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旅行記:23年9月佐渡旅行【通常版】

ここでは23年9月に佐渡へ旅行した記録を残しておく。
自分用の備忘録でもあるし、感情や感想を記録しておくものでもある。




移動ルートを示した図

序 出発前の話

この佐渡旅行は、元々は家族の発言が発端であった。
「金山が世界遺産に認定される前に見に行きたい」
「あと宿根木っていうところの三角家を見てみたい」
金山とは知る人ぞ知る佐渡金銀山遺跡のことである。ユネスコが佐渡金銀山跡を世界遺産暫定リストに登録されたのが2010年のことであるから、まあーだいぶ前のことなのだが、新潟ではちょくちょくそういう機運が高まっているという話題は目にするのだ。
本当に登録されるかはともかくとして。

旅行の日程は2泊3日。
同行者は家族1名、ふたり旅である。
家族のことをここでは便宜的に「おば上」と呼ぶことにする。彼女については後ほど軽く触れよう。

おば上は御年83歳。同年代の人と比べると10歳以上は若く見えるが、本人の中ではそろそろ年貢の納め時という感覚らしい。
ぼく自身も、佐渡に関する経験といえば、10歳くらいのときにフェリーからカモメにかっぱえびせんをあげたことと、なにかターミナルのようなところでお土産のキーホルダーを買ったおぼろげな記憶しかない。
それならば、ということで、2泊3日、佐渡金山、宿根木、あとトキの見学も加えた佐渡旅行が決まったのである。

仕事柄長期休みが取れないのでなかなか泊りがけの旅行に行くということができないのだが、この旅行の少し前くらいから会社のナンチャラカンチャラが変わって条件付きながら長期の連休もオッケーということになった。

5連休である。
ひゃっほいである。

5連休の1日目は弟の結婚式に出席した。
人生で初めて結婚式に出席したし、人生で初めて結婚式でスピーチをした。
2回目のスピーチはやり出たくないので、二人には幸せになって欲しい。

で、5連休の3日目朝に出発し、5日目午後に自宅へ戻ってきたのである。

ここまでで800文字…? いつ終わるんだ…?

フェリーの予約、宿の選定、行動ルートの作成などは全てぼくがやった。
まぁこういうのはネットを使える若いもんの役割と相場が決まっているのだ。
宿は1万~1万5千であまりお安くなく、あまりお高くもないところを探した。
移動ルートとしては両津港から時計回りに南へ下り、宿根木へ。
そこから西側の海岸を北上して1日目は金銀山近くの街のホテルに宿泊。
2日目の宿泊場所は両津の方に戻って、3日目の昼に帰ってくるという日程を組んだ。

移動手段はマイカーをフェリーで運ぶかレンタカーを借りるかの選択だったのだが、ここはやんごとなき理由によりレンタカーをチョイス。
というのは、おば上が船に酔いやすいタチであるからして移動はジェットフォイルと決まっていた。
しかしマイカーはフェリーにしか積めない。いや、積めなくはないが料金は人1人が乗ったぶん+手数料的なアレがかかるらしい。かといって別々に船に乗るわけにもいかないし……ということだ。
フェリーに乗り込むのもちょっとやってみたかったが、レンタカーを借りるのも初めての経験だったし、軽自動車より馬力もありクーラーの効きも良い車種を選べたのでこれはこれで正解だったと思う。
結果的に、走るのが楽しすぎて3日で200キロ走るはめになったのだが……。

ようやくだがここでおば上について少し説明しておく。
おば上と言っても正確には母の叔母、祖母の妹であるのだが、紆余曲折があって今は一緒に暮らしている。先程述べた通り年齢にしてはかなり若く見えるし健康だしオシャレだし頭もキレる、矍鑠としたしっかり者の女性である。
『女傑』、とさえ言えるかもしれない。
ド田舎の農家出身ながら定時制高校から裸一貫東京に出て、なんやかやあって名前を聞けば誰もが知るであろう某大手下着会社に販売員として就職してから、高度成長期の時流に乗って子会社を任されるなどの辣腕を振るい、定年後は国内外問わず旅行に行ったり山歩きしたり熊野古道を歩いたりといった趣味に興じて自由を満喫するというおっかねぇ経歴を持つ。
なんせあのプレジデントっちゅー雑誌の表紙を飾ったことまであるくらいである。冷静に考えたらなんでそんな人が身内におんねんというくらい出来過ぎだ。
パートナーには縁がなかったようだが、今の暮らしぶりを見ていると別にそういうの必要なかったんだろうなというのが正直な印象である。
なお車の運転が苦手らしく、一度は免許を取ったものの返上するまでペーパードライバーだった。あと歳が歳なので機械関係はいまいち。いくら賢くても、そこらへんは向き不向きがあったようだ。

出発前の話が長くなった。
そろそろ本題に入ろう。


1日目

 両津~赤泊

ジェットフォイル待合室

新潟港ターミナルからジェットフォイルに乗ってまずは両津港へ。
両津港ターミナルに降り立ったとき、構内は見覚えがあるようなないような不思議な感じ。たぶんここでキーホルダー買ったんだろうな…みたいな、そんな雰囲気はあった。あったが、なんせ20年以上前のことであるから、多分当時とは構内の様子も変わっているはずで、多分気のせいだと思う。
到着したところでもう11時台だったので、ここの売店でおにぎりや飲み物などを購入した。

