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音楽のアップデート
Newspicksの会員になってるので気になったニュースとweekly ochiaiだけは観てるんだけど、
動画後半(43分くらい〜)の
「ゴミみたいな音楽を聴いて喜んでいる人たちはいる」
っていう箇所と、
「自分の閾値が高くなって作品が出せないってことはないですか?」と落合さんが川谷さんに質問する部分が個人的には面白かった。
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「良い」「悪い」の判断っていうのは本当に個人の感覚になってしまうから、とにかく自分が良いと思うものを発信して行くんだけど、
「ゴミ」を喜ぶ人たちがたくさんいるので、今の時代は多少の「ゴミ化」が必要なのかもしれない、と思った。
ただ、ゴミかどうかなんて主観でしかなく、
本当に素晴らしい音楽でもそれをゴミと思う人はいる訳なので、
自分がやりたいことやっていけば良いだけなんだよな結局は。
だから俯瞰的に見ると「ゴミなんてないんだ」という結論に達した。
みんな、誰かにとっては需要がある。
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ここからは完全な主観の話。
閾値に関しても少し似ていて(動画で話された内容とは違うけれど)、
自分は閾値が高くなってしまっているから
世の中の大半の人々やプロの演奏家とかが「素晴らしい」とか言って興奮している人の演奏を聴いても、
何も感動しないどころか、
自分にとっては雑音でしかないことがよくある。
そういう人の中にはめちゃくちゃ売れている人もいる。
だから、そういう人に群がって興奮している人たちは音楽に感動しているというよりは、
「その人が演奏をすること」「その人のストーリー」に感動しているんだろうなと思う。
これって何も悪いことではなく、そういう売り方ができたその人がすごい。
自分にとっては雑音だから、一度お金払って聴いてみた後は二度と行こうとは思えないけれど。
雑音かどうかっていうのと、
クラシックを利用して自分を表現することがメインになってるかどうかは、
私が良い演奏家を判断するときの2つの指標なのですが、
・クラシックとしてより美しい音を響かせること
・自分を表現するよりは音楽そのものを表現していること(作曲家が伝えたかったことを表現していること)
これをやろうとしている演奏家は好感が持てる。
そして、自分もそうなりたいと思っている。
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ただ、最近はその閾値を自分で多少コントロールできるようになった。
閾値じゃなくて視点というべきか。
全ての音楽や演奏を自分の閾値で判断しつつも、
音楽や演奏に全く感動しない場合でも他の視点から学ぶことはたくさんあるので、無駄にはならない。
音楽を楽しむより、こういう音楽を楽しんでいる人たちがいるんだなぁという事実を知っておくのも重要だと思う。
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因みに、これも動画の内容とは直接は関係ないけれど、
落合さんが「そもそも◯◯フィル(日本のオーケストラの名前)が下手なわけないじゃないですか」って言ってるシーンがあるけれど、
これは思考停止を招くと思った。
オーケストラの人たちも人間なので、下手な時もある。
「本当にこれは上手いのか、良いのか」を考えることを放棄したらいけないと思った。
プロの人たちは「ある一定の技術よりは上である可能性が高い」ってだけで、
有名なオケのコンマスとかトップをやっている人たちの室内楽の演奏が、
ゴミ以下だったという演奏会なんて何度も聴いたことある。
「◯◯だから良い」という考え方をすることって多いとは思うけど、
その考え方に対して「本当に良いのか」を問うていくことは必要だと思う。
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