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もっと高く跳ぶために、2年半を素直に綴る

2021年シーズンを持って、2年半お世話になったスフィーダ世田谷FCを退団することになった。

12月はじめにGMとの面談で退団する意向を伝え、シーズン終了後の年末には「退団リリースを出すので文章をください」と連絡をもらったのだけれど、正直全然気持ちの整理ができていなくてしばらく未読無視してしまった(ごめんなさい)。

実家に帰る電車の中で2年半のことを思い返してみると、たくさんの反省とたくさんの感謝の気持ちがブワっと溢れてきて、ようやくGMに連絡を返せたのが今年の初めの話。リリースはこちらから。

2年半で何を学んだのか、これからどうするのか、ようやく整理がついてきたのでnoteにまとめようと思う。これまでのnoteのテイスト通り、自分の思考をまとめる意味合いでこのnoteも書き上げていること、ご理解いただきたい。

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「女子サッカー選手です。」

自己紹介の書き出しにそう書いていながら、自身のサッカーの話をあまりnoteでは語ってこなかった。正直、語りたくなかった。

2019年の夏、シーズン途中にも関わらず受け入れていただいてからの2年半。結局、ほとんどの試合でベンチを温め、1得点も決めることのないまま、スフィーダを去る。申し訳なさと自分への悔しさとでごちゃごちゃになりながら、このnoteを書いている。

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スフィーダに、野村智美という選手がいる。

ポジションはGKで、2021シーズンのキャプテン。2018年からスフィーダに所属しているので、4シーズンをスフィーダで過ごしている選手だ。また、自分にとっては慶應大の後輩でもあり、3年間をお向かいさんとして過ごした寮生仲間でもある。(今のパートナーと付き合い始めたとき、真っ先に報告したのも智美だったと記憶している)

慶應大ソッカー部時代 / 左上GKが野村で19番が下山田


キーパーというポジションは非常に残酷で、試合途中の選手交代が基本的にはないポジションである。ましてや、チームに3人もキーパーがいるとなれば、第3キーパーはベンチにすら座れない。それでいて、一度そのポジションが決まってしまえば、なかなか序列が変わらないのも残酷たる所以だと思う。そして、智美は、そのキーパーの残酷さをモロに食らっていた1人だった。3シーズン、ずっっっっっっと試合に出ていなかった。試合のときは、観客席側に座ってた。多分、誰よりも、物理的に距離の近いサッカー選手だった。

それでも、試合前のアップでは誰よりも盛り上げようと頑張るし(たまに空元気すぎて怖い)、スポンサーやサポーターの皆様への挨拶も欠かさないし、後輩の面倒見も最高にいい。誰がどう見ても"チームに必要な人材"である。

そんな智美が、2020シーズン、初めて試合に出た。それまでスフィーダでは、誰もが認める守護神のヒメと大ベテランのキシさんが、第1・第2キーパーを務めていた。でも、その2人が同時期に怪我をするというアクシデントが起き、智美がピッチに立つことになったのである。

その日、ベンチに座るだけでも緊張しているように見えたのに、まさかの試合途中での選手交代。自分を含むベンチメンバーと当時のGKコーチが、智美以上に緊張していた。GKコーチが噛み噛みになりながら智美に事前コーチングしてる姿は笑えたし、キーパーグローブをつける智美を、心配で仕方ないベンチメンバーが無言で囲むという謎の時間すらあった。結局、その試合で3年目にして初出場をつかんだ智美は、スフィーダ初のなでしこリーグ2部優勝を決める最終戦までピッチに立ち続けることになった。

3年間、観客席側に座っていた智美が、優勝を決めるピッチにたつ姿を見たとき「徳を積む」ことの本質と「素直である」ことの強さをめちゃくちゃ感じた。そして、今、大いに反省している。

それが、自分に足りていないことだったなと。

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スフィーダでの2年半を振り返ると、ピッチ上でも、ピッチ外でも、自分がどんな選手なのかを一生見失い続けていた。"なんか良い奴"であり続けることでやり過ごしていた。それは、自分の足りていないことや出来ないことを、素直に認めることが怖かったからなのだと思う。

