【往復書簡】8通目(岩谷さん)
岩谷さま
未だ明日はどうなるか予測がむずかしい中、探り探りではあるもののなんとかひつじがを再開できました。ノンアルコールよろこんで、また対面にてお話できる日を楽しみにしております。
過去と現在と未来に関する雑感を聞いてみたいです。
そんな再開から早いもので1ヶ月が経ちました。早速立ち止まることを忘れて走りっぱなしになっていたので、振り返るきっかけをいただけて助かります。こういう話を自分発信の形で書くとどうしても野暮ったくなってしまうので、ご質問に答える形で、少しだけひつじがに対して抱いている雑感を書かせていただきます。(これでもすでに野暮ったい)
すべてが元どおりなんてうまい話は当然ありません。色んな部分が変わり、変わることがある程度予測できた部分は外から何かを言われる前に自分の意思で(意地で)変えてきました。休業も再開もその他の選択もぜんぶ、何処かの誰かの指示に従う形になるといざという時の責任の行き場がなくなってしまいそうで、良くも悪くも自己判断の結果だと思えるように選択をしてきたつもりです。良かったのかどうかは正直まだわかりませんが、なんとなく納得感はあるので良かったのかなと。
まだできないこともたくさんあります。個展等の催しはいつ再開するか目処も立っていないし、今は席数も減らしているので大勢でのご来店はお断りをせざる得ない状況です。その分来てくださった方とじっくり話せてそれはそれで良いのですが、経営的側面から見ればある程度の方に来店してもらわなければ店が死ぬのもまた事実。目をそらさずに、じっと見続けなければなりません。
これは考え方の問題ですが、《なにかを制限されている》と思うと思考停止してしまうので、《できることの種類が変わった》ぐらいで意識付けして、じゃあそのできることは何なのかについて現場で模索を続けています。なんとなく前向きに思考ができているのはお店に立つ日常に戻ったからなんだろうなと思います。
さて、そんなひつじがの未来ですが、世の中がそうであるようにお店も元(再開前)の状態にはまず戻らないでしょうし、個人的にもその状態に戻そうとは思っていません。どちらかというと今は減らした席数のままお店を健全に回していくにはどうすれば良いのかといった方向で考えています。
幸いひつじがに来られる方は大勢でワイワイするよりも少人数で深く話すのを好まれる方の方が多く、いっそ実店舗はそれを楽しむ方向に振り切ってしまっても良いのではと思っています。ただそれを楽しむためには当然その外側でやらねばならぬこともあり、諸々試験的に取り組み始めた段階です。
本屋巡りマップや0円本屋などどの街でも再現可能なローカルな取り組みはまずそのひとつですし、それぞれ少しずつ街の中で認知されてきています。一方最近オンライン上でひつじがの空気感を再現する取り組みも最近妙案を思いつき、それの実現に向けて準備を始めています。それぞれ形になればおそらくひつじがの立ち位置も今より面白い方に変わっていくのではないでしょうかきっと……(いってほしい)
話は尽きませんがこのままだと雑感だけで終わってしまいそうなので、そろそろお手紙の本題に入らせていただきます。ひつじがの未来についてはぜひまた別途お相手いただければありがたいです。
「果たして我々は空間を共有することで何を共有(交換)していたのか」
先日お店にいらっしゃったお客さんと一緒に、オンラインとリアルな場の違いはなんだという話をしていました。その時に聞いた話がえらく印象的だったので、それを軸に置きながらお話進めていきます。
そのお客さん曰く、他者(特に初対面の相手)との関係性を円滑にするために最低限必要なものは「安心感」である。そして安心感を得るためオンラインに用意されているものは「匿名性」であり、一方リアルな場に存在しているのは「覚悟」であるとのことでした。ほぼ毎晩リアルな場に立ち続けている身として、覚悟なんて意識したこともなかったですが、言われてみれば確かに一理あるのかもしれない。
自分をさらけ出さないでいることにより得られる安心感と、自分をさらけ出すことによって手にはいる安心感。どちらも同じ安心感ですが、それぞれから受け取る意味合いは全くと言っていいほど異なります。
匿名性が守るものは何よりもまず自分自身です。画面を挟んでまず我が身の安心感を得ることで、余裕のある発言ができるようになる。それぞれがその心境になることにより、結果お互いに安心感を得られているような気持ちになります。
一方リアルな場においては王様や殿様でもない限りまずはその空間にいる他者に安心感を与えることを目指すでしょう。もちろん全ての場がそうとは限らないかもしれませんが、少なくともひつじがに来られるお客さんはそういう方が多いです。
いずれにしても結果的にそこにいる全員が安心感を得られている状態が場の理想系ではあるのでしょうが、そこに到るまでの過程(順番)がオンラインとリアルでは異なるのではないかというところに目をつけています。ただし自身の立場上どうしてもリアルを贔屓目に見てしまってるでしょうし、オンライン側に厚い岩谷さんのご意見もぜひ伺いたいです。
そんなこんなで先に引用した岩谷さんの問いに答える形で筆をおかせていただきますが、リアルな空間の中で共有(交換)していたのは情報をさらけ出す「覚悟」ではないかなと考えています。いかがでしょうか?
2020.7.1
シモダヨウヘイ
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