両津港ターミナルに停泊するジェットフォイル

両津港ターミナルから振り返るジェットフォイルは意外とこぢんまりしているように思えた。高速船なのだからこれくらいの大きさでも不思議はないのかもしれない。

これはおけさばし。

おけさばし。


これは両津港ターミナルを一歩出たところにある(おそらく島で一番大きな)十字路。

本当にここが一番大きな十字路だった。

見渡すところにレンタカーの店やら釣具屋やらがたくさんあった。次に来るときは釣りもやりたいな。

2023年が猛暑続きだったのは記憶に残るところだが、この日も暑かった。

十字路を右手に行って橋を渡ると、今回お世話になったレンタカー屋さんがある。事前に予約してあった時間を変更してあったところうまく伝わっていなかったようだが、ともあれ無事にキーを受領して出発。

最初に出くわした看板、津神島公園
岩山の上には鳥居がちらりと見えた


この時点ですでにぼくは既にテンションぶち上がりであった。

見知らぬ道。
見知らぬ海。
見知らぬ土地。
見知らぬ景色。
かくして旅はここに始まれり!
みたいな。

上記の白地図の通り、佐渡の南東方面を時計回りに進むルートで宿根木を目指す。
日本一長い都道府県道である佐渡一周線と呼ばれる道だ。
右手には民家と田んぼ。
左手には日本海の内海。
普段住んでいる新潟県の山々がはるか海の向こうに連なっている。

奥に新潟の山々が見える

離島と言えどそこは人が暮らす土地。
人の営為がそこかしこにあり、海も山も平地も田畑も全てを駆使して人がそこに住んでいる。
そんなある意味当たり前のことですら、肌身を以て感じれば感動の種となり得るのだと今回改めて実感した。
都会への旅行とはまた違った『世界』とのコンタクトを感じた。

字義通りの内海ではないのだが、佐渡ヶ島と本州に挟まれた海は外側の海よりやはりいくらか穏やかだった、というのが旅を通しての感想である。
やはり大陸から吹き寄せてくる波は荒く高い。
旅の途中でいくつかダイビングができるお店を見掛けたが、そのどれもが東海岸側だったこともその証左であると言えるかもしれない。

後々触れるが、道中にはそこかしこに郵便局があった
こんな何でもない景色すらも写真に撮っていた。
いかにテンションが上っていたかが伺い知れる。

で。

赤泊港にあったオブジェ

時計の位置で言うと3時~6時くらいまでをややスピードを出しながら走り続けること2時間ほど。途中、赤泊という土地の公園でペットボトルとおにぎりで遅めの昼食を取る。

テンションぶち上がりのまま運転を楽しんでいたぼくは何の疲労もなかったものの、ここに来て懸念していた事項が現実のものとなった。

この旅行に来る少し前、テレビか何かで「老人にとっては楽しい長旅すら疲労の種である」みたいな言説を見掛け、折に触れて気に留めてはいたのだが……段々口数が少なくなり、眠そうな目になってくるおば上の様子に、コリャイカンと立ち止まることに。
前述のようにパワフルなおば上でも、やはり年齢が年齢だけに長距離ドライブは堪えたようだ。
ましてや佐渡一周線は海岸線に沿っていて、ぐにゃぐにゃと曲がりくねっている。ということは結構な頻度で左右に揺さぶられるということ。
元はと言えばおば上がメインの旅行なわけだし、その人が楽しめなければ意味がないわけで……ぼくも頭を冷やし、ここから多少メートルを下げて行くことになったのだった。
記録的な猛暑の真っ只中であったから、その影響も大きかっただろう。


 宿根木地区

そうこうしているうちに第一の目的地である宿根木地域の入り口に差し掛かってきた。

リンク→https://shukunegi.com

宿根木といえば三角家を始めとした木造の建物群が立ち並ぶ町並みのことを指すように思っていたのだが、実際はもうちょっと広い地域のことであるらしい。

その地域の中でも両津方面から来た観光客を迎え入れるような位置に建っていたのが、この第一のハコモノ、佐渡国小木民俗博物館
大正9年築の旧宿根木小学校の建物を流用した資料館である。

メインは飽くまで宿根木の町並みを見ることだったし、おば上の体力の問題もあったので、長時間の滞在はできなかった。ドライブの休憩がてらといったところである。
とはいえ、ド迫力の北前船の内部まで散策して船内の生活に思いを馳せたり、当時の民族的な資料を何点も拝見できたりしたのは大いに刺激になった。

北前船を正面から見た写真。カラーコーンがあの大きさである。

パイプ椅子との比較

特に興味を惹かれたのはゾンザと呼ばれる着物だった。
元々母が和裁をしていたことが関係してか、和服・着物といったものには人並みより少し興味があるのだ。
TRPG出身の自キャラ、所謂『うちの子』の何人かが着物を着用しているので、そういう意味でも間近で古い素材の着物を見られる機会というのは得難いものだ。帯の素材、色合い、帯紐の結び方、布の裁断面や仕付け糸などをじっくり見られるのは大変興味深かった。
まぁ、専門的な知識があるわけではないので、なんかこう、それっぽい気分に浸るだけなのだが……楽しかったからヨシ!
予定にはなかったが、寄って良かったと思う。

ゾンザを着たお嬢さん(奥さん?)の写真

帯の辺りのアップ

さて、先程第一と書いたのは当然そこが第一だからである。
実は、この博物館の入り口ではとあるチケットを売っていた。A4サイズのチラシのような地図でもあり、四隅がそれぞれ博物館と建物A・B・Cの半券にもなっている、アイディア溢れる1枚。もちろん、それぞれの入場料を単品で購入するよりかなりお安い。
訪問先を絞れば安上がり、ではあるのだけど、これから宿根木地区を楽しもうという観光客がそんな塩い考え方をするはずもなく。
なるほど! これがこの佐渡国小木民俗博物館の役割! ……かどうかは定かではないが、旅行先で観光費をケチっても仕方ないので、我々ふたりもこの地図兼チケットを購入。
よく考えられているなぁと思いながら、博物館を後にしたのだった。

