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ぼくの趣味遍歴①~未就学時代~
いったい自分がどういうオタク的遍歴を経て今の自分に至るのか、そろそろ幼い頃の記憶を忘れ始める年齢に差し掛かっている気がするので、完全に思い出せなくなる前に、こうしてnoteに書き留めておこうと思います。
【未就学時代】電車/恐竜/仮面ライダー・戦隊/Wii/たまごっち!・スティッチ!・昔のアニメ
小学校入学以前の趣味です。とはいえこの頃に摂取していたものは趣味というより、ただ家にあったから読んだ、テレビで流れてたから見た、という受動的な面が強いでしょう。
まずはじめ、ぼくの最も古い記憶はなんと電車です。残念、この子は幸せな人生を歩めない!
ただ、電車といってもぼくが好きだったのは寝台列車や貨物列車といった、普段目にすることのない特徴的な外見のそれらに限ったもので、特にお気に入りだったのは貨物列車の「金太郎」でした。
なぜ電車が好きだったのか。プラレールの影響も多分にあるでしょうが、いちばんはおそらく「のりもの探検隊」というテレビ番組の影響だと思います。
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ですが、ぼくに乗り鉄の素質がなかったことが幸いし、写真を眺めるだけで発展性のない電車というものへの興味は次第に薄れていきました。小学校に上がる頃には自分が電車好きだったことを一時期忘れてしまうくらいには、完全に飽きたのでした。
ぼくのオタク人生の最大の幸運は、電車への興味が長続きしなかったことでしょう。
とはいえ、電車は、小さな男の子がハマる対象の定番どころではあります。幼少期の男児が好きなものの二大巨頭、それは電車と恐竜でしょう。ということで、ぼくは恐竜も大好きでした。この興味はいくらか長続きし、たしか小学校低学年が終わるくらいまでは、将来の夢は恐竜博士だったはずです。またこの頃はちょうど日本が恐竜ブームで、いろいろの番組や恐竜展がそこら中でやっていたのでした。ぼくが恐竜に興味を持ったのもこのブームの影響でしょう。
そうして誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントが、両方とも恐竜図鑑になるくらいには、ぼくは恐竜に熱中していたようです。両親も子供の関心ごとをしっかりと把握しており、いろいろと調べてくれたのでしょう、今度NHKで恐竜をテーマにしたSFドキュメンタリーが放送するというので、それをぼくのためにビデオで録画しておいてくれたのです。それが、恐竜好き界隈ではかなり有名なあの番組、『プレヒストリック・パーク 〜絶滅動物を救え!〜』でした。
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生物学者が恐竜時代にタイムスリップして、絶滅寸前の恐竜たちを現代に連れて帰り、絶滅動物保護区である「プレヒストリック・パーク」にて飼育・保護をするという趣旨の番組です。これがめちゃくちゃ面白かったのです。白亜紀やジュラ紀での危険な冒険だけでなく、恐竜を現代に連れてきた後の、保護区での運営描写にも力が入っており、これがぼくの気に入りました。将来の夢の選択肢として動物園の飼育員が追加されたほどです。
こういう風にして、両親は今に至るまでぼくの興味関心を否定することは一度もなく、むしろ自分の関心ごとを他人に気取られるのは恥であると考え、努めて興味のない素振りをしていた幼少期のぼくのために、博物館に連れて行ってくれたりしたのでした。子供の「好き」を育むことに惜しみない彼らの姿勢を、ぼくは親の鑑として感謝し尊敬しています。
さて、子供の好きなものを語るのに欠かせないものの一つが、特撮でしょう。ぼくは仮面ライダーディケイド・W・OOO(オーズ)世代で、特に年齢的な理由から理解力の追いつかなかった前二つと異なり、仮面ライダーオーズはしっかりとストーリーを理解しながら視聴することのできた最初の仮面ライダーです。
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この主人公はライダーの力を手にする前から本気で世界平和を願い行動していたような根っからのヒーロー気質であり、ぼくのオタク的なメサイア・コンプレックスは、おそらくここから生まれたものです。それだけに、ぼくにとって最も思い出深い大好きなヒーローなのですが、これには震災の衝撃も大きく関係しているでしょう。東日本大震災はオーズの放送中盤に起こりました。震災の記憶もぼくには色濃いのですが、当時を思い出そうとすると、必ずそれに付随して浮かび上がってくるのがオーズなのです。こういう大きな衝撃と強く関連付けて記憶された物事を、人はそう簡単に忘れることができません。オタク批評界隈ではよく、震災以前/以降で虚構に対する接し方が変わったと言われておりますが、どこかそれに近いものを当時のぼくもまた経験していたのかもしれません。
