は水田、畑地が半々。

本来は、バランスの良い農村地帯であったはずが、その畑地は過半が川を越えてくる隣町の大規模農家が耕作している。

昭和の時代。鬼怒川に橋が架かった。

同じ頃に、養蚕、葉たばこが終焉に向かっていた。

橋の存在が、畑地の隣村への移転に連なった。

確かに、耕作放棄状態の畑地を耕していただけるのはありがたい存在であったろうが・・。

地元でも農業をしているみなさんが少数だが居る。

農家と向き合うたびに、おかしくないか?の疑念が頭をもたげ続けてきた。

地域の農家と云うか、農地の保有者は、固定資産税を払うだけの存在になる。

それで農家と言えるのか?

現体制の中國はキライだが、歴史はそれなりに遺訓を遺している!

古希を過ぎ一年。

まもなく71歳になる。

隠居爺のままで居るのが正解なのかも知れないが、幸いなことに若手の農家

が点在している。

彼らに人生で得た知恵と学んだ体験を伝えていきたい!と考えている。

一社)下妻ものがたりを立ち上げて二年弱。これからが本番!!


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