ヘッドカノン
僕が五歳の頃、通っていた幼稚園の同級生に「はやと君」という子がいた。彼は僕よりも一回り背が低く、前ならえではいつも腰に手を当てているような子だった。でも、かけっこだけは誰にも負けなかった。
幼いながらに、どうして僕は僕よりもずっと小さな「はやと君」にかけっこで勝てないのだろうか疑問に感じていたことを憶えている。
当時の僕にはまだ、「努力」や「遺伝」の概念が存在しなかったから、僕はただ考えるしかなかった。
なんで僕は「はやと君」に勝てないんだろう、と。
僕と彼には一体どんな違いがあるのだろうか、そんなことばかり校庭の隅っこで考え続けていたら、僕の頭の中に一つの公式が思いついた。
それは、「瞬足」の色である。
同世代の人間ならわかると思うが、当時は巨大な津波から「瞬足」の力で走って逃げるという、今では信じられないような運動靴のアニメーションCMが放送されており、周りの子達もみんな「瞬足」を履いていた。
ご多分に漏れず僕も「瞬足」に憧れ、母親に赤い「瞬足」を買ってもらっていた。
もちろん「はやと君」も「瞬足」を履いていたが、しかし彼の「瞬足」は青色だった。
赤=火 青=水 そして、「火は水に勝つことが出来ない」という絶対的な法則は、ポケモンに慣れ親しんだ僕らにとっては当たり前のことだった。
かけっこで「はやと君」に負けた帰り道、僕は母の手を握って「はやと君の瞬足は青で、僕の瞬足は赤だから勝てないんだよ」と話したことを憶えている。その時、母親はどう思っただろうか。
こういった、自分の頭の中だけの公式のことを海外のスラングで「ヘッドカノン」というらしい。
ヘッドカノン
英語圏のオタク界隈で用いられるスラング「Head canon」のこと。直訳的には「頭の中の公式」を意味する。所謂「脳内設定」のこと。
僕はこの言葉をYouTubeのコメント欄で知った。
確か『スターウォーズ』のエピソード2の、メイス・ウィンドゥがライトセーバーでジャンゴ・フェットの頭を切り落としているシーンの切り抜き動画だったと思う。
コメント欄の一番上に、「私は子供の頃、メイス・ウィンドゥの紫色のライトセーバーは、敵から奪った赤のライトセーバーと自身の青のライトセーバーを組み合わせて作ったものであるというヘッドカノンを持っていました(意訳)」こんなコメントだったと思う。
もちろん、これは厳密には正しくないのだが、
たしかに、子供にとって青と赤を混ぜると紫になるというのは、間違いない常識であったし、生まれて初めて出会う魔法や科学といった類の、大切な公式だったように思う。
こんなヘッドカノンばかりなら可愛いものだけど、現実はそうでもないみたいだ。アーティストの一部分だけを切り抜いて、全てを語ってしまう態度や、さも正解かのように振る舞うアニメ・映画の考察とか。
所詮ヘッドカノンは僕らの頭の中だけの公式で、脳内設定でしかない。
だから、僕は母親に黄色の靴をねだらなかった。
このヘッドカノンは、やっぱり間違っているってどこかでちゃんと気づいていたんだと思う。
でも謙虚な姿勢で、僕の考えはこれですと開示してみるのは楽しいかもしれない。間違ってても構わない、だってそれがヘッドカノンでしょう?
そんな気持ちで僕の考えたことを公開していこうと思います。