適切に人を見下す力は、成し遂げる力の強さだ 【美咲流・クソバイスとの向き合い方!】
先日、インスタの質問箱で、こんな質問をもらって。
それで、改めて考えてみたんだけど、
マジマジのマジで1つもなくて(^-^)
その場ではこんな風に回答をしたんだけど、
ほんとに、逆しかなくてさ、「あの時、周囲の人たちを全力で軽蔑して、見下して、見くびってて本当に大正解のスーパーグッジョブだったし、誰の意見も真に受けずにしっかりスルーして、自分の勘だけを頼りに人生を推し進めてきて本っっ当によかったなーーーーー!若くて人生経験も乏しかった中で、あの判断ができていた私天才!!!」って思うばかりなんだけど、
同時に、「もし、あの時、逆に聞く耳を持ってしまっていたら…」と思ったら、すごくゾッとして。
当時の私には、その選択肢も目の前にぶら下がっていたはずなんだよね。私は選ばなかったけど、他の誰かは、選んでしまっていたりもするんだと思うんだ。
そう考えると、改めて、クソバイスってめちゃくちゃ怖いし、とてつもなく罪深いよな…と思うと共に、人が生きていく中では誰しもがゴマンと浴びる機会があるのがクソバイスだなって思うから、今回は改めて、クソバイスにまつわる哲学を語ろうかなと。
私は、ことごとくスルーしてきたし、頑なに取り入れなかったし、相手を疑い続けたけど、クソバイスを浴びる機会自体はやっぱりすごく沢山あったなって思うんだよ。
ああいうクソセンスの悪い・余計なお世話でしかない・その言葉たちを、もしも「ありがたいアドバイス」として受け止めてしまっていたら。
私は、その度に少しずつ人生の舵を残念な方向に切ってしまうことになっていて、その積み重ねで、今とは全く別の、生き地獄みたいな場所に辿り着いていたはずだ。そのくらいのボリュームでは、クソバイスを渡される機会自体はあった。
だからね、人から渡された意見を「あ、これ、クソバイスだ」って切り捨てる力って、めっちゃ大事だと思うんだよね。クソバイスを浴びない方法なんて存在しないからさ。浴びた時の処理が大事だよ。
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