仮面ライダーと対をなすものが戦隊モノです。ぼくの日本的なものへの憧れ、そのはじまりは侍戦隊シンケンジャーなのだと思います。以前のnote でも少しだけ触れましたが、シンケンイエローはぼくの初恋です。
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そのせいで和風ヒーローが好きだと思われたのでしょうか? それともぼくが自分で選んだのか、もうきっかけはよく覚えていないのですが、この頃、TSUTAYAで仮面ライダー響鬼を借りてきて全話視聴していました。
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この明らかに異色のヒーローは、ぼくの興味を独り占めにしました。派手さのない落ち着いたストーリー、主人公たちの拠点である葛飾柴又のまんじゅう屋、豊かな自然の景色、とにかく日本の和をモチーフとしたこれらの雰囲気が、当時放送中だったライダーを差し置いて、ぼくをこの過去作へと向かわせました。子供は好きなライダーの変身ベルトや武器を欲しがるものですが、過去作のためおもちゃ屋では売っていません。ぼくは当時見ていた『つくってワクワク』のわくわくさんに倣って新聞紙や輪ゴムで響鬼の使う武器を自作したのでした。これを見かねた母親が、当時盛んだったヤフオクで響鬼の玩具を落札してくれました。小さい頃に買ってもらったおもちゃのほとんどはしばらくしたら「悪いことをした罰」で捨てられてしまっていたのですが、この響鬼の玩具だけは今でも押し入れの段ボール箱のなかに入っているはずです。
戦隊モノの過去作にも、ぼくの思い出の作品があります。救急戦隊ゴーゴーファイブです。
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ゴーゴーファイブを見始めた理由は明確で、父が救急隊員だったのです。
ゴーゴーファイブの玩具も例によってヤフオクで集めてくれたのですが、これはサプライズプレゼントでした。ぼくが母と共に家へ帰ると、テレビの横に、ゴーゴーファイブの合体ロボットが置いてあったのです。ぼくは昔から感情表現が苦手で、その時も大した反応をしてあげることができませんでした。あのものすごい嬉しさを伝えられるよう、もう少し努力すべきだったでしょう。
3歳の誕生日に、Wiiを買ってもらったのを覚えています。これはぼくの興味というより、親がぼくの誕生日にかこつけて最新のテレビゲームを手に入れたがったのでした。父にはそういうところがあります。
持っていたソフトは『街へいこうよ どうぶつの森』『みんなで遊ぼう!ナムコカーニバル』『ドラえもんWii ひみつ道具王決定戦!』『Wii Sports』『Wii Fit』『仮面ライダー クライマックスヒーローズW』等です。今こうして並べてみると、絶妙に定番どころを外したラインナップで少し笑ってしまいます。普通とりあえずマリオとか買うだろ。これらのゲームに母を付き合わせたことは幾たびでしょう。ちなみに父と遊んだ記憶はありません、ぼくが5才のときに離婚して家を出たためです。
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『Wii Sports』のなかで、ぼくはボウリングとゴルフばかりしていました。それで「将来はボウリングかゴルフの選手になりたい」と母に言ったらしく、それを聞いた母は「この子はちょっと変わってるのかもしれない」と不安になったというエピソードをついこの間、聞かされました。覚えていません。
たまごっちについては以前のnoteでもっと詳しく書いています。
ぼくはディズニーにはあまり興味がなかったのですが、スティッチはよく見ていました。リロが嫌いなので沖縄編しか見ていません。
ケーブルテレビで少し昔のアニメを見ていました。ハクション大魔王、キテレツ大百科、銀河鉄道999などです。特に999は父親が好きで漫画も家に置いてあったので、それと合わせて楽しんでいましたが、あのどこか不気味な雰囲気の作風と、ラストの別れが受け容れられず、今でもあまり好きではありません。とはいえ内容もほとんど覚えていませんから、今あらためて見たら印象が変わるということはあるかもしれません。
5000文字程度で現在までさくっと纏められるかなと思っていたのですが、案外長くなりそうだったので何回かに区切って書くことにします。
そういうわけで第一回は、いくつかオタクの片鱗のような怪しい場面はありつつも、まだぜんぜん修正可能な範囲で、ごくごく普通の人間として成長していた頃の話でした。ここからあらゆる選択肢を間違え続けた結果、このように取り返しのつかないオタクになってしまったのかと思うと、感慨深くて泣ける。では次回でお会いしましょう。さようなら。