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先月読んだラノベ他 思春期の自意識と《美少女》について


10月の読書メーター
読んだ本の数:16
読んだページ数:4427
ナイス数:13

最果ての聖女のクロニクル (講談社ラノベ文庫 ふ 3-1-1)感想
★★★☆☆ トム、エロゲのシナリオに専念してくれ。ジュエナ楽しみにしてます。 
読了日:10月01日 著者:冬茜 トム

明日、ボクは死ぬ。キミは生き返る。 (電撃文庫)感想
★★★★☆ ギャグと感動を両立させるの上手すぎる。ところで、光や妹みたいなキャラをメタ抜きでナチュラルに書くのはもう無理だろう。オタクのステレオタイプが多様性の海のなかに埋没してしまった現代ではどうしても距離が生まれてしまう。一度でもオタクを俯瞰する視点を持ってしまった僕たちではもはや書けないような、まったくのゼロ距離から描かれた彼女たちのようなキャラを眺められることそれ自体が、いまや10年代前半ラノベの最たる強みにすらなっていると僕は思う。この頃の良作がいちばん好き!
読了日:10月03日 著者:藤まる

傷の哲学、レヴィナス感想
つい最近『レヴィナス 壊れものとしての人間』を読んでからこっちの存在を知ったので、急いで補章だけ読んだ。補章2における「身代わり」の複数性という提案はとても重要で、場合によっては哲学の手も離れて広く論じられるべきものだと思った。レヴィナスの読み方は様々だが、僕はこのケアと福祉の倫理という見方がいちばん好きだ。
読了日:10月06日 著者:村上 靖彦

平浦ファミリズム (ガガガ文庫 あ 15-1)感想
★★★★★ サブタイトルが全部哲学書の改変だけど、とくにレヴィナスの『全体性と無限』がモチーフかな? この話、「外部性についての試論」だし。とても感動した。泣きそうになった。と同時に、言葉の限界を感じもした。こんなにも伝わらないのか。作者はこんなに切実に、誠実に伝えようとしてくれてるのに。悲しくもある。
読了日:10月09日 著者:遍 柳一

近すぎる彼らの、十七歳の遠い関係 (ファミ通文庫)感想
★★☆☆☆ なにがしたいかは分かった。なにがしたいかしか分からなかった。
読了日:10月09日 著者:久遠 侑

現象学という思考: 〈自明なもの〉の知へ (筑摩選書 106)感想
なんか目が滑るなと思ったのは、多分「基本的な語彙の一部、たとえば『志向性』や『超越と内在』、『超越論的主観性』といった語は、ほとんど使わなかった。それは、現象学についてある程度知っている人が、『ああ、あれか』と『わかってしまう』ことを避けたかったからである。」(あとがき)というこれのせい。普段、自分がどれほど分かった気になって読んでいるかがよく理解できた。
読了日:10月13日 著者:田口 茂

新装版 水原秋櫻子 自選自解句集感想
好きな句10選!(上五)歸省子に/白樺に/真菰刈/馬酔木咲く/亀ヶ城/夏蝶の/十六夜が/甲斐駒の/岩の上に/田にけぶる
読了日:10月13日 著者:水原 秋櫻子

インテリぶる推理少女とハメたいせんせい In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI (HJ文庫)感想
★★★★☆ アンチミステリ?メタミステリ?なんだろうけど、そもそも正統ミステリを知らないのでよく分からなかった。それなので多分コメディ小説としての面しかちゃんと読めなかったと思うけど、それでも十分面白かった。あえて、ヒロインがかわいい! と言いたい。読むの疲れた。
読了日:10月15日 著者:米倉あきら

ミリは猫の瞳のなかに住んでいる (電撃文庫)感想
★★★☆☆ 遠慮すんな! もっと書きたいこと書け!
読了日:10月16日 著者:四季 大雅

ジョン・レノン対火星人 (講談社文芸文庫 たN 2)
読了日:10月22日 著者:高橋 源一郎

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫 む 3-29)感想
自己喪失者・自己解体者の物語として、蓮田善明の「有心」を70年代風に換骨奪胎したらこれになりそう。喪失を埋めるために融即する先の自然的なものが時代と共に虚構となって、もはや己の肉体を破壊してこの世界から去ることでしか生きたと言えなくなった時代の若者のお話として読みました。おもろかった!
読了日:10月24日 著者:村上 龍

