「自分は何者か」二十歳のときに観て、読んで、聴いてたどり着いた私の答え
今どんなことをやっているのかっていうのを教えてください。
『MOTHER』というお店を50年やっています。
今年51年目で、今は50周年イベントを企画しているところです。
下北沢で一番古いロックバーと言われています。
24歳のときにはじめました。
24歳の時にバーを始めたきっかけってなんだったんですか。
学生を終わっちゃって、ぶらぶらしてて。
何で食っていこうかと考えていたときに、まあ発想がイージーなんだけどバーだったら食べ物もあるし、好きな音楽もあるし、自分はコミュニケーション能力が劣っていると思っていたから、バーだったらあんましゃべんなくていいかなって。笑
そんなきっかけ。きっかけというかそれしかないなと思ってやり始めた。
実際にやってみてどうでしたか。
そうね。最初はうまくいくと思ってたけど、そんなに甘くなくて、やっぱり何回もやめようと思うときがあった。要するにずっと居なきゃいけなかったら、自由じゃなくなっちゃうじゃん。
何度もやめようと思った中で、踏ん張れた理由はなんだったんですか。
そうね、それってね、ほんとに偶然が重なった部分があるね。
やめようかなって思ったけど、じゃあ次に何ができるかっていうのもあったし、その間にちょっと順調にいくこともあって、間にインドに行ったり、ジャマイカに行ったり、普通に会社員をしてたら遊びにいけないじゃない。でもまあ、自分の店だから、1ヶ月人に任せたり、そういうのがやりくりできるようになって繋げたのかなって。
それと、子どもが生まれて、子どもを育てなきゃって自覚したときに、「あ、これはもう仕事として、ビジネスとしてやらなくちゃ」って気持ちになった。
50年続けてみて、どうですか。
50年の間に、ほんとにいろんな人に出会って、すごく助けられたり、友だちや大事な人が見せの中でできてきた。
学生のときの友だちとかじゃないお店の中でできた交流。この場が人と人が集まり、出会う場所になっていった。
二十歳のとき、どんなことを考えてましたか。
「二十歳のときに何していたのかのインタビューです」って言われて、わたし日誌を書いていたのね。そのときのこと、ちょっと思い返そうと思ってね、ぱらぱらってその当時書いていた日記を読み返してみたのね。
そしたらね、本を読んだりね、「自分は何者なのか。」っていうことにすごくこだわっている女の子がそこにいてね。へえーと思って。
でも意外とそのころを思い返すと、あんまり変わっていないんだよね。嫌いなものは嫌い、好きなものは好き。
もちろん歳を取ってゆるやかな感情にはなっているんだけどね、これはだめ、許せないとかね。そういうのは一緒だなって思って。一生懸命生きてたっていう気がする。
だから政治とかもそのころ、ベトナムとか安保とか。今もいっぱいあるんだけど、どうでもいいって思ってなくて、そういう真面目って意味じゃないんだけど、自分のことだけで生きちゃだめだなって思って生きてた。
将来に対しての期待や不安はどんな感じでした?
あのね、期待っていうのはね、自分に対してね、すごくもっと勉強して、パワーがもっとついていくんだろうという期待はしていたかな。
劣等感の塊だったし、自分が何者なのかっていうのにすごく興味があった。その時は思ってないけど、今思うと自分が好きだったんだと思う。
50年前の日記を見たらさ、いや~、生意気なことを言ってるなって思っちゃう。笑
日記を書いていた理由ってなんでしたか。
わたしね、本も好きだし、詩も好きだし、文学っぽいところがあった。
別に小説家になりたいとかって大それた気持ちはなかったけど、文章を書くことで、文学の側に自分がいたかった。残しとこうってことじゃ全然なくって。だから詩も書いてた。
わたしにとって、書くことと読むことが一番の拠り所だった。
二十歳のころ、どんなことをして過ごしてましたか。
映画だね、あと、とにかく本を読むのと、お酒だね。笑
新宿にジャズヴィレージって、ジャズヴィレっていうところがあってね。そこによく行ってた。でも、もちろんお金を持ってないから、そのころの若者ってね、みんなお金持ってなくてね、だから一杯のドリンクを頼んでそれをちびちびずうっと飲んでた。笑
でも一番やってたことは、石を投げてた。権力にだね。政府とか。
政治的な意識も高くて、どうでもいいとかって思ってなかった。
大学行ったときに、学生闘争、東大闘争の前段階で、東大の医学部闘争の真っただなかだった。あの頃はどこの大学でも闘争があって、自然と関心を持った。もともと反逆的な性格もあったから。笑
50年の下北沢の変化についてどのように考えていますか。
まちが変わるってことは、まあね、だんだんと人間も新陳代謝していくわけだから、良い変わり方をすればいいと思う。
ただ、そのまちの歴史とか文化を壊さないないようにしないといけないとは思う。誰に引き継いでいくのかっていうのを大事にしないと、壊したものは取り返しがつかないよってことをみんなに考えてほしい。
あんまり商業的になっちゃって、金が儲かればいいになっちゃうとまちも壊れていくと思うからさ。
シモキタってさ、じいさんばあさんとかさ、うちにもちっちゃい孫がいるけど、うろうろしていられるまちじゃん。そこがいいところじゃん。そういういいところだからさ、観光客も来るわけだからさ。何が大事かっていうのを考えながら開発していくってことかな。
二十歳のときにこういうことをやったことが今に活きてるとか、メッセージはありますか。
もうね、本を読んで。本と詩と映画。もちろん、音楽もね。
なんだろう、それが力になるから。その時何も思わなくても、絶対生きていく力になると思うよ。だからね、生きろって思う。絶対大事な命だから、絶対力強く生きろ!って。それだけ。絶対に何かになるから。
たいそうなことじゃなくても、生きて、あなたの10年後とか、すてきじゃない。
だからほんとにね、お金を持ってなくてよかったと思う。だってその時お金持ってたら、ろくなことしてなかったと思う。笑
でもね、貧しさを楽しんでた。貧乏ご飯も、栄養的には食ったら一緒だろって。笑
なんか、こんなんでいいんだろうか...。笑
取材・執筆 原田遼太郎
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