NASAでスペースシャトルの打ち上げを観たまでの話【恋に似たもの】
プロローグはこちら。
研究室に着きました。
先生が研究室に荷物を置きに行っている間に、急いで母に電話を。
『お母さん、ごめんね、あの、勝手にお返事してしまったんだけど、宇宙科学の先生がね、NASAのスペースシャトルの打ち上げに誘ってくださってね、わたし、はいって言っちゃったの。・°°・(>_<)・°°・。』
母は驚いたあとに、
そんなの一生に一度だから行ってきなさい!!
と言ってくれました。
決してうちは裕福ではないけれど、母は何が豊かかを解ってる人です。感謝でした。
胸を撫で下ろして、先生と天文台へ向かいました。
昼間の星ってどんな風に見えるんだろう?
ワクワクしながらドキドキしながら、
先生が焦点を合わせてくれた望遠鏡を覗きました。
確かあれはシリウスだったと思う。
ティファニーのような青空に、小さなダイヤモンドが瞬いていました。儚げに、でも、しっかりと。
青空に、星が光っていた。
見えなくても、そこには星がある。
その言葉が、知識から体感になる。
体験が尊過ぎて、私のキャパを超えてました。
『うわー!綺麗!!』
それしか口から出てこない。
当時60歳くらいだった佐治先生は、
「おお、君今、うわー!って言ったね!
うわーって言った子にはSをあげよう!」
と私の反応を喜び、(結果それまでの出席日数が少なかったので落第を防ぐDだったが)
その後、天文台から双眼鏡で講堂を眺めながら、
あ、あの子は僕のクラスの子だ!
おーーい!僕はここだよー!!
と言いました。60歳の先生が。とても無邪気に。
この瞬間に私は、佐治先生と昼間の星に恋をしました。そしてこの人とNASAに行けるのかと、夢のような気持ちで天文台をあとにした。
wikiを観た方はもうご存知かと思いますが、
佐治先生はNASAの特別研究員です。
アポロ13号の打ち上げにも立ち合い、
地球外生物に地球の文化を届けるプロジェクト、
ボイジャー号に載せるものの選出にも関わりました。バッハを選んだのは佐治先生です。
かつてボイジャー号の番組がありました。ナレーションは大竹しのぶさんでした。
通信域をいよいよ離れるボイジャーに、
こっちを向いて、ボイジャー。
と伝え、
太陽系の惑星が並ぶ写真を最後のミッションで撮らせました。
とてつもなくロマンチックなミッションのボイジャー号。
番組がまだ観れました!
そこに携わっていた佐治先生。私は完璧な片想いをここからしばらく楽しみました。
天文台が開いていれば遊びに行き、ただただ、佐治先生の楽しそうなお話に聞き入る。好きすぎて何も話せない。
天文台で知り合った友達も出来、みんなで夜に土星の輪の影を観る会をしたり。
今日は金色の星だよ、今日は銀色の星だよ、と、空が晴れて天文台が開いていればソワソワと集まるのでした。
そしてこの時連れて行ってくださった打ち上げは若田光一さんが搭乗するスペースシャトルエンデバー号の打ち上げでした。
これを機に向井千秋さんという女性の宇宙飛行士を尊敬するようになり、彼女の座右の銘は、長い間私の座右の銘でもありました。
IF YOU DREAM, YOU CAN DO IT.
この後の人生で何度この言葉と向き合ったことか!
佐治先生に出会い、NASAに行ったことが私の生き方に沢山の刺激を下さったきっかけとなる出来事でした。
いよいよNASAに行きます。
つづく。
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