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熾す人02|菊池 博 さん
皆さんこんにちは、下妻市地域おこし協力隊の大竹です。
「熾す人(おこす人)」とは、活動の規模や種類関係なく、下妻に関わりを持ち、下妻で行動を起こしている方の考えや活動を、私が「素敵だな」と感じた部分を交えて記事にするインタビュー企画です。詳しくはこちらのnoteをご確認ください。
インタビュー本編を読みたい方は目次の「インタビュー本編」をクリック!
経緯
2人目に協力してくださったのは、なんと下妻市長である 菊池 博|きくち ひろし さん(58歳)です。
みなさまは「市長」と聞くと、どんなイメージを持たれるでしょうか?
私のイメージは、役所や行政は、難しくて堅くて、市長もちょっと遠い存在で、近寄りがたい…というのが私のイメージでした。
菊池市長とは入隊式の日にもお会いしていましたが、そんなイメージのままだったので緊張しており、あまり市長とはお話しできなかった記憶があります…。
しかし、それから暫く協力隊として活動していると、SNSで私のアカウントやshimotsumArchiveのアカウントをチェックしてくださったり、様々な市民主催のイベントでお見かけしたり、「しもつま3高」のみなさまが実施した「しもつまあまびえちゃんコンテスト」では、表彰式にも快くご協力くださったり、 「市長ってこんなにフットワーク軽い方なんだなぁ。」と、私のいわゆる「市長」のイメージが少し変わりました。
そして、市主催の「Shimotsuma Design Meeting」でお話しされた際には、「若者を応援したい!」とおっしゃっているのを聞いて、「これは、インタビュー取材のお願いを聞いてもらえるかもしれない…!」と、依頼したところ、あっさりと許可をいただいて、インタビューを受けていただけることになりました。
インタビュー当日、当初予定していたインタビュー時間より延長していただきながら(!)、菊池市長が市政に興味を持たれる様になったきっかけや、若者に対して考えていらっしゃることなどについて伺ったり、私の活動に対してもご意見をいただいたり、とても面白い時間になりました。
インタビュー本編
1.スパコン開発に携わっておられた30代
ーーー以前イベントでお会いした時に「昔はスーパーコンピューターを作っていたんだよ」とお話しされていて、とても驚いたのですが、市長になる前はどんなことをされていたのですか?
最初はNECで働いていて、31歳の時から地元の会計事務所で働いてたから、市長は3つ目の職になるね。
ーーー勝手なイメージで「市政って文系??」と思っていたのですが、菊池市長はバリバリの理系の方なんですね!
そうそう、バリバリの理系ですよ(笑)
当時NECでは、ハードウェアの製造技術の担当をしていて、ICチップが100個ぐらいバーっと並んでいる「高密度多層基板」というのを作ってたんだよ。設計側から「こういうのを作って」と依頼が来て、それを実際に作り上げる、建築で言えば「大工」にあたるお仕事でね。
パソコンなどの中には、緑色の小さい基板があるでしょ?ああいった基板の上にICが乗っかっているのだけど、その基板自体の製造をしてたね。何十層にも重なった小さい基板の中に、ICチップの配線を潜らせて作るから、10ミクロン、20ミクロンという単位の世界で、いつも顕微鏡を覗いてた。
ーーー顕微鏡ですか?!3DCADなど使っていたのかなぁ、と想像していました…
3DCADは当時もあったかもしれないけど、使わなかったな。どうやって顕微鏡で基盤を作っていたか簡単に説明すると、写真の技術を応用して、設計図を基板に投影して、その通りに回路を配線していたんだよね。
当時は、あるサイズの基板1セットで1000万円、スーパーコンピューターのレンタルで一億円ぐらいしたんだよ。また、その頃は丁度、企業秘密で光学ディスク(CDやDVDの総称)の開発もしていました。今では光学ディスクは主流だけど、当時はまだ磁気ディスクだったねぇ。
2.会計事務所への転職と地域に関わるきっかけ
ーーー凄い世界だなぁ…日本国内でのスーパーコンピューターが台頭してきた時代ですね。なぜそこから税務会計の業界に入られたんですか?