神話で読みとく古代日本: 古事記・日本書紀・風土記 (ちくま新書1192)感想
神話で読みとく古代日本というより、「神話力」を補助線とした神話読解。古事記・日本書紀・出雲国風土記の内容の食い違いなどの諸説がコンパクトにまとめられている良書。柳田國男は『日本の祭』において、「世界に比類なき神国のマツリゴトの、最も重要なる原則は『承認』であったと思う」と述べている。「神話力」とは互いの信仰を「承認」することの連続によって紡がれる、天の下に広がる網の目のような力場である。本書には地方の共同体の信仰が、「神話力」のもとに「承認」されゆくまさにその瞬間の緊張が描かれている。おもしろい!
読了日:10月26日 著者:松本 直樹

モラルの起源――実験社会科学からの問い (岩波新書)感想
新高校生への推薦図書?かなんかで、高1のときに買って、結局読まなかったやつ。バカ文系だからデータとか数値を並べられると頭が真っ白になる。そして記述倫理学的な話に興味がなさすぎる。
読了日:10月27日 著者:亀田 達也

ロミオの災難 (電撃文庫 ら 4-5)感想
★★★☆☆ 作中作とかいう相当上手くやらないと面白くならないテーマド直球の"演劇"というジャンルを、ラノベで扱うべきじゃないんだろうなと思った。キャラの造形はいいのに、肝心のところで盛り上がらない! 陰キャオタクなので新堂が好きです。負けヒロインがかわいすぎる!
読了日:10月30日 著者:来楽 零

六畳間の侵略者!? 46 (HJ文庫 た 03-02-48)感想
★★☆☆☆ 「キィが味方でよかったですわ~」これ言わせとけばいいと思ってんだろ!
読了日:10月30日 著者:健速

赤頭巾ちゃん気をつけて 改版 (中公文庫 し 18-9)感想
★★★★★ 戦後民主主義と教養主義に関する本を読んでから挑戦。三島由紀夫が推薦文を書いているライトノベルの源流的作品。青春の苦悩という面では今でも共感性の高そうな話だが、本作は本質的にはアッパーミドル階級向けの教養小説である。しかしこのような読み方では時代に取り残された古い小説になってしまうので、どうにかして普遍性を見出したいと考えながら読んだ。そうして残った本当に大事なものは、青春の終焉のその先において今もしつこく響き続ける「みんなを幸福にしたい」というあの脆くて力強い言葉なのではないかと思う。
読了日:10月31日 著者:庄司 薫


月間TOP3!

 ただ読書メーターのまとめを張り付けるだけだとこのnoteの存在意義ががががということになってしまうので、差別化を図るためにも今回から適当に面白かった作品の感想を述べておくことにします。

3位 村上龍『限りなく透明に近いブルー』

この色ではないだろ

 矢綿りさの解説が素晴らしいのでこれの作品的意義はそっちに任せるとして。
 なんでもラノベ史につなげたい僕としては、この作品は自意識を考える上できわめて重要な小説。
 自ら行動を起こすことはなく、受動的で主体性がない周囲に流されっぱなしの主人公・リュウは、眼前で起きる物事を黙々と直視し続ける。目の前でどれだけ頽廃的でバイオレンスな狂った光景が繰り広げられても、悲鳴ひとつあげずに黙々と物事の描写に努めるという、恐ろしい一人称で物語(と言っていいのであれば)は進行する。この主人公はおかしいのか? と思えば、いきなり我慢の限界が来たみたいに嘔吐したり、殺してくれとか言い出す。
 リュウは現実をひたすら受け入れその痛みに無防備な己を曝し続けることで、痛みそのものによって空っぽな己の確かさを確かめようとする。「自己喪失」なんて言葉があったが、これは時代とともに「喪失する先の自己」すら欠如してしまって、肉体という輪郭だけ持ってかろうじて生きているような主人公が、外界の出来事にその身を溶かし込むようにすることで生の実感を得ようとするという、そういう段階の話だ。これは現代ではリスカとして形を変えて残っている。
 ひたすら自己を拡散させて、もはや守るべき自己などどこにもなく、世界の方に自らを馴染ませるこのような者を「自己解体者」と呼ぶとすれば、この小説から半世紀経った現在、彼らはどのように救われたのか、あるいは救われなかったのか。

