Netflix『ボーイフレンド』を観た

同僚が絶賛しているのをみて、Netflixの『ボーイフレンド』を観た。

世界に恋愛リアリティーショーは数あれど、『ボーイフレンド』が新鮮なのは参加者が全員同性(男性)ということ。そういう作品はこれまでに観たことがなく、同じく男である自分がそれを観てどんな感覚になるのかもまったくわからなかった。そんな事情もあって、恐る恐る、ドキドキしながら観はじめた。

最初にまとめとして結論を書くと、めちゃめちゃおもしろかった。

どれくらいおもしろかったかというと、基本的に僕はNetflixのドラマなどは毎日少し(1話)ずつ、ゆっくり味わって観ていくタイプなのだが、『ボーイフレンド』は違った。エピソードの終わりに、どうしてもその後の展開が気になって、「次のエピソードを観る」をクリックする手を止められず、結果的に2日で全部観終わってしまった。『イカゲーム』も『First Love 初恋』も『梨泰院クラス』も、ぜんぶちびちびとじっくり時間をかけて楽しんだのに、今回は一瞬で10話を駆け抜けてしまった。伝わるかどうかわからないが、それくらいおもしろかった。

恋愛リアリティーショーというと、『あいのり』や『テラスハウス』が全盛だった時代に見ていたこともあって、わりとしょうもない些細な出来事がきっかけで関係性が崩壊したり、最悪の場合は一員から去るみたいなのもよく見ていた。けれど、『ボーイフレンド』に参加していたメンバーは全員もれなく人間として円熟しているように見えて、そうしたトラブルの種となるような振る舞いがほとんど見られなかったことに驚いた(ちなみに、「鶏胸肉事件」はある種ネタとして切り取られるようなトピックだったかもしれないけど、あれはそもそもユーサクのプロフェッショナリズムからくるものであって、「家事に全然協力的でない」とかそういう次元の話とはちょっと違っていると思う)。

彼らの言動を見て、それと自分の過去を比べてみると、「なんて俺はひっかかりのない人生を送ってきたんだ」と思った。もちろん、比較して卑下したりする必要はまったくないのだけど、そう思わざるをなかった。自分もまったく複雑な事情がないこともないのだが、それでも、生き様だったり、自分と他人や社会との関係を考える思考の量・深さがあまりにも違いすぎるなと思った。

個人的には、アランの慈しみにあふれた言動の多くに学ぶべきものがたくさんあると思った。誰かが悲しんでいたらもちろん寄り添うし、誰かが攻撃を受けそうになったらその場に合わせた方法でフォローをする。想いを寄せるメンバーに対しても、ただただ陽キャ然としたグイグイなアプローチではなく、一歩引いて相手をリスペクトした対応を取れる。みんないい奴だなと思って観ていたけど、彼はちょっと群を抜いていい奴だった。「こいつ、いい奴すぎるやろ...」と思って普通に何回か泣いてしまった。

そして地味に、「コーヒートラックを運営する」という、今回の共同生活のなかで1本の縦軸となるギミックも巧妙で実によかったと思う。ただデートをしたり、ただ暮らすだけではなく、全員が同じ目標に向かうグルーブ感がうまく醸成されていた。売上が生活資金になる仕組みや、シフト制度の使い方もうまく、かなりよく練られていて感心した。みんな、人当たりがよく、共感性も高いので、コーヒートラックのスタッフがよく似合っていて、見た目に心地よかった。

見終わったあとに、全員があまりにいい奴すぎて、「これ、ほんまけ?」とちょっと疑ってしまったのは、唯一気になった点だ。チャレンジングな作品だからこそ、ファーストペンギンとして勇気を持って飛びこんで参加してくれたメンバーに対して多くの配慮がなされていることは、作品を通して観て十分に伝わってきたが、そういう背景もあってネガティブな意見が向けられそうなシーンはできるだけ排除しているのかな?などと勘繰ってしまった。

いろいろ感想を書き殴ってしまったが、少しでも気になっている人はぜひ観てみてほしいと思う。