「直接会わなくても良い時代」に、それでも会って話したいと思える人のありがたみについて|#深夜2時の独り言
自粛期間で人と直接会わない時間が急激に増え、これを機にちょっと立ち止まって、「会いたい」と思える人の価値や特別感について考えて思ったことを纏めてみました。
1.Withコロナ下で実現される「"当たり前"の崩壊」
人と直接会う時、感染リスクがふと頭によぎるようになってしまいました。
コロナが猛威を奮っている間は、誰かと直接会ってどこかへ出かけることに、「リスク」が常につきまとう。
今まで直接会うことを前提に回っていた経済も止まり、社会は変革の時を迎えています。
変革がもたらすのは、「"当たり前"の崩壊」。
これまで「オフラインでやるのが"当たり前"」だったものが、みるみるうちにオンラインへ移行します。
「オンライン飲み会」が流行り始めたのも、あっという間でした。
それまでの「飲み会は飲み屋でやるのが当たり前」という常識が崩れ、自分の部屋でやるのも意外と楽しい。
会場に集まるのが当たり前だったセミナーも「ウェビナー」が代替しました。むしろウェビナーの方が移動時間かからないし途中で簡単に抜けれるし、寝っ転がりながらでも見れます。
2.「直接会わなくても良い時代」へ
「会う」に関する"当たり前"も崩壊しつつあります。
平時では、いつもの仲間や友達と会えることが当たり前で、何かする時は直接会うことが前提で世界が回ってました。
しかし今は逆。Withコロナである限りは、会わないことが前提の世界になります。
いわば、誰かと直接「会う」時間と「会わない」時間の主副逆転状態。
直接会わない方が安全な状況の中で、「直接会う」に相当するニーズを、何らかの代替手段が満たしていく。
そして、「直接会わなくても回る」仕組みが増えていく。
恋愛マッチングも、ビデオ通話でのデートが主流になりつつあります。
ワークショップもオンラインの方が手軽に楽しめるし、フェスや飲み会だってオンラインでできてしまう。
仕事だって会社行かなくたってできてしまう。(むしろ行かない方が効率的だったりもする)
そうして「直接会わなくても回る」仕組みが増えていきます。
これまであった「当たり前」に対して、最初は真新しいことでも、それをやるしかない状況が続くと、やがてそれも「当たり前」の一部になっていきます。
オンラインとオフラインの主副逆転。
直接会わなくても良い時代の到来です。
3.「直接会う」ことの価値
いくら「緊急事態」でも、いくら一時的な「危機」でも、その状況がしばらく続くとやがて生活者は慣れてしまいます。
そしてあたかもそれが予定調和だったかのように、崩壊・再構築された"当たり前"は受容され、根付きます。
直接会わなくても良い時代では、これまで「会う」か「会わない」かの二択だった世界に、「会う」の代替手段が増えていきます。
例えば、「会う」の代替手段としてビデオ通話を例に取ります。
人間関係構築のコミュニケーション方法の概略図を見てみましょう。
従来型を上記のように、直接会うか、会わない間に連絡を取りあうか、の二分とすると、
ビデオ通話で擬似的に会うことが定着したWithコロナ以降の世界では下記のようになると思います。
上記の簡易図をもとに「直接会う」ことの価値を確率論的に考えてみると、
▪従来型:2分の1(=0.5)
▪Withコロナ以降:3分の1(≒0.3)
となります。
つまり、直接会わずにビデオ通話で「擬似的に会う」ことが当たり前に使える選択肢となり、「直接会わなくても"会える"」世界になると、「直接会いたい」と思える関係の稀少価値は自ずと上がります。
4.「直接会わなくても良い時代」に、それでも会って話したいと思える人のありがたみ
コロナ禍を機に「当たり前」が崩壊すると、テレワークが当たり前になったり、ゴーストレストランが増えたり、通販で購入したものをドローンが一瞬で届けに来てくれたり、人と人とが直接会わなくても回る仕組みが拍車がかかるようにどんどん増えていくと思います。
直接対面しなくてもあらゆるニーズが満たされる、さらに便利な世界になるにつれて、敢えて居酒屋代を払ってでも、移動時間を割いてでも、それでも直接会いたいと思える人は、どれだけ残るでしょうか。
今でも、「話したい」というだけのニーズであれば、LINEだけでも充分かもしれません。
もちろん、そんな世界は便利です。
しかし、同じ空間の共有、同じ体験や経験の共有など、直接会うことだけにしかできない体験はあります。
「直接会わなくても良い時代」に、それでも直接会って話したいと思える仲間の特別感は増しつつありますよね。
そんな仲間や恋人などを、より大事にしていきたいし、より感謝していきたいですね。
それはともかく、コロナとの闘い真っ只中である今が一番人肌恋しい期間だと思います。
コロナが終わったら会いたい、と思える人はどれだけいるでしょうか。
そう思える人がいるだけでも、幸せ者だと思います。
頑張って乗り越えましょう。
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