宿根木地区は昔の町並みが色濃く残っており、観光名所になるに相応しい風情のようなものを備えた良い街だった。
公会堂の文字も年代を重ねた風格のようなものを漂わせている。

公会堂と猫
公会堂と猫、2

余談だが、この公会堂と猫の写真は今回の旅のベストショットかもしれない1枚である。

件の三角家では案内人の人がおり、かつてここに住んでいたお婆ちゃんの身の上話を解説してくれた。そのお婆ちゃんも和裁をしていたと聞き、なんとなくシンパシーを覚えた。といってもあの時代は、男は外で仕事、女は家で仕事、という分担があっただろうから、お婆ちゃんも生業として学んだのではなく生活の必須技術の延長で和裁をしていたのかもしれない。
この頃の寡婦は優先的に商売を開ける権利、またその商売を守られる権利も持っていたらしい。その売り物というのが、塩などの生活必需品、煙草のような当時ほぼ必須の嗜好品などだった。煙草屋をやってるお婆ちゃんが多いのはそういうことだったのか、と納得がいったものである。
他の家でも、庄屋の家では案内人の人がいたり、石壁をくり抜いた倉庫を見たりできた。
この頃にはおば上の気分も多少は晴れていたようで、疲れを訴えつつも宿根木散歩は楽しめたようだった。

三角家の見取り図
三角家の一角。塩の釣り看板が見える。

他の公開されている民家も一通り散策した後、このよしかわ屋で火照った体を冷やすべく梅サイダーを頼む。
これがまた美味しかった。

よしかわ屋 日差しが強い
赤を貴重とした内装は華やかだった

このお店から左手の海へ出ると、たらい舟の体験できるコーナーもあった。
ただ、ぼくもおば上もあまり興味はなかったのでここは華麗にスルー。
なんかあったら嫌だしね。
というかこの時点でわりとグロッキーであった。南無。



 宿 ホテル万長

そんなわけで、宿にチェックインしたのは予定の16時から1時間も早い15時のことだった。
ともあれ荷物を部屋において一息つく。
新しくはないが、年代を経て生き残ってきた歴戦の戦士のような風格を漂わせたホテルだった。

外観
客室の窓から見える日本海

外海がいい感じに見える部屋だったので夜も朝も良い景色を眺めることができた。

リンクはこちら https://www.hotel-mancho.jp

事前におば上に聞いてあった希望では「温泉があるところがいい」とのことだったので、万長も翌日のホテルも大浴場が温泉になっている。
同じところに2泊することも考えていたのだが、相談の結果、「せっかくだし日毎に泊まるところ変えたほうが色々楽しめていいよね」ということになり、1日目は西側の海のそば、2日目は東側の加茂湖のそば、という風になっていた。

母がそうだったのに影響を受けてか、ぼくも真っ昼間から温泉に入るのが割と好きな派閥に属している。なのでホテルについて荷物を置いて、とりあえず風呂でも入るかっちゅーことで入ってきた。
大浴場からも外海が一望できる……っていうか、あてがわれた部屋が大浴場のおそらく右上くらいに位置していたらしく、だいたい似たような景色でちょっと笑った。
でもあそこ、身を乗り出すと道路から普通に裸が見えるんだよな……人通りが少なかったから良かったものの……。

ホテル万長では予算の関係もあり、素泊まりプラン(夕飯無し・朝食付き一泊二日)での宿泊だった。
夕飯つきだとね、一人当たり+7000円くらいでね……どうしようか迷ってるうちに夕食付きプランが埋まっちゃってね……。どうせ近くにお食事処がなんかしらあるだろう、と踏んで素泊まりプランを選んだのである。

人心地ついた後は、ホテル内の散策。
地階はかなりゆったりとした造りになっており、タイル張りのフロント付近、絨毯が敷かれたロビーのようなところ、バーカウンターらしきところ、それとなかなかに広い売店に、ちょっとした工芸品の展示もあった。絨毯の敷かれたロビーには20脚くらいの半球形の体を預けられるタイプの椅子があり、いつかの時分には使われていたであろうバーカウンタースペースは今は積極的には使われていないようだった。

翌朝撮った写真

エレベーターの横からは併設された展示館へと入ることができ、色んな絵画や掛け軸や和箪笥の装飾金具などを見ることができた。物品の価値のほどは測れなかったが、そういう展示品を置いてあるということ自体になんだか良さがあるように思えた。(ふわふわな感想)
ちょっと興味を惹かれたのは、建物の奥まったところに『仏間』と書かれた部屋があったことだ。失礼して襖を開けてみると、当然ながら仏壇があった。おおよそ5畳くらいの部屋だろうか。特別な儀礼をするような部屋には見えない。特別に飾り立てられているわけではなく、ただそこにあるべくしてある、というような感じ。仏間がある宿には泊まったことがなかったので、結構新鮮な驚きがあった。

タンスの金具コレクション
展示室

仏間 杵と臼が使われていた時代もあったのだろうか

館内の散策を終え、ホテルのフロントの人に周囲のお店のことを尋ねると、ご丁寧に周辺一帯のおすすめ食事処のパンフレットをもらった。さすが伝統と風格の宿、準備が良い。地域ぐるみでこうして連携しているのはかなり好感度が高い。
その中で目に止まったのは地元の商店街『相川天領通り』の一角にある『板前の店 竹屋』というところ。