 それを確認する上で読みたいのが『涼宮ハルヒの憂鬱』率いるやれやれ系主人公の学園青春ラブコメです。
 リュウは村上春樹の主人公とセットで、やれやれ系主人公の源流とか言われがちだけど、それはとても正しいと思う。
『限りなく透明に近いブルー』が「自己解体者」の問題提起を行った作品だとすれば、『ハルヒ』は彼らの救済を行った作品だと思うので。
 主体性が欠如し、世界に身を任せるのが「自己解体者」(キョン)なのだとすれば、谷川流はその対に「ハルヒ」とかいう、自分が世界に合わせるのではなく、世界の方を自分に合わせようとする主体性の塊であるヤバいエゴイストを配置し、彼女にキョンを救わせようとする。
 つまり、自己解体者を救うのは、こちらの気持ちなどお構いなしに自分都合で私を振り回してくる、強烈な一人の他者による剥き出しのエゴイズムなのである。
 
でもそれってやってることはリュウと一緒じゃない? と思われるかもしれないが、重要なのは『ハルヒ』が「青春ラブコメ」だと言うことです。要するにこれは、自己を振り回す世界の暴力性――本来、それは形を持たず認識することすら難しい性質のものである――を、「ハルヒ」という一人の美少女に分かりやすく象徴させることで、「キョンがハルヒをラブコメ的に攻略するという学園モノの形式的な構図」を、そのまま「私による暴力的な世界の克服」という次元にまでスライドさせることを可能にしているのだ。僕と君という二人の関係が、そのまま世界との関係と地続きな『ハルヒ』は、だからこそ「セカイ系」と言えるのだろう。これは別に僕の勝手な感想とかじゃなくて、サブカル批評とかそっち系の界隈でのスタンダードなハルヒ理解だと思う。ですよね?(不安)
 こういう風に考えれば、おたく史における《美少女》という概念もかなり分かりやすくなると思う。
 つまり《美少女》とは「自己解体者」である主人公の裏返しとして生まれた存在であり、乗り越えるべき世界の暴力性の象徴としての暴力的他者性それ自体なのである。「オタクに優しいギャル」とかいうどこまでもこちらに都合のいい存在を間違っても《美少女》などと呼んではならない! あれはただのオナニーです。

 僕は《美少女》の出てこない作品はゴミだといつも言ってるんですけど、それはなにも性欲だけで言ってるわけではなくてぇ……ということが伝わってくれたら嬉しいです。
「《美少女》の出てない作品はクソ」というのをもうちょい丁寧に言えば、「おたくの《美少女》信仰の起源には自意識の困惑があったんだという文脈を見失ってる作品はクソ」という感じになります。気持ち悪いおたくはよく《美少女》を見て「祈り」とかキモいこと言い出すけど、あれは多分《美少女》を介した未来の自己の陶冶に対する「祈り」とか、そういう温度感で言ってるんじゃないかと思う。何が言いたいかというと、《美少女》はじゃんじゃん出していこう。

「限りなく透明に近いブルー」に足りなかったのは《美少女》だ! と言い切りたいところだけど、リリーはかなり《美少女》に接近してたように感じた。あの小説って、世界に対して自己を開いて自と他の境界を意識的に取り払ってる(=「自己解体」している)ことの表現として、他者の台詞を「」に入れず地の文に食い込ませるという手法を、使ってる時と使ってない時があって、あれが使われてない時、つまり台詞が「」として立ち現れてくる時ってのは、多分相手が明確な形を持って他者として現前している(自と他の境がはっきりしている)瞬間だと思うんだけど、他の人物と比較してリリーの台詞だけ「」率が高いような気がしたんだよな。分かんないけど。文学史上重要な小説として研究しつくされてるだろうから、誰かしらカウントしてる人いると思うけど、調べてないので知らない。体感。
 それってだから、主人公にとってリリーという女性が、自己に対して立ちはだかってくる世界の象徴(《美少女》)に最も近い存在だったからなのかな、とか思った。でも彼女は意外と献身的に主人公を理解してあげようとしちゃうし、限界が来たら主人公の前からいなくなってしまうので、ついに《美少女》たりえなかった。時代的にも《美少女》という虚構を信じ切るにはその強度がまだ足りなかったんだろうなという感想を、リリーの動向を追っていくなかで抱きました。

「限りなく透明に近いブルー」は《美少女》まであと一歩だった。それを「ハルヒ」が完成させてくれた! ありがとう!

