「君がいるだけで」の受け止め方の変化と、エールと
立場や環境で名曲の受け止め方、解釈が変わるという経験をしたので、メモ程度にまとめてみました。
以前、君がいるだけでを口ずさむ西松屋のCМを見て、この曲を何度か聴くようになったので。私は元々SOTTE BOSSEのcoverで知りましたが、元は米米CLUBの1992年のヒット曲で、私はまだ生まれておりません。姉もぎりぎり知ってるぐらいか?
当時は結婚式ソングとしても流行ったらしいですが、強がりの汽車を走らせていた”とか“裏切りの鏡に映し出された”といった比喩表現。おちゃらけたコミックバンド的な要素が強い米米CLUBにしては、なんともべたべたというか正攻法。当時の歌謡曲、JPOPに、いかにもありそうな表現を使って正攻法で大ヒット曲を生み出したそれこそが、このグループにとっては冗談やシャレのようなものだったのかもしれませんが、大衆というのは、歌詞の字面通りにそのまま受取るもの。ポピュラリティの面で最も成功したシングルと言っていいと思いますが、同時に路線変更を余儀なくされていくという曰く付きの楽曲でもあるとか。
この作品、メンバー同士の結婚を祝福するために作られた曲だそうですが、歌詞をみると、恋愛の歌にも友情の歌にも聴こえます。君がいるだけで心が強くなれること 何より大切なものを気づかせてくれたね” というベタベタなものですが、分かりやすい歌詞であるからこそ、立場が変わると受け止め方が変わる。
ふと、西松屋のCMで流れていたのを聞いてから、小さい子供がいる身としては、家族の歌としても成立していると感じました。CMの単なる演出につられただけだといえばそれまでですが。子供は手間がかかり、お金も時間もかかり、自分の時間の多くが削られます。経済的な理由だけでなく、精神的な面においてもそうです。まだ子供なところがあるかもしれないのに、育てる資格や自信があるだろうかと。ただそれは日々の手探りの試行錯誤が大事で変わるのではなく変わらないといけない。学校関連の問題や(一部はメディアの過剰な反応や根拠なきものもありますが)虐待のニュースなど不安に書きたてられる。税負担などもそうですね。幼稚で愚劣な大人が一部いるのも困りものですが、子供持たない選択も理解できる部分ある。しなくてもいい事や呆れるほど毎日のように次元の低い、しょーもない会話もしなければいけません。子供は親の見通しや思い通りには絶対に育たない。
ただはっきり言える事は(結婚したなら子供は絶対持った方が良いでは角が立つので)子供をもつ事は悪くない。子供の懸命な姿や、えらい生意気に真剣な表情をしている時や、予想外な行動で愛情も示してくれる。仕事や趣味と違い、プラスの面は少ないですし、良い事ばかりではない。
与えてばっかりで何の見返りもない事ばかりですが、日々育ち、変化していく姿を見る。たかが数十年程度の人生なのですから、たまに人の為に何かして時間とお金を犠牲にする。それも悪くない。そう思えるようになれば大人なのかもしれません。
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