相川天領通り

ホテルからゆっくり歩いて10分ほど。海鮮が食べられて口コミの評判も良くお酒も飲めそう、ということでチョイスした『居酒屋 持田家』……が定休日だったのでその横の竹屋さんに入ったのだが、いやはやこれが大正解。
お店の雰囲気も良く、女将さんの人柄も丁度いい塩梅で、広すぎず狭すぎない椅子とテーブルはぼくのような巨漢(自分で自分に巨漢っていうのなんか自意識過剰みたいで嫌だな……)でも大変居心地が良いスペースだった。
中でも美味しかったのはお店イチオシの料理である「いかのゴロ焼き」と「風和」と書いて「かぜやわらか」と読む佐渡の地酒である。他に海鮮丼と「至」も飲んだが、ゴロ焼きと風和は大変に気に入った。
イカのゴロ焼きはぶつ切りにしたイカや野菜を味噌味で煮込んだちゃんちゃん焼きのような料理で、あまじょっぱい味付けでご飯にとても合った。海鮮ということで刺身や海鮮丼なんかを期待して入ってきた我々に「調理ってのはなぁ! 素材の良さを引き出すことを言うんだよォ!」と右ストレートを食らわせるような一品だった。(そんなことしそうな女将さんではなかったが)
風和はこれがまた異な味わいで、まず口に含んだときは酒とは分からないほどのまろやかさで、たとえて言うなら酒の旨味が水に揺蕩っているような印象。日本酒を味わうときは口の中で転がすのが良いとされるが、風和の場合はその段階ではまろやかな旨味が曖昧な実態を伴ってふわふわと揺蕩っているだけに過ぎない。だが、一口飲めばその印象は一変する。喉を通り過ぎるたび、爽やかな風が草原を撫でるように旨味が体を駆け抜けていく。その感覚が、その味わいが、病みつきになる。体は居酒屋の一角で徳利とお猪口を持っているだけだというのに、いつの間にか体は一面に緑萌ゆる草原に立っていて、和らかに吹き抜ける風を全身に感じているのだ。

イカのゴロ焼き また食べたい!
お酒~
イクラ丼も食べました うまかった

流石に褒め過ぎだったかもしれない。
まぁ、そのくらい気に入ったお酒ということで。

そんな出会を経てすっかり良い気分になったぼくは、珍しく若干の千鳥足でホテルに帰ることになった。その時撮った写真もかなり手元がブレている。ここまでになるのは本当に珍しいことだ。


 宿 ホテル万長 夜間ツアー

食事に出る少し前のこと。
2つあるエレベーターの間のスペースに、ある張り紙がされていた。

『佐渡おけさ鑑賞会』
『北沢浮遊選鉱場ライトアップ バスツアー』

リンク→https://niigata-kankou.or.jp/event/42841

ロビーでナマ佐渡おけさを踊る様子を見られるイベントと、ライトアップされた浮遊選鉱場跡を見学できるバスツアー、両方、無料。
これ、素泊まりプランでも一緒に体験していいんですか? 一人1.5万円ですけど大丈夫ですか? 追加料金払わなくて良いんですか?
マジ??
伝統と格式の宿、凄い。
改めてそう思った。

そういうわけで、竹屋さんからはこのイベントに合わせて夜8時頃には帰ってきていた。酒には割と強い方なのでその頃には足取りも元通り。いや嘘、ちょっとふらついてた。

佐渡おけさを踊る集団は、全員で8人くらいだっただろうか。男性がほとんどで三味線を弾くおじいさんが最も年配に見えた。若い人も1,2人混じっていた気がする。
拍手が飛び交う、とても良い鑑賞会だった。

佐渡おけさ鑑賞会は20分ほどで終わり、それからバスに乗って浮遊選鉱場跡へ。

こちらは2日目の昼にも足を運んだので後ほどまた触れるが、ざっくり言うと「専用の液体によって(不純物を含んだ)金属を浮遊、岩石などを沈殿させて行う選鉱法」を「浮遊選鉱場」と言い、ここはそれを実施していた工場の跡地である。
夜間だったので全体像がいまいち掴めなかったものの、カラフルにライトアップされる廃墟は美しさと同時にどこか厳かな雰囲気もあり、結構な見応えがあった。
ちなみに自分で撮った写真はブレブレだった。スマホの性能の限界もあり、写真については上のURLを見てもらったほうが良いだろう……。

こちらは移動時間込みで正味30分くらいのツアーだっただろうか。
それでも疲れが溜まった夜間に見知らぬ道を運転して出歩く気はなかったので、このタイミングでイベントに参加できて本当に僥倖だったと思う。

その後は翌日に備えて寝ることに。
この文章もようやく2日目に突入する。
ここまで8000字だから言うほど増えてないな。よし。(?)



