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学歴は知的能力の推定材料である

学歴はその人の知能を正確に反映したものではない。しかし、推定材料としては用いられる。統計的に言って、高偏差値の大学を出ていれば知能が高く、そうでなければ低いことが多いからだ。

ただし、これは推定に過ぎない。だから、その人のことを深く知っていったり、しばらく対話をしていれば、その推定はいくらでも覆ることがある。だから、推定はあくまで推定に過ぎない。

しかし、世間を見回してみると、この推定がほとんど「みなす」に置き換わっていることがよくある。「〇〇大学を出ているから優秀だ」というのが推定ではなく断定になってしまっている例がよくある。

なぜこのような倒錯が起こるかと言えば、他人の知能を実質的に判断するには、その判断する側に一定の知能が要求されるからだ。知能が低いと、他人の知能を自分で測ることができない。これはたとえば、ある程度武道に通じている人は強者を見抜けるが、まったくの素人にその見分けがつかないのと似ている。一定水準の知能がない場合、自分で他人の知能を見抜くことができないから、学歴という推定を断定に置き換えてしまうことになる。

このように考えると、学歴だけを持って知能の高低を断定的に語る人はみずから自分の知能の低さを自白しているようなものだ。その姿は、圧倒的強者の力量が分からずに襲いかかってボコボコにされている三下の醜態と選ぶところがない。

追記

ここしばらく、なぜか学歴のことをよく考えてしまっている。なぜだろう。Wakatte.TVの見過ぎか? ちなみにWakatte.TVは上に書いたような「学歴で他人の知能を断定するバカ」のカリカチュアであるが、真に受けている人がそこそこいそうで心配である。

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