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テレビのキモさが浄化されていく

テレビには、昔からキモいものを感じていた。

とりわけバラエティ番組である。くだらない話が「トーク」と称して延々垂れ流さていて、何がおもしろいのか分からなかった。しかも、話の途中で司会者が茶々を入れたり「ツッコミ」を入れたりして、それも鬱陶しいと思っていた。

子どもの頃、母親に「なんで話の途中で遮ったりするんだろう」と疑問をぶつけてみたことがあるが、その答えは「話をおもしろくするためだよ」だった。だが、「おもしろい」とはそういうことなのか、と疑問だった。

中でもキモかったのは女性関係の話題だ。松本人志騒動でだいぶ俎上に載せられたが、30年前20年前あたりのトークバラエティ番組はだいぶキモかった。それこそ松本人志が女性とのベッドで起こったハプニングをしゃべったりしており、中学生くらいでそれを聞いてかなりの嫌悪を覚えたものだ。

今思えばその頃のテレビでは男性芸人やタレントが女性を性的に搾取する、慰みものにすることはほとんど前提になっていた。私は「女遊び」という言葉の意味がよく分からなかったし、嫌いだったが、おそらく「女遊び」という言葉には女性を性的な対象として搾取するというニュアンスが含まれているのだろう。もっと短く「遊んでいる」という場合もあるが、やはり、これもかなり気持ちが悪い言葉だ。「女遊び」は近々放送禁止用語になりそうな気がする。

現在、社会はホワイト化されていっていると指摘されているが、そもそも私のように昔からキモさを感じている人は大勢いて、実はマジョリティで、それがだんだんテレビの共通認識に競り勝ってきた——それが現在の状態なのだろう。

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