2日目

 万長出発

この日は晴れ時々雨といった感じの天気。
時折ザッと降ったかと思えば雲の晴れ間から日差しが差し込むこともあり、眺めるには良いロケーションだった。出歩くには不便だったが。
余談だが、雲の晴れ間から差し込む陽光のことをエンジェルラダー、天使の梯子と言うらしい。随分と洒落た名前だ。

朝日と海

朝。
部屋から見える雄大な日本海に改めて旅の良さを噛みしめる。
早めに目が覚めたので、朝食の前に運動がてらホテル周辺の散策をした。

先にも言った通り、道路を1本挟んですぐに海岸線である。
見慣れぬ景色の見慣れぬものは何もかも新鮮な刺激に満ち溢れていてとても楽しい。

スキー板みたいな形の案内板
歴史を感じる民家
民家その2
喫茶店コロンビア

喫茶店コロンビアの建物は遠くから見ると猫耳の生えた家に見えたので、ついつい見に来てしまった。

ところでこの民家群、長く均等なサイズの板を何枚も使って建てられていることにお気付きだろうか。
単なる建材の特徴……ということではない。これは確か佐渡国小木民俗博物館の資料に載っていた話なのだが、これらは古くなった北前船の船体を解体したときに出た廃材を再利用して建築されているという話らしい。
特に宿根木地区ではその傾向が顕著だったが、一部の木材はこうして相川の方にも流れてきたのだろう。
大きな船に使う木材は、サイズ・品質共に上等なものを使用しなくてはならない。命と積荷を預かるものだから当然だ。そうこうして役目を終えた木材は家屋の建材としてもうってつけだったようで、海で命を守った木材は陸地でも命を守っているのだなぁと感慨を覚えたものである。

さらにもう一つ余談がある。
佐渡一周線を走っていると目につくのが、郵便局であった。
少し走ると郵便局、また少し走ると郵便局、小さな港のそばにある名も知れぬ漁村にも郵便局。途中から郵便局の数を数え始めたくらいには頻繁に郵便局があった。
銀行と名のつく建物を見かけるのはかなり後で、それも島の中央を走る道の周辺にしかない。
つまるところ、こういった島の小さな村々の人たちの経済的な側面に寄り添うのは郵便局なのであった。郵便を出したり受けたりというのももちろんそうだし、ATMやら保険やらといった生活に寄り添うサービスも提供しているのだろう。
そういう意味でも、郵便というシステムに改めて畏敬の念を抱いた。

「げこ」ではなく「おりと」と読む

さっきは感慨を覚えたり今回は畏敬の念を抱いたり忙しいな?!
旅、楽しいです。

で、これは朝食。

重箱を……
開くとこう

おば上は朝食はバイキング派だったようで、もうちょっと品数欲しかったな~なんて言っていたが(ここらへんバブル期の感覚が抜けていないようである)、ぼくとしては上品で華やかで大満足だった。これ一人当たり1.5万円なんですけどいいんですか?
流石に魚のお刺身は出てこなかったものの、コストカットしつつお客様の満足度をなんとか上げようとイカを添えてみたり海藻しゃぶしゃぶを用意してみたりといった企業努力が想像できてむしろ好印象だった。特にコストを抑えつつ海の幸を味わってもらうために海藻しゃぶしゃぶをチョイスするセンス、かなり好き。

客室番号510

ちなみにこちらは某所で「後藤ってどこにでもいるよね。もしかして後藤の呪いとかある?」という話の流れが生まれたときにちょうど手元に後藤があり、「あwww部屋番号後藤じゃんwww呪われてるwww」ちゅって撮った1枚。
後藤さん(仮名)(本名)に某所で見せたら大ウケでした。

最後に部屋からの日本海を見納めて、出発。


 尖閣湾

1日目のところでも触れたが、おば上の年齢では長距離・長時間ドライブに耐えるのが大変ということもあり、前日に話し合ってこの日は予定していたコースを多少変更していた。
具体的には、大佐渡スカイラインを登る予定だったのを丸々カット。尖閣湾から浮遊選鉱場跡をまわり、金銀山構内を見て回って2日目の宿へ、といった感じだ。

リンク https://sado-ageshima.com

どこの崖もこんな感じ
「君の名は」!?(句点がない)

尖閣湾は峻厳な岩山がむき出しになった大きな湾で、洞窟のようなところに設置された階段を降りて海岸まで降りることができる。
ここでは海中を観察できる特別な遊覧船に乗れるということで、一人頭1500円払って乗ることにした。観光地価格……。でも面白かったのでヨシ!
途中、ヒッチコックの鳥みたいなシーンに出くわしたりもして。
遊覧船のアナウンスが昭和みたいな趣でおもろいな~と思いながら約20分ほどの海上散歩を楽しんだ。

鳥(カモメ)

おば上曰く、「尖閣湾は『君の名は』っていう映画のロケ地になったところなのよ」とのこと。
『君の名は』!? あれってなんか中国地方(うろ覚え)がモチーフじゃなかったっけ!? と一瞬びっくりしたが、どうやら全然違う内容の昔の映画で『君の名は』があるらしい。
名も知らぬまま再会を誓った男女の物語で、そのヒロインの氏家真知子のストールの巻き方が通称”真知子巻き”と言われて流行したのだとか。
真知子巻きなら聞いたことあるなぁ……そうかぁ……ここがあの……と知識と知識がくっつきあうとき独特の感覚を得たのだった。
それから満足したおば上に先に車まで帰ってもらいつつ、自分は駆け足で併設の水族館などを見て、この場を後にした。もうちょっと見て回りたかったけどね。ここはメインでなかったのでね。

もうちょっと見て回りたかったな


 北沢浮遊選鉱場跡

お次は北沢浮遊選鉱場跡。
昨夜は暗くて全貌がよく分からなかったが、昼に見るとまんま廃墟・遺跡といった印象だった。
これほど巨大な施設を作ってまで金を採掘していたんだなぁと思うと、当時の栄華が偲ばれるような気持ちになった。
とはいえ、今あるのはほとんどが跡地で、それぞれの立て看板で当時の様子がうかがい知れるのみである。
カフェとかも入ってみたかったんだけどねぇ、今回はメインじゃないから駆け足気味に。