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サッカー選手は「自分が何者で、チームにとってどんな存在か」を示せる選手が生き残る。ドイツでプレーしていた2シーズン、自分が何者かを示すことができずシーズン途中でクビになる選手を何人も見てきた。

ありがたいことに、ドイツでは「シモはFWとして点をとってこい」「チームを勝たせるならなんでも良い」と監督から明確なミッションを与えられていた。持ち合わせているスキル以上の実力を発揮させるために必要なメンタリティは、チームメイトに引き出してもらった。「もっと感情を出せ!」「ピッチでは自由でいいんだよ!闘うことを本気で楽しんで!」と、ほぼ毎日のようにチームメイトやコーチが伝えてくれていた。

@Hänsch-Arena

結果として、ドイツで2シーズン連続2桁得点、2試合以外はスタメン出場という結果を残すことが出来たのは、明確な存在意義と、エモーショナルに闘うFWとしてのキャラクターをMeppenのみんなに引き出してもらっていたからで。自分の力でも、なんでもなかった。

そんなこともつゆしらず日本に帰ってきた私は、この2年半で自分が何者かを示すこともできず、周りの顔を伺いながら失敗を恐れて及第点を目指し続けるCBになっていた。

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2021シーズン終盤、チームメイト数名と練習後に話していたときのこと。ある選手が唐突に「このあいだのトレーニングのとき、シモ、怒ってたよね(笑)」「それ、自分も思った!珍しく怒ってたよね(笑)」と笑いながら話をふってきたことがあった。

そのシーン、実は私もよく覚えていたシーンで。なぜそれを覚えていたのかというと練習後に「感情を表に出して"主張できた"」とノートに書き出して振り返っていたから。「怒ってる」つもりは全くなく「主張」であり、自分にとってはサッカーをする上で必要な振る舞いだと感じていたこと。でも、その振る舞いの受け止め方にチームメイトと相違があった。

そのときに「この2年半、何もできていなかったんだな」と痛感した。自分がどんな選手でありたいのかを何も示せていなかったこと。サッカー選手なのに、周りの目を気にして、選手として大切なことを何もできていなかった。自分自身の総合的な未熟さをモロに感じた瞬間だった。

正直、この2年半、コンディションは上がってきていたと自負している(sunnyさんセリと出会ってから)。なんなら、今が人生で一番出来上がっていると思う。でも、なぜかそのコンディションをピッチで出しきれない自分を感じていて、その原因がようやく分かった。

周りの目を恐れて失敗を怖がって、カッコつけていたんだなと。チームスポーツの世界で、そりゃうまくいくわけもない。空っぽなプライドが邪魔して素直になり切れない自分が、一番自分を下手くそにしていた。

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2019年の春、現役選手として初めて、同性のパートナーがいることを公表している(これが日本に帰ってきた大きなキッカケでもある)。

そもそも、自分が楽になりたいがためのカミングアウトだったが、自分が思っていた以上に反響があり、自身のセクシュアリティやジェンダーアイデンティティに悩みを抱えている人から連絡がきたりもした。自分が学生だった頃に感じていた「普通はこうあるべき」への違和感を、現代の子どもたちも感じていること。20年も前、「女なのにサッカーしてるの?」と自分が言われてきた言葉を、今なお言われる子どもがいること。

いろんな声に触れる中で、自分たちの年代が未来を変える責任があると強く感じたことを覚えている。

ありがたいことに、この2年半、たくさんの発信の機会をいただき「社会を本気で変えたい」と突っ走ってたし、少しでも多くの人の「ありのまま」が肯定される社会であってほしいと声を上げてきた。

でもその裏側では、試合に出ることができず腐りかけ、ありのままの自分を見失いかけている自分がいること。社会に嘘をついているような申し訳なさと無力感を感じ続けていたし「こんな自分じゃ社会は変えられないな」と焦りを感じていた。社会を変える前に、まずは自分が変わらなきゃいけないと思い始めたのは2021シーズンの終盤になったころだった。

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2021年末、毎年恒例のGMとの面談のとき「今年でスフィーダを退団します」と伝えると、最初に返ってきた言葉は「引退?」だった。