それが、大企業で働くのに疑問を感じてしまったんだよね(笑)。
製造技術に携わっていると、原価計算もやる必要が出てくるんだけど、例えば、製造に1000万円かかっていた基盤を、3年後ぐらいには500万とか、300万にしないといけなくて。最初は「いくらお金かかってもよいから世界一を目指せ!」と、スーパーコンピューターの世界一を争うために、いくらでも予算をつぎ込んで開発できていたんだけど、それを製造ラインに乗せるとなったら、当初の開発費用の二分の一、三分の一、と費用を抑えないと売れないんだよね。だから、毎日「安くしろ!」という上司のプレッシャーがあって、そしたら、働くのが楽しくなくなってしまっていたんだよね。NECで働いていた当時は胃潰瘍で毎日薬飲んでいたなぁ。
ーーーそれは大変でしたね…。
でも、そんな時に、あの時は確か31歳で、子どもも2人居たんだけど、たまたま目にした朝刊に「会計事務所職員募集」の広告があって、それで試験を受けに行ったのよ(笑)。
ーーーそんな感じで転職を決めたんですか?!
当時は原価計算も担当していたから「こういう仕事もあるんだなぁ」と思っていて、広告を見たら「あ、これだ!」とピンときたんだよね。それで、試験に受けに行ったのだけど「うちの募集30歳までなんですけども…」と言われてしまって(笑)
「31歳じゃだめですか?」と押し切って試験を受けさせてもらったけど、この試験もなかなか大変で、分厚い本を一冊指定されて、それについて1週間後に原稿用紙30枚分の論文を提出しなさい、というものだったなぁ。勤めながらだったから、寝ないでやったよね。
そしたら無事に合格して「合格の決め手は何だったんですか?」と所長に聞いたら、「31歳じゃだめですか?」という意欲を買ってくれたんだって(笑)。
ーーー凄いバイタリティだなぁ。市長をいろんな市民のイベントでお見かけするので、「フットワーク軽い方だなぁ」と思っていたのですが、当時から行動力のある方だったんですね。
民間企業を相手にしていると、やっぱりスピードは命で、あと社長は仕事にスピード感のある「せっかち」が多い。例えば今日相談を受けたら「2、3日後に報告します。」と言いはするけど、実際は「明日もう知りたい!」というスピード感で、だから、休みも関係なしに仕事をやったね。スパコンの時もそうだけど、そうじゃないと他社と競合できない、そういう世界に30年近くいた影響はあるかな。忙しかったけど、胃潰瘍は直った(笑)。
NEC時代はタイムカードがあったけど、会計事務所時代はタイムカードがなかったから、自由に働けてたね。「今日は〇〇のお客様のところに行っています」と伝えておけば、古河市にある会社自体には行かなくても良かったんだよね、直行直帰で。自宅から会社まで1時間はかかってたから、だったら1時間でも早くお客様のところにに行って仕事した方が良いじゃない。
ーーー今の時代にも通じる働き方ですね!でも、ますます何で、民間でバリバリ働かれていた方が行政に転向されたのかな、と気になります。
当時働いていた会計事務所の所長が社会貢献に力を入れておられて、それに良い影響を受けたのもあるけど、一番のきっかけと言えるのは、NECを辞めるちょっと前、30歳ぐらいかな、「花と1万人の会」のボランティアに入ったことだと思うな。
NECの時は、8時ごろ出社して22時にヘロヘロになって寝に帰るような生活で…。バブルの絶頂期で働いただけ稼げたけど、自宅と仕事場の往復で「なんか嫌だなぁ、生活を変えたいなぁ」と思ってボランティア活動を始めたんだよね。
ずっと千代川で生まれ育ったけど、若い頃は地域の活動に関わったことがなくて、その時初めて、「こんな素晴らしい人がいっぱいいるんだ!」ということを知ったな。
ーーー今の子どもたちや若い方々も、地元の方と触れ合って「この大人、面白いなぁ!」と気付ける機会は少ないんだろうと思います。
そういう機会は今もなかなか無いよね。やっぱり、そうした活動に関わって初めて、地域の見方が変わったな。地域の課題とか、やらなきゃいけないことが見えてきたり、自分たちの声は行政に届いているのかな?と疑問に思うことがあったり。
子どもが小学校に上がった時に、車の往来が激しいのに、通学路に信号機がなかったんだよね。当時の千代川村の議員さんのところに相談に行ったり、役場に行ったりしたけど、今一現状が相手に伝わらなくて「何をしたらいいかなぁ」と考えて、交通量調査を自分でやったの。
ーーーご自身で車の台数をカウントしたんですか?