でけー
でけー

あっ、この項目短っ!
でもまぁ他に書くことないしな…。

無名異焼という焼き物の窯兼商店があり、上品なで綺麗な色合いが結構好みだった。弟夫婦のところにプレゼントしてやろうかという相談もしたのだが、今回はとりあえずやめておくことになった。焼き物、高いね……。
余談だが、るろうに剣心という漫画は作者和月伸宏氏の出身が新潟であり、登場人物の名前がちょくちょく新潟にゆかりのあるものから取られている(特に顕著なのは明神弥彦とか)。この無名異焼を由来とするキャラもいて、名を八ツ目無名異と言う。まぁ、敵集団のやられ役的な立ち位置だったんだけどね…。


 佐渡金銀山遺跡

さあ、ここからがおば上の本命、佐渡金銀山遺跡。
入り口はやや山の中へ入ったところ。駐車場は結構な傾斜があり、うっかり転びそうになるようなところだった。

右と左で雰囲気が違いすぎる

こんな感じで比較的新しい看板があり、Wi-Fiも通っていたりする。あんまり通信状況は良くなかったが、インバウンド客はWi-Fiが繋がっていないとまたたくまにブチ切れるという話を嘘か真か聞いたことがあるので、そこらへんはかなり先のことを意識していると言えよう。

この看板の通り、佐渡金銀山は大きく分けて2つのコースが有る。
おば上の希望を聞くとやはり「両方」ということだったので、Aコースのチケットを買って構内へ。

説明書きの例

構内では至るところに立て看板があり、人足の名称や仕事内容といった解説が英語と併記されて載っている。
スピーカーから声が出ていて、動く人形が時折こっちに視線を寄越す仕草はなかなかに怖かった。
最初の景気が良かった頃は人足もまあまあ良い暮らしをしていたものの、段々と金が枯渇するに連れ無宿人などを雇い入れ人件費を浮かせることで対策していたらしい。いつの時代もそういうことはやってるんだなぁと思った。

雨と坑内から出る冷気(坑内は常に10℃くらい)で白くなっている

コースは有名な『道遊の割戸』の間近まで続いていたのだが、屋根のないところを進むちょうどそのタイミングで土砂降りに見舞われており、そこまで歩き通しだったので断念したということもあった。
ここはちょっと惜しかった点。

鉱山仕事の詳細はここでは省く。書いてたらもう1万字くらい必要そうなので。
ただ、やはりこう、なんというか、この佐渡金銀山遺跡そのものが、さながら金のようだなぁというのがぼくの感想だった。
希少な鉱石を生み出し続け、江戸幕府の財政を支えたという歴史。マクロ的な視点で見ればそのネームバリューは華やかで綺羅びやかだが、ミクロ的な視点に立って、その裏で働き続けた人々や栄枯盛衰を想像するとずっしりと心が重くなる。太古の昔から栄華の象徴として扱われてきた『金』の、見た目の華やかさと質量の重さという特徴的な二面性を備えた遺跡であるように思えた。
この遺跡が世界遺産として適切なのかどうかぼくには判断がつかないが、恐らく未来へ残す意義はきっとゼロではないのだろう。

 佐渡本間家能舞台

金山を出て、お昼ごろだったので相川天領通りまで戻ってきてお昼ごはん。昨夜の竹屋さんの隣の『居酒屋 持田家』というところで海鮮丼を食べた。ただその……まあ……古民家を改築したお店なので、申し訳ないけどぼくの体格では椅子とか机とかが合わなくてぇ……申し訳無い……大変申し訳ない……。海鮮丼は美味しかったです。

また食べたい

それから島の中央を通って東側へ。
後々見た資料館(正式名称を思い出せない)の解説によれば、佐渡ヶ島は大佐渡と小佐渡という2つの島が海底からせり上がってくっついてできた島であるらしい。そのため、大佐渡と小佐渡の中央にはそれぞれ山地があり、海岸線では海と山がかなり近い。うってかわって島央には比較的平地が多く、一面の田んぼが広がっている。その光景は越後平野と似ていて、なんだか親近感があった。トキが飛ぶ空、と銘打たれているのもその周辺だ。

「大佐渡です」「小佐渡です」\二島合わせて、佐渡島で~す/ 漫才コンビかな?

途中、事前に聞いていなかったお目当ての建物があったようで、車を止めてという声がかかった。
それがこの項に掲げた本間家能舞台である。
この能舞台は新潟県指定有形民族文化財となっており、詳しい説明は省くが、現在でも年に数回ほど能舞台が披露されているらしい。
おば上のイメージでは結構華やかな建物を想像していたようなのだが……オフシーズンでは誰も手入れをしていないのかちょっと寂れている感じだったので、残念そうにしていた。
この能舞台では薪能と呼ばれる野外での披露が主流なようで、建物に貼ってあったポスターは、そういえば佐渡フェリーのターミナルでも見かけた記憶があった。
ちなみに薪能たきぎのうと読む。ポスターにTAKIGINOUと書いてあったのですんなり読めたが、とある知り合いの兎にその話をしたところ「いやー初めて見たときまきのうって読んで笑われてさ」というエピソードをもらった。相変わらず引き出しの多い人である。