毎年、年末年始になると、なでしこリーグ各クラブから移籍・退団のアナウンスが流れる。今年も例外ではなく、たくさんのアナウンスが流れていたのだが、今年に関してはやけに同年代の引退が多く感じた。高校時代に選手権で闘った選手や、大学時代には選抜チームで仲間だった選手など、続々と引退していく選手の顔ぶれがやけに悲しく感じたものである。

だから「引退?」と聞かれたとき「そう思われる歳なのか」と腑に落ちた一方で「そう思われる選手なのか」とショックでもあった。そして、なぜ「引退?」と聞かれたことがこんなにも悔しく感じるほどにサッカーを選手として続けたいのだろうとも思った。

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これまでもnoteやTwitterでも書き続けてきたが、私は日本の女子サッカー界に本当に本当に感謝している。女子サッカーのおかげでありのままの自分でいることの素晴らしさを知ることができたし、心から肯定しあえる素敵な仲間たちとも出会えた。

自らの経験を通して、日本の女子サッカー・スポーツ界は「普通はこうあるべき」に違和感を感じる人たちにとって必要不可欠な場所になり得るし、もっと多くの人のワクワクと誇りを生み出せる業界であるはずだと心から信じている。それと同時に、その絵姿を実現することができるのは、誰よりもありのままであることにワクワクしていている人だけだとも信じている。

「選手引退して、指導者になったらいいじゃん」「広告会社に入って、裏方でリーグを盛り上げることもできるよ」なんてこともたくさん言われてきた。けど、それらの助言に関しては「いや、それじゃ嫌だ」とキッパリ断ることができた。「トップリーグの選手として、ピッチの上で、女子サッカーが社会を変える瞬間にいたいんだ」と。

どんな時よりも、ピッチの上にいるときの自分が1番ありのままであり、ゴールを決めて感情が溢れ出す瞬間、ピッチを囲む全ての人と勝利を分かち合う瞬間ほどイマココにいるんだと思える瞬間はない。あの瞬間を超えるワクワクはない。

だから、「トップリーグの選手として、ピッチの上で、女子サッカーが社会を変える瞬間にいたいんだ」という想いは、私の中で達成したい人生の目標であり、達成できなければ絶対に後悔する。そんなの嫌だった。

でも、なでしこリーグで活躍できなかった自分が、このまま上のリーグに当たるWEリーグでプレーすることはできないだろう。だから、30歳になる3年後、FWとしてWEリーグで活躍する選手になるために修行に行くことにした。

今年の夏、再び、海外に渡る。

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毎晩、スフィーダのみんなとバチバチに練習するのも、しょうもないことでバカ笑いすることもなくなるのはとても寂しい。スフィーダの選手は本当の本当にいい奴らばっかりで、なんだかんだいつも笑わせてもらってた。

チャキチャキ関西人の中山さつき(背番号7) ,最高に面白くていいやつ

ピッチに立つことなく、ピカピカのユニフォームを着て後片付けをする自分に「次があるから、顔あげろよ!」と声をかけてくれて、久しぶりにスタメンで試合に出たときは「しものプレーがみれて嬉しかったよ!」と連絡までくれたサポーターの方々に、本当に本当に助けられた。腐らずにいられたのは(身半分腐ってた時期もあったけど)、あの時の声があったからで、心から感謝している。自分の実力不足で、そうやって支えていただいた方々に何も恩返しできなかったこと、本当に申し訳ない。

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海外にわたるまでの半年間、選手としては無所属になるわけだけれども、海外に渡ってすぐ、FWとして即戦力で活躍できるよう個人でトレーニングは続けていく。全国浦々、下山田と一緒にサッカーしてくれるという方、お声がけいただけるととても嬉しい。

なんだか、このnoteを書いていたら、身体にこびり付いていた空っぽなプライドたちがどこかに消えていった。今、まっさらになり、何も成し遂げていない自分にとてもワクワクしている。

2019年から2021年、とても辛くて、とても苦しくて、それでいてたくさんのことを学ばせてもらった2年間半だった。2022年、自分にしかできない形で、日本の女子サッカー界にスフィーダに、ちょっとずつ恩返ししていく。

Photo by まゆちゃん


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