 そして「ハルヒ」以降、ラブコメラノベはそこで停滞したままです。
 絶対的暴力的他者にエゴイズムを押しつけられることで自己解体者が主体性を得ました! というところからなーんにも進歩がない! おたくはいつになったらその陶冶した主体性でもって世界と本気で関わろうとしてくれるんですか? 「本物」が欲しいとか言ってびーびー泣いてる場合でも、人生は神ゲーだとか喚いてる場合でも、月に手を伸ばしてる場合でもないからな。いい加減にしろよ。
 なにが「暴力系ヒロインの流行り廃り」だよ。それはハルヒでもう完成してんだよ。ハルヒ以降の暴力系ヒロインは全部無意味な繰り返しです。ホンマありがとう。

 ということで、『限りなく透明に近いブルー』、とってもおもしろかったです!

2位 庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』

表紙の色合い、好き。

 ツンデレ幼馴染ヒロイン萌え~(オタクの鳴き声)
 
 最初はライトノベルの源流だろこれ! って感じで読んでたけど、読み終わった今となっては、薫のそのあまりに等身大な独白の連なりに圧倒されて、ラノベとかツンデレとか萌えとか斜に構えとか、そういう俗悪な言葉で形容するのが申し訳なくなってくるほど、純粋で誠実でありのままで脆くて尊くて希望に満ちた光り輝くお話だった。

 よくある話として、山月記の李徴に自己投影している高校生を見つけるたびにネットのバカ共が「李徴はとんでもない秀才でエリートであって、お前らとは違うのに分不相応にも自己投影してて草」と茶々を入れてくるという光景を目にする。「赤」も構造としては一緒で、一見普遍的な思春期の悩みを描いているようで、その本質は一中→一高→東大というエリート街道まっしぐらなアッパーミドル階級の、いわば「持てる者」の苦悩を描いた教養小説(高田里惠子『グロテスクな教養』)であって、現代のオタクたちが傲慢にも薫に共感して読もうものなら、これまたネットのバカ共がまさにイナゴの大群のように飛んできてボコボコにすること間違いなしの作品なのだが、それを補って余りある「青春」の魅力というか香りがこの小説には漂っており、それが普遍的に人を惹きつけてやまないのだろうと思います。三浦雅士は『青春の終焉』において「青春とは非日常が日常となる時空、祝祭の時空の別名である」とかなんとか言ってるけど、全共闘運動の一つの頂点である東大入試中止を受けた薫の青春は、まさにその終焉に相応しい濃度のある祝祭の空気感を醸していて、とても良い。
 僕はつねづね、エンタメと文学性って別に相容れなくないよな? と思っていて、この二つを上手く融合したラノベに飢えているんですけど、『赤頭巾ちゃん』がその原点にして頂点すぎる。『限りなく透明に近いブルー』と『赤頭巾ちゃん』を足して2で割って、そこに《美少女》を投入したら『ハルヒ』ができると思う。何が言いたいかというと、やはり自意識系ラノベは『ハルヒ』から進歩していない。
 別にそんな書きたいこともないからもう終わるけど、聞くところによると、三作目の「白」の由美が萌えらしいので、それを今から期待して読もうと思います。オタクは結局こういう青春の自意識みたいな作品が大好き!

1位 遍柳一『平浦ファミリズム』

 レヴィナスありがとナス~。
 レヴィナスすぎるだろ。これに関してはTwitterで言いたいこと全部言ってるのでそれを引用しておくに留めます。

https://x.com/shimousasagi/status/1843830270941872504

 ライトノベル、まだまだやれます! 11月は新刊が全部ダメそうだけど、やれます! 期待してます。

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