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ハンス・ベルメール《人形》について

 ハンス・ベルメールとは、1930年代にドイツで活躍した画家、あるいは⼈形作家である。本の挿絵やリトグラフ、グラフィックデザインなど多くの制作をしているが、特に有名なのが球体関節⼈形である。


 1934 年、彼が発表した《⼈形》には、関節のバラバラな少⼥たちの⼈形が写真10枚にわたり収められている。
 作者⾃⾝の残像から顔を背けた少⼥の写真や、解体された⾝体、レースやリボンに包まれたパーツが写され、それらの写真から受ける印象は残酷かつエロティックという⾔葉であった。
 この《⼈形》における特徴は⾔わずもがなこの⼈形の特異性にある。しかし実際のところ、⾝体がバラバラになって写し出されているという事実より、ハンス・ベルメール⾃⾝が持っていた少⼥の世界に対する過度な偏⾒と幻想、さらには彼⾃⾝の幼児性があの少⼥たちの⼈形を孕ませたことの⽅に特異性があると⾔える。
 彼の少⼥の世界に対する過度な執着は、厳格な⽗に怯えながら暮らしていた幼少期と『ホフマン物語』の繋がりや、従妹ウルスラに感じた性的な魅⼒が影響している。彼は少年時代に体験した少⼥たちとの戯れを⽊の柵にイニシャルを掘ることや不体裁なドローイングにその肖像を描くことで思い起こそうとするが、その虚しい試みだけでは事⾜りず、元々興味を⽰していた玩具を通じ、⼈形という形で少⼥世界との繋がりをみることにしたのである。
 彼の⼈形は、球体関節⼈形として関節が取り外し可能な⼈形であった。中がくり抜かれた球体は関節として機能し、各パーツに嵌め込むことで成⽴する。関節ごとに⾝体を作っているためこれらは分解も⾃由に⾏え、ベルメールは⼈形の写真を撮るごとにバラバラにし、また再構築していたという。この『⼈形』においても同様、10枚の写真に収められた⼈形は写真でしかその形を残していないのである。
 そうした解体と再構築の⼿順は、⼦供の玩具に対する飽くなき探究⼼とベルメールの持つ幼児性に共通点を⾒出せる。

 《⼈形》の写真について話を戻すと、ところどころに散りばめられたオブジェクトから、この⼈形たちはあくまで作り物であることが強調されているに気が付く。それは腹部に仕掛けられたパノラマに視線が集められていることだけでなく、⼈形の背景に設計図が写されていることが重要だった。
 テーブルのようなものに広げられた⼈形がある中、あえて⾃⽴させられた少⼥の写真がある。これは⼈形に⼀つの⽣命を⾒出し⼈間的な⾏動を⾒せつけているように思えるが、実際には背景の設計図により、この少⼥が⼈形であることを痛々しく証明しているのである。
 当時のダダイストが⼈間は機械であると⽪⾁っていたのに対し、ベルメールは、⼈形⾃体は作り物であって、その中⾝を暴けば空洞であることを受け⼊れながらも⼈形と⾃⾝との関係性を⾒出そうとする遊戯性を持っていたのである。
 さらにこの『⼈形』において注⽬すべき点が、⼈形作品としてだけではなく写真という表現において特別な意味合いを持っているということである。それが顕著に表れた作品が、脇⾒をする少⼥の写真である。
 唯⼀ベルメールが⾃⾝の姿を収めている写真があるが、これに写された少⼥はベルメールからも私たちからも微妙に⽬を逸らしている。これに関して、ベルメールは意図的に視線を外し写真に象徴的な役割を持たせていた。実際、『⼈形』を発表した後にベルメール⾃⾝は「写真を撮ることで少⼥たちの世界を略奪している」と語っていた。これは、⽬を逸らした少⼥を写真に収めることで略奪物を所有し
ているという危険的な快楽に⾝を置いていることを⽰していた。
 この脇⾒をする少⼥の写真以外に、レースやリボンといった装飾的モチーフを体のパーツと共に写している写真があるが、これは少⼥たちの世界の象徴だった。⼈形を写すためだけの写真であれば不必要なものであるが、こうした可愛らしい少⼥趣味なモチーフを配置することで、ベルメールは少⼥たちの世界を脱略したという証拠を残しているのである。
 そうしたベルメールの暴⼒的なまでに⾏き過ぎた少⼥への幻想とエロティシズムは、彼⾃⾝が強く縛られた少年時代がなければありえなかった。このインファンティリズムが彼を駆り⽴て、芸術家としての仕上げてきたのだ。


 今現在、ハンス・ベルメールあるいは球体関節⼈形の名は⽇本において広く浸透してきた。澁澤⿓彦を通じ、四⾕シモンをはじめとする⼈形作家に影響を与えるだけでなく、押井守によるアニメーションと、メインカルチャーにまで名を広げるようになった。そうして14に満たなかった私の元へも広がり、ベルメールをきっかけに⼤学へ⼊学できたのだから偉⼤なものだ。




【参考⽂献】

ピーター・ウェブ他著『死、欲望、⼈形』2021年、国書刊⾏会
松岡佳世著『ハンス・ベルメール』2021年、⽔声社
澁澤⿓彦著『少⼥コレクション序説』1985年、中央公論新社

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