見出し画像

下鴨ロンドってどんなところ?―ある日の【ご相談】編

written by haco(下鴨ロンド・シェアメイト)

ある平日の夜、下鴨ロンドのあるメンバーからシェアメイトに向けて【ご相談】のLINEが送られた。シェアメイトのグループLINEはどちらかというと日々様々なやりとりが飛び交う方だ。けれどその日の【ご相談】からのやりとりはこれまでになく活発で、いろんなひとの言葉が飛び交った。その光景に私はいたく感激した。これぞまさにコモンズだと思った。この文章は、誰に頼まれたのでもなく、ただあのときの感激を記録したいがために書くものである。

さて、これぞまさにコモンズだと思った、と書いたけれど、実際のところは「コモンズっぽいと思った」が正しい。正直なところ、コモンズとは何なのか、私にはまだよくわかっていない。ただ、みんなの場所について、みんなで考え、話し合って、決める、というプロセスがまさにそのとき目の前で展開していることに感動したのだと思う。
みんなのことを、みんなで考える。そしてそのみんなとは、ひとりひとりの集まりでもある。そんな素朴で当然のような、けれどしばしば忘れられがちなことが、あのときあの場では確かにいきいきと生きていたように感じた。

今年の4月に京都を離れた私は、月に1回行われる掃除(これにはボランティアの方も多く参加される)や隔月で開催されるシェアメイトの定例ミーティングやその他各種イベントごとに参加できないことも多々あり、心苦しかったり悔しかったりすることもしばしばだ。それでもそんなひとをも許容してくれる懐の深さが下鴨ロンドにはある。何なんだろうこれは、と、よく思う。

出来立てショップカード(撮影:本間さん)

私がシェアメイトに仲間入りさせてもらったのも、今年の4月だった。それまでにも何度か出入りするなかで、下鴨ロンドという場所の包容力に、そしてそこに集う人たちのあたたかさと爽やかさにすっかり心奪われていた。けれどシェアメイトになってからはよりいっそう、その魅力にふれる機会が増えたように感じている。先日のLINEでのやりとりはそのなかでも特にインパクトの大きいものだった。

【ご相談】というのは、平たく言うと下鴨ロンドの運営に関することだった。下鴨ロンドには、あと数年で築100年になるこの場所をどう維持管理し、再生・活用しながら未来に繋げるか、というコンセプトがある。この維持管理や再生・活用には、シェアメイトだけでなく様々なボランティアがかかわっている。しかしやはりお金は重要な問題で、今回の【ご相談】はこのお金にかかわる事柄でもあった。

下鴨ロンドをめぐるお金に関するルールは、既に様々な話し合いを経て、ある程度の取り決めが共有されている。そのルールにどこまで柔軟性を持たせるか、というのが議論の中心ではあったが、そもそも下鴨ロンドはどういう場所なのか、この場を長く続けていくにはどうするのが良いのか、ルールの公平性をどう考えるか、お金に代わる交換や贈与をどう考えるか、雑務や作業をどう位置づけるか、などなど、様々な角度から意見が出された。

私が感激したのは、この意見が本当に様々な角度から出されたこと、それが個々のシェアメイト自身の言葉で発せられたこと、そして何より、それら多くの発言が、様々な専門性や経験に裏打ちされたものであったことだ。

自分の言葉を発することは、時々結構難しい。その言葉が受け止められないかもしれないと思うと、自分自身の言葉よりも当たり障りのない定型文を使いたくなる。あるいは何か言うこと自体、控えようと思うかもしれない。自分の言葉で話すには、何を言っても良い場だと思えることが必要だろう。ではなぜ今回それが可能になったのだろう。

下鴨ロンドは在野の研究者のためのオルタナティブ・スペースでもある。とはいえ企業や大学に所属しているひとや、研究者ではないひともいる。それぞれの人生があって、生活があって、生業があるなか、下鴨ロンドという場所に惹かれ、この場をめぐるコンセプトに賛同しているという点で繋がったひとびとである。
そもそも考えが違ってあたりまえ、という前提があったのかもしれない。それは、発言する側にも、受け取る側にも。
きっとそのことが、互いの意見を尊重することにも繋がるのだろう。それは異分野の知や、わからないこと・ものに対する敬意とも言えるかもしれない。

なんというか、みんな、大人なひとたちなのだ。年齢の問題ではない。他者を個人として尊重する空気が下鴨ロンドにはあると思う。それはシェアメイトだけでなく、ボランティアのひとたちも同様である。だからといって、個人主義的であるわけでもなく、自己責任的な冷たさもない。結構ひとに頼り頼られるし、それが自然に循環しているようにも見える。

あれこれ考えていると、私が下鴨ロンドにいるときに感じる心地よさの正体がなんとなくわかってきた気がする。それは、下鴨ロンドで過ごすとき、そこで誰かと出会うとき、普段自分がどこに所属していてどんな仕事をしている何者か、ということを棚上げにして、ただの私でいられる、ということだ。

もちろんお互いに話しているうちにいろんな側面を知っていくけれど、出会いのはじまりがフラットであることは、私にとって心地よく安心して過ごすために大切なことのようだ。おとなになるにつれて、そうやって誰かと出会う機会が少なくなってきたように感じて少し寂しかった。けれどこの場で出会うひととは、大半がまずはただ自分の名前を名乗りあって、徐々に相手のことを知っていく。そこでのやりとりがなんだか毎回新鮮に楽しくて嬉しい。

下鴨ロンドは古い洋館を《ケアする》プロセスを通じて、参加者が《ケアされる》時間を大切にしている場所でもある(先日できたパンフレット(※下鴨ロンド主宰の本間さん作)にあることばです)。

出来立てパンフレット(撮影:本間さん)

様々なひとにケアされてもうすぐ築100年を迎えるこの場所だからこそ、集うひとのあいだにもまた自然にケアが発生するのだろうか。稀有な場所だと思う。今後もぜひ大切に残していきたいと思う。そんな気持ちが、【ご相談】に対して自分の言葉を紡ぐ原動力になっていたのかもしれない。

【ご相談】に関する結論は、最終的に次の定例ミーティングに持ち越しとなった。こうしていろんなことを話し合っていけるといい。これからも、何年後も。


下鴨ロンド主宰の本間さんが10/12(土)に公開レクチャー@京都市立芸術大学に登壇します。下鴨ロンドの話もされるようなので、よろしければぜひご参加ください。
https://gallery.kcua.ac.jp/events/2024/11424/

いいなと思ったら応援しよう!