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一周まわってまた友情

引っ越しした場所が中学時代の友人Aが住むエリアと近いので板東英二がゆで卵を食べるくらいのハイペースで会うようになった。

彼とは十代の青春時代を共に過ごし、ギターと自作の珍妙な歌を引っさげてヒッチハイクの旅に出たり、同じ女性に告白して片方だけフラれたり(僕です)、どちらの目がより草食動物的に離れているか議論したり(僕でした)、数多くの思い出を共有する仲なのだが、お互いが大人になり仕事や人間関係の変化もあって最近は会っても1〜2年に一度くらいのペースになっていた。

これは僕だけに限らず多くの大人になってしまった人が経験することだと思うが、親や兄弟と一緒で地元の友人というのも「すでに関係値は完成しているのでいつでも会える」と安心しがちだ。その安心感は長い年月が生んでくれたものであることは間違いないのだが、そもそも会う頻度が下がってしまうためたまに会うときは近況報告に終始してしまうことも多い。新たに何か刺激を生み出すということよりも「確認」に近い付き合い方が増えるように感じる。

だからこそ刺激がなくなってしまうのが嫌でAには余計な行動を取ってしまうこともあった。昔Aと部屋で飲んでいたとき、彼がトイレに立ったタイミングでジョッキに入ったハイボールを僕のオシッコにすり替えたりして強制的な刺激を作り出すということもあった。

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