オンライン授業が本格化して思う、モノじゃない、仕組み化でもない、想い(しつこさ)こそ
塾での業務が一気にオンライン化して1週間。
やっぱり、どのツールを使おうとか、どう仕組み化したら楽になるかとか、そういうことじゃないんだよなと感じています。
想いこそ。
これを手に入れたら優勝?(大事なのはモノじゃないよという話)
完全に人のことを言えないのですが、目の前の課題に対してモノで解決したいと思うことはよくあります。この単語帳を買えば英語は完璧!とかこのカメラを買えばプロレベルの写真が撮れるみたいなやつです。
ただ、この感覚には大事ことが抜け落ちてるんですよね。
それは「買うだけでは意味がない、使わないと意味がない」ということです。そしてちゃんと使い始めたときに感じる「地味…!!」という感覚。
iPadを使えば…ZOOMを使えば…と思って導入してみて、あれ?思ったより地味だなと思われた方も多いんじゃないかと思います。
仕組み化=楽?(大事なのは仕組み化じゃないよという話)
僕はシステム開発(&動画作成)の会社をやっていて、僕自身プログラミングを書いているのもあって、どう仕組み化すると楽になるかという相談をよく受けます。
この「仕組み化したい」には
1. 自分のやれることの量&密度を上げたい(仕組み化が手段)場合
2. 自分の状態を楽にしたい(仕組み化が目的)場合
の2つあるかなと思います。
仕組み化、自動化は確かに便利なんですが、それ自体を目的にすると思いの外、イバラの道なんですよね。。
うちの会社では英語学習にかかる時間をいかに短く、そして負担なく出来るかにフォーカスしたLoqLogというサービスをつくっていて、これはまさに仕組み化に力をいれまくっているケースです。
自分がやっているからこそ日々感じるのですが、仕組み化で切り抜けようとするのであれば、一時的に仕組み化と向き合うのではなく、継続的に向き合い続ける必要があるんですよね。
ちなみにこの話は、人の能力は(オーダーで考えれば)ほぼ同じという前提で書いています。
いや差なんていくらでもあるよと思うかもしれませんが、スケール感で言えば誤差レベルです。例えば、記憶力で言えばコンピューターの覚えられる量と人の覚えられる量だとスケールが全然違いますよね。運動面でも人は100mを10秒で走ればめちゃくちゃ速いですが、ロケットなら10秒もあれば100kmも進みます。
機械と比べるの?と思うかもしれませんが、それだけ人の能力の差はないということです。
誰でも出来る仕組み化が出来さえすればそれで優勝〜ともしなるのであれば、それは他の人が既にやっているはずですし、その場合(誰でもできる)仕組み化にコストがかけやすい大企業の方が有利です。
しかも情報があふれているこの時代においてググれば成功事例はたくさん出てくるはずです。なのに全然見つからないはずです。
しかも仕組み化がうまくいっても、アップデートを続け、バグを修正し続け、メンテナンスを続け、カスタマーサポートやマーケティングなど、サービスの成長に伴ってやることも規模も工数も増えていくという。。
システムがうまく出来て業務全体を効率化できたとして、それらが永久機関となり勝手に回り続けてくれるとはならないんですよね。
サイヤ人に生まれたかった。筋斗雲だけでも呼べたかった
若干とげとげしい感もあったかもしれませんが、とは言え上モノとか仕組みに頼りたい気持ちはめちゃくちゃ分かります。。
なんていうか、あこがれみたいなものですよね。
サイヤ人に生まれたかったとか、筋斗雲呼びたかったとかいうのと同じで。
ただ、例えばiPhoneがあれだけの完成度で世に出ていながら、毎年毎年大きなアップデートをし続けていて、iPhoneでさえつくれたらそれで完全勝利という訳ではないんですよね。
人類みんなで切磋琢磨しながら進化している以上、その飛躍のイメージの延長にあるモノは仕組み化へのあこがれは筋斗雲なんじゃないかということです。
想い(しつこさ)こそ
じゃあモノや仕組み化がだめかというと、もちろんそういう話ではありません。前提として想いがとても大事だということです。
つまり、想いがあってその想いを実現するための過程として、モノがあり仕組み化があるということ。(単なるコピー製品が弱い理由も同じ)
もう情報があふれまくっている時代なので、仮にモノそのものや仕組み化そのもので勝負するとしても、そこに対しての想いがあればこそということです。(上にあげた弊社のLoqLogとかはまさにそれです)
その想いがプロダクトに表れ、熱を帯びたまま人に伝わって行きます。
【本題】想い=しつこさ?
ここで大事なのは「想い=想いを熱く語る」ではないということです。この誤解を避けたかったので最初から「想い(しつこさ)」という書き方をしてきました。
熱く語れることも大事ですが、何より大事なのはそれが実際の動きにつながっていることです。まさに言うは易く行うは難しで、熱く語るだけでほとんど動きがないというのは、誰もがやりがちです。
逆に熱く語らずとも、モリモリ動ける人もいます。
ここで書いている「想い」は、しつこさに現れるし、さらには想像力、解像度にも現れます。
なので、想いの熱さ、むき出し加減に関わらず、
しつこさ、想像力、解像度を高め続ける「想い」という意味で(つまりアツイ “風(ふう)” じゃだめだよという意味で)、「想い(しつこさ)」と書きました。
そしてそれがとりもなおさず神は細部に宿るということなんじゃないかと。
余談ですが、この「想い・しつこさ・想像力・解像度」が高まって、ばーっと頭で考えてるときって、言語化が全然追いつかないスピード&密度で考えが進んだりしますよね。こういう状態というのは、そのプロセスをがんばって説明したところで、まねなんかできないものだと思っています。これが神が宿る細部の源になるんじゃないかとも思っています。
結局、人
そしてだからこそ、結局のところ「誰がやっているか」が大事になるんです。
「その想いは、情熱は、どこから湧いてきてるんだ??こいつか!!!」みたいな
iPhoneの話をしててもすぐに、ジョブスは…アイブは…とか、Softbankがどうとかより孫さんは…と僕自身なりがちです。
いまのオンライン塾の環境とかもまさにそうで、ツールとかなんとかじゃなくそこにかける想いとか熱量がそのまま表れているよなぁと思ったりしています。
そして自分の関わっている人やサービスを見渡してみて、僕がそこに関わりたいと思っているのもやっぱり人によるものだなと改めて思います。特に大変な状況だからこそ、周りの人の熱量がほとばしっているなと。
最後に
もちろんもちろん、ツールはいいものである方がいいし、仕組み化はどんどんやるべきです。
ただそれは想い(しつこさ)の上に乗っかってないと、割と幻想であることが多いんじゃないかという話でした。
この文脈であれですが、10年以上に渡って動画屋さんをやり続けている(撮った動画は2万本以上!)僕の最新の撮影環境(収録とライブ配信がシームレスにできるやつ)を公開するnoteをいま準備しているので、そちらも楽しみにしながらtwitterフォローなどしていただけるとうれしいです!
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