そうそう、1週間毎日ね。子供たちが通る時間帯に、夏だったから日除けの傘を立てて、通行する車をカウントして、エクセルでグラフを作って「こんなに台数があるんだよ」というのを議員さんに持っていったの。そしたら村長も動いてくれて。結局、信号機ができたのは子どもが小学校卒業してからだったんだけど(笑)。でもまぁ、信号機はできたからいいか!と。
そんな自分の活動を見ていてくれていた人が結構いて「ああ、行動を見てくれている人っているんだ。」というのを実感したね。
そんな生活の中で新聞を読んでいたら、また「若者政治家養成塾、地方から政治を変えたい若者募集!」という広告が、ぱっと目に入ったんだよ。当時は別に政治家をやりたい訳では無かったんだけど、地域に対して自分なりの課題意識を持つ様になっていた頃でもあったし、「どんな凄い人に会えるんだろう?」という興味本位もあったから、応募して、毎週末東京まで通ったんだ。そしたら、今国会議員を勤めている様な人達が全国から集まっていて、その中で色んなこと勉強できたんだよね。
その塾の修了日に、将来の夢を発表する必要があって、皆「議員になります」と表明するものだから、自分もつい「議員になります」と言ってしまって(笑)。言ったからにはやらなきゃな、と思って、41歳の時に「他の人に負けないように仕事の成果も絶対あげるから、村議会議員もやらせてください。」と所長に伝えて、昼間は仕事して、同僚に負けない様にしっかり成果も挙げて、夜や休日は議員活動をやっていたな。
でも、そうやって議員として活動する中で、どうしても議員として出来ることは限られてくるな、と感じてきて。意見を述べることはできるけど、執行を検討するところまではできないから「市長を目指してみよう。」と決意したんだよね。会計事務所からは「だいじか?」(茨城弁で 大丈夫?)と心配もされたけど、「今のタイミングしかないか」と直感して決めたんだよ。
30代の時の転職も、広告を見て、パッと自分の直感を信じて決めたけど、普段から問題意識を持っていたり、考えたりしていると、情報が流れてきたときに「あ、これだ!」と納得してすぐに決められるのかな、と思うよ。決めた後は後悔したり悩んだりしないで、あとはやるだけ、とそんな風にも考えてきたね。まぁ、かみさんには怒られたけど(笑)
(インタビューの間、終始市長は大らかに笑っておられましたが、働きながらの転職や、様々なこと両立は、普通に考えても大変だったろうな、と想像します。それを支えてこられた奥様も凄い…!)
3.若者を応援したい理由
(ここからは、私の活動についてもお話を聞いていただきました。)
ーーー市民主催のいろんなイベントにも顔を出してくださったり「Shimotsuma Design Meeting」でも「若者を応援したい!」とお話しされていましたが、ご自身の若い時の経験もありますか?
