才能を活かす才能だけでフリーランス15年目を迎えられた奇跡の軌跡。①独立前までダイジェスト(前編)。
こんにちは。
フリーランスで福岡で何やってるかよく分からないと言われ15年目を迎えた不思議系フリーランスの下野です。笑
詳しくはこれから続けていくnoteで振り返っていきますが、不動産業界で建築などハードではなく、場づくり・コミュニティ・シェアなどソフト面で関わり価値を生み出すみたいな変わった仕事から2011年にフリーランスが始まりました。
そこから新聞社の新規事業の中のスクール企画運営、天神の交通戦略の市民向け体験企画、天神まちづくり協議会のベンチマークづくりのためのリサーチなど、民間のインターナショナル公民館立ち上げ、学生の就活支援などの社団法人の立ち上げと理事参画、1坪ショップの集まるリトル商店街のプロデュース、税理士法人の雑多な実践を支援するスペースのアドバイザーなど一貫性が一見ないけど自分の中でこれだと思える仕事を受けてきました。
それ以外にシェアオフィスを自分で運営したり、もづくりクリエイターのアンテナショップをDIYで10坪ぐらい10万以下で開業して、その後商業施設(イムズ、AMU博多など)からお声がかかり出店、シェアキッチンなど場づくり×小商いのような事業も行ってました。
これから才能というテーマで新たな取り組みをする上で、まずは自分の才能がどのように発揮できてきてのかフリーランス14年を振り返ってみようと思いnoteを始めることにしました。
自分の才能をもっと発揮して働きたい・生きたいと思ってる方、自分の才能を活かしてスモールビジネスや小商い、フリーランスという自分らしい事業・商いをしたい方にとっては何か参考になるかもしれません。
まずは独立するまでの話をさかのぼってみます。
ターニングポイントに沿ってお話ししていきます。
高校生までは平々凡々
平凡な一般家庭で育ち、普通の子どもでした。
変わってたとすれば放任主義家庭で〇〇しなさいって言われたことが記憶の限りないので、それで主体性が育ち自分で考え自分で決めて動くという精神の基盤ができたような気がします。
小学校は遊んでばかりで夏休みの宿題も新学期はじまる数日前に日記を創作で全日程分書いたり、勉強もしないので中学校1年では200人中170番ぐらいの成績。
担任の英語の先生に心配かけて悪いなと思ったことがきっかけでちょっとだけテスト勉強したら50点台の点数が85点になったので点数が上がるゲーム感覚で成績が上がりだす。
この辺りから効率化、戦略、要領良いみたいな才能の要素が芽生えはじめた気がします。高校も進学校に行ける成績になり、高校行ってからもクラスで1桁の順位ぐらいは取ってたと思いますが記憶があまりなく。。
進路もとりあえず何も考えず大学でも行くか ⇒ 親にお金出してもらうから安いところ(国公立)、長崎から福岡ぐらいに行きたい ⇒ 九州大学ってところでいいや(気を悪くされたらすみません)。
そんな感じで進路を決めたので合格しても1mmも喜びはなく、入学式数日前に母親にやっぱり大学辞めようかなと言い出す。
でも、母親は「親としては大学卒業してほしいけどあなたの人生だからあなたが決めなさい。」と言われ、卒業までは約束。
という感じの大学前までの振り返り。
普通と言いましたがあまり普通ではない部分もあったような気はしますね。
大学時代の原点らしきもの
何の目的もなく入った経済学部。
全然おもしろくなく日々が過ぎる中で親友の誘いで一緒のゼミへ。
今は京都の大学にいらっしゃるようですが大坂先生のゼミでした。
4年生の時に先生は海外へ研修か何かに行かれるとかで3年生の時に2倍につめこむという変わった形。
理由は覚えてませんがゼミ論文のテーマをアフリカの開発教育にした記憶があり、この時に途上国の現状を数字も含めて詳しく知り、何か世界は公平じゃないのだなと漠然として問題意識を持ちました。
そんな中で周りは就活してるけど、ほとんどの人が会社に入る就社活動をしてるだけで何やってるんだろう?と疑問に思いつつ、自分もどうすればいいか分からないので興味持ったNPOを東京や大阪に訪問したりしてました。
20年以上前なのでNPO/NGOはほぼボランティアや寄付で回ってるところが多く、恐らく有給の職員は少なかったでしょうし就職につながる道は見つかりませんでした。なのでそのままフリーターへ。
人生最初のキャリアブレイク
卒業後すぐに母が亡くなり、カトリックだったのですがスペインの巡礼の道に行きたいと生前言ってたので、そのゴール地点のサンチャゴデコンポステーラに代わりに行くことを決め、好きなサッカーのドイツWカップ時期に合わせて予定を組む。
2006年春ぐらいに1ヶ月ぐらい行き、お金がなくなりワールドカップ直前で安い宿も見つからずサッカーの試合は見れず帰ってきました。笑
帰国しても家もお金もないので半年ほどリゾートバイトをまたして、福岡へ戻りとりあえずバイトで当時のインテリジェンス九州支社で求人原稿や営業アシスタント的な仕事を2年ぐらい。
そういう時に社会起業家という存在を同い年の社会起業家ゼロ世代と言われてる、マザーハウスの山口さんをTVで見て知り、自分がやりたかったことはこれだ!と思い、ネットで調べたら福岡で勉強会があったのでそこへ参加し始めました。
社会起業家を目指してみるものの…
まずは自分で行動してみようと思いイベントを初めて主催。
なぜか思えてないけど親になる前の教育が大事と思い、プレママ・プレパパ向けに福岡の警固神社でハッピーママ&パパプロジェクト(名前恥ずかしい…)をやってみました。
人生で初のイベント。よく分かってないテーマ。
ママコミュニティやってるNPO代表へ相談しに行き、浜の町病院産婦人科師長をアポなし訪問で怪しまれるが道具や人手を貸してもらう協力を得られ、如水庵ともう1社忘れてしまいましたが営業してお菓子の協賛を200個ぐらい?していただき、と準備は着々と順調に。
ただ、集客したことないので難しく10名以下。。
知り合いの親の書道教室に1万円協賛してもらい、経費を差し引いて少し赤字という勉強代。ただ、1人で全部やってみたらけっこう色々とできるものだなと自信はついた気がします。
ここでも、とりあえずあまり考えずにやってみるという才能が開花。
行動したことで評価が変わるということは多々あり、行動する人だからあなたと会うけど行動してなかったら会ってないと言われてこともありました。
そこでのつながりから写真のKIZUNAの社長の松永さんとつながったと記憶してます。つながりがつながりを呼びみたいなことはこのころから頻繁に起こり始めたのでそういう才能ではないけど何か持ってるものがあったのかもしれません。
そしてKIZUNAへジョインし、東京へ!
ここで思ったより長くなってしまったので、後編は次の記事にしたいと思います。
お読みくださった方がいればありがとうございます。