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【2024年度 卒業生ブログリレー】「概ねこの2年で出会った10くらいのことば」

2024年度卒業生ブログリレー、今日スタートを切ります!
このブログ企画は、今年のフェアウェルのテーマ「繋」にちなみ、卒業生の想いを、襷やバトンを繋ぐリレー形式で綴ってもらう企画です。
第1回はひゅーたです!


皆さんこんにちは、あるいはこんばんは。
レジデンシャルプログラム3期生にしてチュータープログラム2期生の、まつのひゅうたです。
おそらくこれを読んでいるのは顔見知りが多いと思いますが、もしそうでないのにこれを読んでくれている変わり者がいるとしても、その人のことは特に気にせず書き殴ることにします。お付き合いいただければ幸いです。

 いきなりですが実は、この卒業ブログリレーは僕が発案しました。大学の部活で書いていた引退ブログリレーが個人的に大好きだったので、カレッジでやったらもっと素敵なものができるんじゃないかと思ったんですね。そんな発案者の僕だから余程やる気満々なんだろうと思われそうですが、実際そうです。期日を守らないことに定評のある僕がなんと〆切5日前に着手しています。これは歴史的快挙です。

 じゃあ何を書くんだということですが、これが思い付かない。この2年間をいい感じに振り返れる気がしない。困りました。どっちかというと、書きたいことが多すぎて困ってます。箇条書きにしてみると、10こくらいキーワードが出てきます。ここで閃きました。最近とある本の著者の「今年出会った10のことば」というトークショーに行ってきたんですが、これがなかなかよかった(途中寝たけど)。これなら僕もやれそうです。どう考えても長くなるけど、よければ最後まで読んでください。途中で僕も飽きそうなので、出し惜しみせず、書きたいやつから書いていきます。

それではご覧ください。「概ねこの2年で出会った10くらいのことば」


「概ねこの2年で出会った10くらいのことば」


1. 夢組と叶え組

 宝塚の話じゃないですよ。これはB&Bで開かれたトークイベントで出会った、桜林直子さんの『世界は夢組と叶え組でできている』という本のコアメッセージです。この言葉に出会えたから、今の自分があります。
ここでいう「夢組」は自分のやりたいことが明確な人たちのこと。一方「叶え組」は、夢組を応援することにやりがいをおぼえる人たちのことです。世界はこの両方がいて回っている、というのがこの本で言われていることでした(たぶん)。
元々、あなたのやりたいことはなんですか?という質問が嫌いでした。自分は自分のためにはがんばれない人間だと知っていたからです。だけどこの本を読んだ後は、「自分がやりたいことは"人の応援"です」と言い切れるようになりました。この言葉があったから、チューターという役割が単なる役割を超えて自分の生き様になる感覚を得ていました。もちろん叶え組が輝くのは周りに夢組がいるときなので、自分をチューターたらしめてくれたカレッジ生のみんなには感謝しかないです。本当にありがとう。1個目から長くなったので次行きます。

2. 自分をいかして生きる

 これは西村佳哲さんの同名文庫本からの出典です。「叶え組」とセットで、自分の生き方に影響を与えてくれました。将来を考えるとこんなことをやっていていいのか…とか思うことがホモサピたる者だれでもあると思います。けど今この瞬間、自分を最大限いかして生きられているなら、それはもう生きる意味を全うしているんじゃないかと思います。少なくとも自分は特にチューターになってからの1年間、叶え組としての自分をいかし切れたなぁという感覚があります。カレッジはひとりひとりのいのちがマックスにいかされる場所だなとしみじみ思うし、これからもそうあってほしいです。ちなみにこれが仕事とかにおいて難しくなってるのは、大きな資本主義のシステムに包含された結果、「仕事に人をつける」やり方になっているからみたいです。誰でも代替可能な仕事じゃなくて、自分だから、その人だから成り立つ仕事をできているなら、それは素敵なことだなと思います。なおこれは自分のバイブル的存在になった『ゆっくり、いそげ』に出てくる「川上さんのビーフシチュー」という話がとてもわかりやすいので、ぜひ読んでみてください。

