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なぜあの時、格納容器が爆発しなかったのか

映画「Fukushima 50」(若松節朗監督)から。
2011年3月11日の原発事故を題材にした映画、
ただそれだけならわかるが、冒頭から気になるクレジット、
「事実にもとづく物語」。
10年前の事故だけに、私たちの記憶もまだ鮮明であり、
このフレーズは「ドキュメントタリー映画」と錯覚させる。
それは、とても危険なことしではないだろうか、と観終わった。
当時政権を握っていたのは民主党、内閣は菅直人内閣。
官邸の判断の甘さ、東電本店からの威圧的な現場への指示。
そして、一番がっかりさせてのは、誰も「菅総理」に、
あなたの判断、行動が事態を刻々と悪化させています、と
はっきり言えない、言わないことだった。
これって、現在の立憲民主党は調整力なし、が表現されている、
そんな印象さえ与えかねないギリギリの作品だった。
しかし、この原発事故を思い出しながら、一番驚いたことは、
ラストシーン、吉田所長の葬儀で読まれた弔辞の一説、
「なぁ、なぜあの時、格納容器が爆発しなかったのか、
いまだにわかってないんだ」
私は、物語の核となる現場の方々、言い換えれば
未曾有の事態を防ごうと現場に留まり奮闘し続けた人々の
努力の甲斐あって、最悪の状況を切り抜けられた、
そう思っていたから、唖然とした。
本当に「格納容器が爆発」していたとしたら、
今、どんな世界が待っていたのだろうか。
改めて、神様、仏様に感謝したい。

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