そうだね。若い人たちは色んなアイディアはもっているけど、「それをどう活かすか、実現させるのか」には手助けが必要だと思っていて、それをバックアップしたいな、という気持ちがあるんだよな。
ーーーそう言ってくれる上の立場の方がいると、若い人たちはとても嬉しいと思います。私たちの世代は「どうせ上の人は聞いてくれないんだろうな」と、若干諦めが入っていることも多いかもしれません。
今の時代は、自分が若かった頃と違って、社会全体が下がっていってる時じゃない?だから、あんまり「夢」を見られない時代だよな、という気がするよね。私が若かった時はバブルの頃だったから「なんでもやってみよう!」という雰囲気は社会全体にあったし、給料もやればやるだけ増えたけども、今の時代はそういう雰囲気はないから、若者も違う感覚を持っていると思うんだよね。だからそこを何か後押しできたら、その人の持つ能力をもっと引き出せるのかな。今の若者は凄い真面目だよね。勤勉だし、勉強家だし。私が若い頃は考えられなかったもんね、大学に遊びにいってた様なものだから(笑)。
ーーー私の周りの同世代を見ていても真面目な人が多いなと思います。市長はどんな機会があると応援しやすいですか?
「こういうのやりたいんだけど、どうですか?」とか、「こんな壁があるんですが、どうしたらいいですか?」ってに話にきてもらえたらいいな。そしたらその壁を少しは取り除くことができるかもしれないしね。
ーーーめちゃめちゃ良い職場環境じゃないですか。
うーん、まだあんまり浸透してないけどね。私もなかなかそうした機会を作れてないから悪いのだけど、若手職員と話せる機会がなくて、それは必要だな、と思ってるんだよね。気軽に、ランチミーティングとかでも良いから、検討しようかな。
具体的にはまだどうなるか分からないけれど、まちづくりに関する副業であれば、市役所職員の副業もできるようになる方向も考えてる。どこで働いているにしても、「外」の世界を見る機会があった方が良いよね。
ーーー「外」の世界を見る機会、それは凄く共感します!私が幼い時、小さい町に住んでいた経験から、田舎や地方には情報が入ってこないし出てもいかない、というイメージがあって、そういった閉塞感や停滞感を辛く感じていました。でも、下妻で実際に人と触れ合ってみると「面白い人たちがいるなぁ。」という実感がありました。
そうだよね、下妻って本当に面白い人が沢山いるよね。
ーーーそうした人の魅力は、都市の魅力にも繋がると思うのですが、下妻についてネットで調べても、当たり障りのない観光情報しか出てこなくて、私の感じた下妻の面白さはどこにも出てないな、と感じています。
例えば、ネット上にも下妻のコミュニティがあるといいよね。下妻に興味がある人は誰でもそこにアクセスできて、色んな情報が得られるような場所が。
ーーーそれは本当にできたらいいなと思います。そういったコミュニティの土台の一部になれるようなインタビュー取材をして、「面白い人達が下妻のここにいるよ。ちゃんと話聞いてくれる、応援してくれる人達だから相談してみて大丈夫だよ」と伝えたいなと思って。
そうした面白い人は下妻にいっぱいいると思うのだけど、情報発信が上手くいってないんだよね…。上手く情報発信できれば、下妻に興味を持ってくれる人ももっといると思うんだよな。
ーーー「この人と考え方が合うな、話をわかってもらえるな」という人と直に繋がれたらいいな、と思います。何の情報もなしに突然下妻に来ても「どこに行けば会えるの…?」となってしまうので。
それは大切だよね。他の地域から初めて下妻に来た人にとっては、誰に頼れば良いか分からない状況は大変だろうから。
もちろん、自分が知らない場所に飛び込む、挑戦するリスクは、いろんな可能性を広げることにもなるし、得られる情報も増えることにもなるから、「とりあえず、やっちゃえ!」とも思うよ。
ーーー今日市長とお話してみて、また、協力隊の活動を通じて出会った、様々な場所で活動的な市民の方々を思い返しても、失敗を笑わないで「ナイストライ!」と言ってくださる様な方々が、地方にも居るんだと実感が持てました。
