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「親」と「それ以外の人」に同じことを求めるのは狂ってる。野蛮なブラック恋人になってるよ!

少し前に、インスタの方で、こんな質問をもらったことがあった。

たとえば飛行機が遅延して、空港で終電がなくなった時に、旦那さんや恋人に迎えにきてほしい?自分で何とかする?
また、迎えにきてもらえない場合、「自分はそこまで好かれてないんだな」と考える?好意とそこは区別する?

それに対して私は、こういう回答をした。

その状況において真っ先に浮かぶのは「タクシーで帰る」という案。だってそれが早いから。仮に、飛行機の中で連絡が取れて、着陸に間に合うように迎えに来てもらえるならばタクシー代が浮くことは嬉しいけど、迎えは別に誰でも良すぎるし、そこで迎えに来れるかどうかは「たまたまその時、手が空いているか」「タイミングが合うか」などの問題でしかなさすぎて、そんなことで相手の気持ちを測ったことはないし、逆に自分が測られたら「クソメンヘラ!!!」と思う。

駆けつけてもらえた場合に感じ取れる好意はあっても、その逆に対して深い意味づけはしない。

ただ例外として、親に断られたら、ちょっと「え」と思うけども。笑
親なのに、私への優先順位が低いな…って。

※インスタ上ではもっと簡潔に返していたけど、こちらは原稿なので、より分かり易くする目的でブラッシュアップして再現してます!

すると、それに対してフォロワーさんからこんな反応が。

美咲ちゃんはどうして、親にはそう思うのに、パートナーだとそうは思わないの?!
私は、パートナーが相手でも、そういう時に駆けつけてもらえないと、相手の中での自分の優先順位を低く感じて悲しくなってしまう!
親と、その他の人に求めていいことには、どうして違いがあるの?その差が分からない!

ということで、今日はこの件について、遅ばせながら説明をするね!!


まず、「迎えにきてもらえない場合、"自分はそこまで好かれてないんだな"と考えてしまう」って人に伝えたいのは、その発想って!めちゃくちゃ野蛮だよ!!!ってこと。

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