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自分はもっと評価されるべき?

こんにちは、Shimizu_Tです。

今日は、私の能力と評価の関係について。

前振り

私は、ある組織に属している。

組織といっても、「ウラ社会の危ない組織」とか「世間に受け入れられない組織」といったものではない。

(おそらく)フツーの仕事をしている組織という意味である。

(いきなり最初から、ギャグが滑っていることは自覚してます。)

で、私は、そこで管理職のような役職(仮に課長とする)に就いている。
ただ、自分で言うのも何だが、私に課長の適性があるとは思っていない。

人事担当者は、何を考えて私のような人間を課長に就かせたのか?

たぶん、ある時期に「候補だった◯◯が辞めてしまったから、代わりになるのは・・・う〜ん、Shimizu(私)しかいないなあ。」と、仕方なく消去法で係長に就かせて、そこから「ところてん方式」で押し出していったのではないかと。

私は、どちらかというと、得点もしない代わりに、失点もしないタイプであって、バリバリと仕事ができるタイプではない。
そういった失点しない性格を、人事担当者は(間違って)評価してしまったのだろう。

時代錯誤もいいところだと思う。

本題

新聞に掲載されていた書籍広告の見出しに
「能力の低い人は、自分を過大評価する」
というのがあった。

世間では割と有名な考え方らしい。
「ダニング=クルーガー効果」とも言うそうだ。

へえ〜、そうなんだ・・・。

そこで、私は考えた。

「逆に、能力の高い人は、自分を過小評価するということだろうか?」

それは、また違う言葉が(◯◯症候群)があるそうだが、ここでは割愛。

結論のようなオチ

「私は、自分では気が付いていないけど、本当は能力が高いのだろうか?」
「だから、課長に就いているのだろうか?」
「単に、自分を過小評価しているだけなのだろうか?」

「そうだ、そうに違いない。」
「人事担当者が、能力の低い人間を課長に配置するはずがない。」
「自分では気が付いていないが、適性があるから、課長に就いているんだ。」

「そうだ、そうだ、私はとてつもなく素晴らしい人間なんだ。」
「だから、課長にとどまらず、もっと上の役職に就くべき人間なんだ。」

「あれっ?もしかして、自分を過大評価している?」
「やっぱり、自分は能力が低い人間なんだろうか?」

えっと〜・・・

結局、私は、
能力が低く、自分を過大評価しているのか?
それとも、
能力が高く、自分を過小評価しているのか?

どっちなのだろう?

オマケ

「課長も同じような人間ばかりじゃ、組織として面白くないよね。」
「Shimizuみたいな変な奴も、一人くらい混ぜておくか?」
って感じで選ばれたんじゃないかと、勝手に思っている。
それなら、納得できる。


ここ迄お読み頂き、ありがとうございます。
いつものように、締めくくりはこの言葉で。

「毎日が、心穏やかに過ぎますように」

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