3. 宝物を探すような気持ちで聞く

 出ました。2024年に出会ったことばランキング第1位です。チューター仲間である「失敗しない女」こと大門ふみふみかに教えてもらいました。コーチングにおいて「答えは相手の中にある」というのは大事な信念と聞きますが、その極みみたいな言葉ですね。これは人と相対するときに限らず、本を読むときや、なにか物事に取り組むときなどにも、忘れたくないマインドセットです。なぜか我々って「粗を探す」のが得意じゃないですか?自分は特にそうでした。でも、粗探しって実は簡単なんですよね。それより可能性を信じて飛び込んでみる、全肯定してみる、そっちの方が断然難しい。カレッジではなんでも「良いじゃん、Youやっちゃいなよ」って言われるがそれは無責任だ温室だ!という言説がたまにある気がします。けどそれでよくないですか?カレッジの外に出たらいやでも粗探しFBを受けられるんだから。お互い、宝物を探し合っていこうよ。ワンピースは、実在する!(次行きます)

4. しゃにかまー

 ここで!ひょっとしたら3期の人にしか伝わらないかもしれません。何を隠そう僕はカレッジ1年目、どうしようもなく「斜に構えた」人間でした。それを聞き間違えた箱入り娘の宅見杜子さんに「しゃにかまー!?」と言われたのをきっかけに、自称他称しゃにかまーとして活動していました。当時の僕は、「みんなが楽しんでることには乗っからない、自分だけが面白いと思うことを勝手にやるのが至高」という考えの持ち主で、シーズンイベントはことごとく欠席、カレッジにどっぷり浸かるとかまっぴらごめんだ、なんて思ってました。あーもったいない。今の僕しか知らない人は想像もできないでしょう(いうてもたまに面影あるかも)。人間だれしもこういう時期ってありますよね。うんうん。立場が人を変えるんだなぁ。シーズンイベント、最高!プロム、万歳!

5. 宇宙のバランスを気にして、アウフヘーベンしています

 上の続きです。これは『水中の哲学者たち』(永井玲衣)からの引用ですね。ちなみに僕の引用は基本的に学び場ゼミ課題本からなので、気になる人は月曜20時に2階青ソファに行ってみてください。素敵な出会いが、あなたを待っています。
さて去年の僕がなぜそんな斜に構えていたのかという理由が、ズバリこの言葉にあると思っています。自分はとにかくバランスが気になるタチなので、全体が何かに偏っているとき、どうしても逆側に立って場をかき混ぜたくなるんですよね。恥ずかしながら。これを著者は「宇宙のバランスをとる」と表現していました。当時は自分でもなぜこんなにしゃにかまーなのか全くわかっていなかったのですが、「自分は宇宙のバランスを気にしていたんだなぁ」とわかったあとは、それまでと質の違うしゃにかまーになっていた気がします。動的平衡、最高!二項対立の脱構築、万歳!弁証法王に、おれはなる!(次行きます)

6. 自分の遊び場は、自分でつくる

 上記のように、大きな流れにはどうしても乗れなかった2023年のひゅうた少年。そんな彼の拠り所になった言葉がこれです。もともとはラクロスチーム(こう見えて社会人チームで続けてます)で一緒にやっていた御年50歳のレジェンドが言っていて、一発で気に入りました。自分が面白いと思える場は、自分でつくる。カレッジはまさに、そのマインドを存分に発揮できる場です。自分主催のイベントに限らず、用意されているかに見えるハウスリフレクションやキャップストーンみたいなプログラムだって、自分の遊び場に変えていくことができます。カレッジそのものだって、自分の手でもっともっと面白くできます。このマインドは、「宝物を探すような気持ちで」に通ずるところがありますね。カレッジを出ても遊び場をつくり続けられるかが、卒業後の大きなチャレンジになりそうです。

7. もっと真面目に、ふざけろよ

 いまや誰もが知る?カレッジ内フリーペーパー『後悔緑茶』。僕らが自分たちでつくった遊び場の1つです。そのスローガンとして発刊時に掲げたのがこれ。これは僕が大学時代に所属していた熊野寮というヤバい学生寮の寮祭スローガンからパクりました。意味分からなさそうで、すごい分かりますよね。全力でふざけるのって結構大変。ホモサピエンスの性質上なのか、すぐ脳のブレーキがかかります。そこのリミッターを外してガチでふざける。社会人としてマトモに働いていればいるほど難しい。けどカレッジはこれを許容してくれる場所です。逆に社会に出ちゃうともうふざける機会なんてそうそうありません。みんな、もっと真面目に、ふざけてください。熊野寮の友達が言ってました。「女装して全力で踊ったことのない男なんて、何やらせてもダメだ」。これに同意するかはさておき、去年のFES後夜祭でRGT48を結成し、一緒に「アイドル」を踊ってくれた緑茶メンバーには、とても感謝しています。