浄財入れてくれば良かったかも


 宿  きらく

その日の宿についたのも、前日と同じく午後3時か4時頃。
やはり疲れていたので予定より1時間くらい早めのチェックインだった。

外観
左が一般浴場、右が個室露天風呂の建物
手前が加茂湖、右が日本海、奥が大佐渡

リンク http://sado-kiraku.com/index.html

立地としては加茂湖の東側に位置し、両津港からもさほど遠くないところにある。
屋上からは日本海の内海と加茂湖の両方、そして加茂湖を挟んで向こう側に大佐渡山脈が見渡せる、ものすごくいい景色の宿だった。パノラマ浴場も大きな窓がそちら方面に向いていて、同じような景色を見ながら温泉に浸かることができる。
前日の万長と比較するとホテルと言うより旅館という趣が強かったが、凝った調度品が据えてある一室もあり、小さいながらも誇りある宿泊施設といった感じ。
また道路を挟んで向かい側には予約制の個室露天風呂と一般開放してある公衆浴場がある。

夜に個室露天風呂の方を利用させてもらったが、これもなかなか良い雰囲気だった。ただその……おそらく売りであるだろう加茂湖を一望できる展望も、宵闇の中ではほとんど何も見えなかったのが難点か……。
ほぼ貸切状態だったので2階の湯楽長屋なるところでもゆったりできて、その点でも良かった。またナントカという青い瓶の麦焼酎が置いてあり、それもなかなか美味しかったのでおかわりもしてしまった。ビバ貸し切り。

こちらの宿泊プランは1泊2日夕食付きプランだったので、夜は超豪勢な夕食が出た。
刺身! 天ぷら! カニ! タコ飯! 冷凍おけさ柿! 牛すき! 酢の物! あとなんかいっぱい!!
近場に飯屋がなかったので、そういった意味でもこっちは夕食付きプランにして本当に正解だった。こちらで節約してたらどこで夕食にありつけたかちょっと分からない。

左の方にタコ釜飯がある

この日もおば上は色々なところを歩き回って疲れたのか、さっくりと就寝。同じ部屋に寝ていたので、ぼくもさっくりと就寝。床についたのが確か午後10時くらいだっただろうか。

――が、しかし。

ぼくの冒険欲は満足していなかった。
もちろん慣れない道の運転ということでこの日もテンション上がりっぱなしだったのだが、どちらかというとおば上の興味のある観光地がメインだったこともあり、なんとなくエネルギーが有り余っていたような感覚があった。

じゃあ、もし明日早起きできたら。
そして、疲労感がなかったら。

――行くか。

そう心に決めて目を閉じたのだった。


3日目

 早朝 二ツ亀 大野亀

目覚ましはかけないと決めていた。
何故なら疲労があるなら回復を優先すべきだと思ったし、おば上を起こしてしまう可能性もあったし、そもそも起きれるなんて思ってなかったし。

ぱち、と目が覚めた。
室内は真っ暗。
外も真っ暗。
スマホの時計を見る。
朝4時を過ぎたところ。
疲労は?
眠気は?
問題ない、と自答した。
この時間なら朝食までには帰れる。
行ける。

こっそりと財布とスマホと車のキーを持ち、こっそりと着替えて、こっそりと部屋を抜け出した。
誰もいないフロントを抜け、常夜灯だけが照らすエントランスを抜け、自動ドア。
開くか?
少し不安だったが、ちゃんと開いた。
気分はさながらスパイ映画である。(なんでやねん)
かくして真っ暗闇のなか、早朝のドライブはスタートした。

うん。
超楽しかったです
行ってよかった。

近くのローソンで念のためコーヒーと飴を買い込み、飲み食いしながら片道1時間ほど。高低差もあり左右カーブもありのうねるような道のりをぐいぐいと走っていく。
左手は車のライトに照らされているから林があると分かるのだが、右手はもうずっと暗黒。空と海と陸の境目すらも分からない暗黒。たまに見える船の明かり――あれはイカ釣り漁船だっただろうか――の周辺だけに、かろうじて海が存在することを認知できるような、そんな暗黒の世界が一面に広がっていた。
帰りに同じ道を通って驚いたのは、暗黒に見えた場所がほとんどすべて海だったということ。光の照らさない海面のなんと昏いことか。大自然というフィールドのなんと底知れぬことか。そんな海っぺたの道を、なにも見えないからと結構な速度で車を飛ばしていた行為のなんと野蛮なことか。そんな感動を遅ればせながらに味わうことができたのだった。

出発した頃に撮った写真を補正したもの 多分空か…?
影しか見えない二ツ亀
到着ッ……!!

そんなこんなで、佐渡ヶ島の北端辺りにある名所のひとつ、二ツ亀のところまで到達する。
この時間ではまだようやく朝ぼらけといった頃合いで、二ツ亀もシルエットくらいしか捉えられない。カメラ機能の露光などを調整してようやく見えるか見えないか……みたいなところだったので、ここはすぐに出発。
北端を少し西に回り込んだ大野亀に着く午前5時頃には、空もかなり明るくなっていた。

リンク https://niigata-kankou.or.jp/spot/9969

看板にはキバナカンゾウって書いてあるな…

ここはトビシマカンゾウが有名で、季節になると写真のように鮮やかなオレンジ色の花が大量に開花する。
当然ながら9月は時期外れであり、花なんて一輪も咲いていなかったのだけど、それでもその土地に行ってみるということには価値があると考えたのだ。
大野亀の周辺を散策したりしているほんの20分の間に、急激に周囲は明るくなっていった。特別な時間が終わってしまったようで寂しくもあり、一つの冒険を終えたようでなんだか満足感もあった。
大野亀の鳥居を前にして頂上まで登ってみることも考えていたのだが、どうも片道30分はかかるらしく、ということは急いで走っても往復40分はかかるだろう、そもそもそんな体力は運動不足で運動音痴気味の自分にあるわけもなかったのできっぱり断念。弟なら行けたかも知れないが、流石にね。
ということで明るくなった道を引き返し、7時の朝食に間に合うように帰ってきたのだった。