そうだね。今、色んな人達が色んな取り組みをされているじゃない?下妻中で様々な活動や取り組みがふつふつと湧いて来ている様な状況を見ていると「本当にありがたいな」と思うんだよね。
ーーー本当に、色んな活動が起きていますよね!でも、何か下妻を良くしたい、という大きな方向性は一緒なんだろうな、と感じています。
うん、その大きな方向性さえ合えば良いと思うんだ。それぞれの活動は独立しているけど、そうした様々な活動が寄り添える基軸になる様な大きなテーマが、ふわっと花の様にあると良いよね。
ーーー確かに、どの活動も個性的だし、具体的な活動内容や活動のペースは違うので、無理に活動を統合する必要はないのかな、と見ていて思います。だからこそ、活動の大小や継続期間に関わらず、活動の様子が情報としてどこかに蓄積されなかったら、活動があったことすら分からなくなってしまうのが勿体ないな、と感じていました。
そういえば最近SNS初めてなかったっけ?「〜アーカイブ」とか何とかいうやつ。
ーーーあー!はい、まさに「ShimotsumArchive シモツマーカイブ」という名前で発信しようと用意していました。でもまだ記事が少ないのでコソコソとやっておりまして…
やっぱりそうだよね。「あれ?」と思ったの(笑)。
ーーー市長にはバレてたんですね(笑)「シモツマーカイブ」は「アーカイブ」の名前の通り「記録」が目的です。私の専門が芸術なのもありますが、文化人類的な「人の営み」の部分に興味があって、何かを商売するのと違って、今すぐお金にならないことかもしれないけど、下妻の人的資源を記録したいなと思っています。
この間の「Shimotsuma Design Meeting」でも、まずお金を払う必要がない部分に人が集まって、その周りで経済活動を行う、という様な話を、紫波町の岡崎正信先生されていたと思うけど、それと似ているかもね。
ーーーそんなイメージかもしれません。例えば、友達関係って「ただあなたに興味があるし、あなたが素敵だと思うから、一緒にいて話していて楽しいよ。」という関係だと思うのですが、その関係の最終目的が物を売りつけることだったら「何だよそれ!」って嫌な気持ちになりますよね(笑)
この記録の発展の先に、何かECサイトの様なものが繋がることはあるかもしれないですが、そこに繋げるならそれに詳しい方の力が必要だなと思うし、それを私のゴールにはしたくなくて…地味な活動ですが…。
でも、そうやって情報発信があると「何だろう?」と興味を持って見にきてくれる人はいると思うから、記録の先に何か繋がることはあるんじゃないかな。協力隊になったからこそ会える色んな人に会えるだろうから、大竹さんにとっても良い経験になると思うよ。
ーーーありがとうございます。そうなると良いな、と思いつつ頑張ります!
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編集後記
ずっと堅い職業だと思っていた「市長」ですが、菊池市長はフレンドリーにオープンに、色んなお話をしてくださって、最初は「上手くインタビューできるかな…」と心配だったのですがとても楽しく、あっという間の時間でした。
若者でかつ部外者の正直な話にも、フラットに耳を傾けてくださる年長者がいらっしゃるというのは、素敵な環境だなと思いました。
自分の考えていることや、やってみたいこと対して「いいんじゃない?」と誰かに言ってもらえると、やっぱりちょっと安心するし、挑戦しやすくなりますね!
そんな菊池市長のSNSはこちら!是非チェックしてみてくださいね^^
facebook(@kikuchi.hiroshi.0612)/twitter(@imwHJ2Kuh9fIGns)
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お忙しい中、インタビューに快くご協力くださった菊池市長に改めて感謝いたします。ありがとうございました!
取材/文章/写真:大竹 英理耶
取材日:2020年1月22日
*この記事はインタビュー内容を元に編集・再構成しています。