8. 自分を開くと、仲間ができる

 『後悔緑茶』発足のきっかけは、カレッジの座敷童子ことエンドゥーさんと話していたことでした。ふざけた雑誌をつくりたいんですよね、という雑談から話が進み、あっという間に創刊号までたどり着いた記憶があります。
それまでの僕は、自分の話をするのが苦手でした。自分に興味を持ってくれる人なんて誰もいないと思っていたからです。なんならこの世は粗探しマンが多いと思っていたので、「自分を開くと、敵ができる」と思ってました。けどカレッジでだんだんと自分を開く機会があり、それを通して仲間ができたことで、徐々に自分の話をすることができるようになってきています。

 緑茶に加えて大きかったのは、「わくわくハッケン教室」を一緒に始めてくれた、りなぐちやまの存在です。当時接点のなかった彼女が、自分の出した「ちびっこ」というアイデアに乗っかってくれ、それをふたりで形にできたのは、とても嬉しかったのを、今でも覚えています。
あとはせらんらん。2年間で数え切れないくらい助けられてきたけど、いちばん印象深いのは沖永良部旅。一緒に行ってくれる人がいるかわからないなか立ち上げた旅行計画に乗っかってくれ、さらにふたばっちっちとこぐれのりきが仲間になってくれた時は、本当に嬉しかったです。こぐれでいうと漫才も、もちろん感謝してます。

 こんな感じで、カレッジでの僕は何をやるにも、「ひとりめのバディ」に助けられてきました。だからこそ自分も他の誰かにとっての「ひとりめのバディ」であろうと思ったし、これからもそうであろうと思います。また、自分をいかそうとした結果、誰かをいかせたりするのも面白いです。りなもどぅーさんもこぐれも(←ここ重要)、言い出しっぺらしき僕より断然いきいきしてたりするのが面白いところです。叶え組の僕としては、むしろそういうときに「開いてみてよかったなぁ」と感じます。

9. リスクを超えた先の、大きな感動

 上でああは言ったものの、やっぱり自分を開くのは勇気がいります。コミュニケーションは円滑な方が楽だし、セルフイメージが壊れるのは嫌だし、その妨げとなる自己開示はやはり慎重にならざるを得ません。でもここを乗り越えずにただただ「うまくやる」だけのコミュニケーションをしていては、大きな感動には辿り着かないんだと、頭でも身体でもわかってきたような気がします。ちなみにこれは2023年の個人的ベスト本『こころの対話 25のルール』を読んで響いたフレーズです。カレッジは嬉しいことにコミュニケーションを通して体温が上がる(良い意味で)場面がたくさんあり、リスクを超えてみようと思わせてもらうことが多かったです。思えば去年「しゃにかまー」をしていたのも、半分くらいは世界のバランスのためだったけど、もう半分は自分を守るためだった気がします。全力で何かに傾かなければ、その分ダメージも小さい。けど反面、得られるものも小さかったんだなと、今ではわかります。バランスは大事だけど、たまには思い切って傾いてみる。ここになら傾いてみてもいいなと思えるひと、こと、思想などに出会えたら、それは幸せなことなんじゃないかな。

ちなみに「自分を開く」の究極系が、「あなたを愛しています、と全身で伝えること」なのかなと思います。これはめちゃくちゃハードル高いです。相手が受け止めてくれると信じられないとできません。今は幸いなことにそれを受け止めてくれる人生のバディみたいな存在がいるので、ハウスメンバーはじめ、他のみんなに対しても滲み出せる愛の量が増えているように思います。感謝〜!

10. ???


以上です!

 やっぱり10こはなかったですね。「10くらい」と保険をかけておいた甲斐がありました。最後まで読んでくれた変わり者の皆さん、アリガトウゴザイマス!カレッジで出会った人から、本から、場から、いろんな言葉を受け取ってここまできました。本当に自分を変えてくれた2年間だったなと思います。僕もなにかみんなに、カレッジに、差し出せたものがあればいいなぁ。それにしても筆が乗りすぎました!
後に続く人のハードルにならないことを祈って、卒業ブログをおしまいにします。

ひゅーた


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