朝の空
鳥居と大野亀
帰路の朝日 てるてるすみっこの背景にもなった

朝食はこんな感じ。胃に優しそうなメニューは今見ても食べたくなる。右手の味噌汁の上にあるのはハマチのフレークで、地場産品だったそうだ。
あと物々しくて迫力満点の調度品コーナーの写真。

おいしかったです
ちょっと大陸風


 トキの森公園 トキテラス

大野亀まで走ったことをおば上に教えたらびっくりされた上にまあまあ羨ましがられた。流石についていきたかったとは言わなかったが。

さて、その後は宿を出発し、金銀山の次のお目当てだった朱鷺を見に走ることになった。

最初に来たのはトキの森公園である。

地図

リンク https://www.city.sado.niigata.jp/site/tokinomori/1161.html

日本で育ったニッポニア・ニッポンのキンは数年前に亡くなってしまったが、今は同じ種である中国から輸入したトキを野生復帰させるための活動が行われている、というのは世に周知されている話だろう。人間の身勝手さ、傲慢さが表れている話である……とはここでは言うまい。昔と今とでは人間の意識も改革されたという、良い方面の話だ。

おば上の希望は「トキが飛んでるところを見たい」だったが、今回の旅ではそういうシーンは見られなかったのが残念だった。野生の姿はもちろんのこと、育成しているケージ内でもそういう姿を見ることは叶わなかった。まぁ野生動物のことだし、そうそう人間の思う通りには動いてくれないものだ。

キンの剥製

トキにゆかりのある場所はもう1つあり、それがトキテラスと野生復帰ステーションの観察棟である。

リンク https://www.pref.niigata.lg.jp/site/toki-st/tokinoterasu.html

いや2つやないかい! というツッコミを自分でしかけたが、ホームページ的には両方とも同じ施設の建物という認識であるらしい……。なるほど……。
トキテラスは丘の中腹にあり、そこから島央の田畑と大佐渡山脈がぐるりと見渡せる。運が良ければ、ここで朱鷺が空を飛ぶ姿が見られるのだろう。
観察棟は大きな野生復帰用ケージに隣接していて、望遠鏡で順化訓練中のトキを観察することができる。……はずなのだが、ここでもやはり飛んでいる姿は見られなかった。

トキのテラス
テラスからの眺め
観察棟

トキの羽根がいわゆる朱鷺色になるのは春から夏にかけての繁殖期であり、トビシマカンゾウの開花時期と重なる。そういう意味でも9月はちょっと時期外れだったかな~という感は否めないものがあった。
次に来るときは6月だね、なんて話をして、レンタカーの期限が迫っていたので両津港へ。


 両津港~ジェットフォイルで帰宅

11時頃にレンタカーを返却したものの、ジェットフォイルの乗船予定は午後2時か3時だったので、この辺で余裕を持ったのがちょっと仇になってしまった。
元気が有り余って仕方ないので、おば上をターミナルの待合室に残し、ぼくは炎天下でひたすら歩いて散策していた。当然汗だくになった。

ここはあまり書くこともないので、両津港について少し触れておこう。
両津港は古くは夷港と呼ばれていて――はいここ、これだけでも港町感溢れてていいよね。
御存知の通り恵比寿神は豊漁の神として有名でもあるし、夷という漢字であればこれは異邦のもの、異国のもの、転じて非日常からの来訪者、更に転じて鯨や大型の魚を意味する。そういった慮外からくる漂着物を恵みとして信仰することで、寄り神信仰や漂着神といった概念が生まれたのである。まさに港の名前としてはド真ん中ストレートと言えるだろう。
良いよね、こういうの。

それと驚いたのは、両津湾と加茂湖が本当に近いこと。
湾口から伸びる水路を見ながら歩いて数分もすると、もう加茂湖の入り口に到着する。この水路は水害を防ぐために人工的に開かれたものであり、それによって海水が流入し、加茂湖は汽水湖となったのである。
新潟の方にも干拓して田んぼになった湖沼は広くあるが、こちらでも水害との戦いがあったのだなぁと思わせてくれた。

終 帰宅後の話

一応項目を分けたが、これと言って話すことはない……。
翌日からもう仕事だったので、なんか普通に日常に戻っちゃったなという感じだった。
とはいえこうして家族と旅行に行く機会もなかなか無かったし、おば上に孝行できて良かったし、佐渡という地を大人になってからきっちりと記憶に刻むことができて本当に良かったと思う。

あと、ずっと文章に起こすのをずっとサボってたけど、なんだかんだ尻を叩いてくれる人がいたので4ヶ月越しではあるがどうにかこうにか読める形にまで持ってこれた。
もちろん自分用の旅行記でもあるのだが、自分用というだけだとなかなか動けない人間でもあるので、モチベーションを与えてくれて大変感謝している。

また、もしここまで読んでくれている人がいるなら多大なる感謝を。
こんなまとまった文章を書いたのはいつぶりだろうか。

さあ、次は東京旅行の旅行記も書かないといけない。
ここまでで1万6千字なんだけど、東京の方はどのくらいの長さになるのだろう。
がんばろう。自分のためにも。



またね~

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