見出し画像

なぜ関東からの移住を決めたのか。

なぜ関東から福岡に家族で移住をしようと思ったのかについて、書いておきます。(写真は福岡市内から車ですぐの糸島の海岸です。)


地方への興味

自分自身は大阪の比較的中心エリアの育ちなのですが、父親が鹿児島出身ということもあり、小さいころから長い休みには鹿児島に帰省をするということが当たり前でした。小学生の頃、大阪~鹿児島まで車に乗って帰省するというのがとても楽しかったことを覚えています。山口の秋芳洞、福岡のスペースワールド、阿蘇の国立公園などに寄りながらの旅だったのですが、そういう経験もあって、「地方には魅力がある」ということを肌で感じることが多かったように思います。30年以上前のことですが、秋芳洞の入口にあった屋台か自転車で販売していたコロッケがとても美味しかったことや、阿蘇のペンションにいた馬に餌をあげたことを覚えています。また、結婚してからも愛媛の妻の実家に帰ると、肉、魚、野菜がとても美味しく、さらに温泉もあるので毎年帰るのが楽しみだったりします。中小企業診断士の資格を取ったことの理由の一つに、地方の隠れた魅力を発信するようなことをやってみたい、という思いもありました。

コロナ禍で湧いてきた、「住むところは東京じゃなくて良いのでは?」という発想

大学を卒業して、総合商社に入り東京勤務が10年以上が経った中でコロナ禍に突入しました。ちょうど、2020年8月~2022年8月の期間は労働組合の専従をしていたこともあり、緊急事態宣言下はほとんど出社はせずという状況です。また、労働組合は上司もおらず、働き方も比較的自由だったこともあり、勝手にワーケーションと称して、平日に鹿児島や軽井沢からリモートワークをしていました。その中で、「あれ?東京に住まなくてもリモートで仕事できるんじゃない?」という発想が湧いてきました。あと、海外駐在などの機会を夢見て総合商社に入りましたが、移住を決めた時点で既に15年以上東京本社で勤務していたので「いい加減東京に飽きた」というのも大きな理由です。一度でも海外駐在などに行っていれば、移住とは違う選択肢を取ったかもしれません。

関東で息子たちに中学受験をさせることへの抵抗感

浦安市は子育て環境はかなりよく、長男が行っていた公立小学校も、次男が行っていた保育園もかなり質が良かったと感じており、そこを離れてしまうことについては正直かなり悩みました。(特に保育園は素晴らしかったので、またどこかの機会に触れたいと思います。)ただ、関東圏にいると、中学受験をする家庭が多く、競争率も高いので、関東で中学受験をさせることへの違和感がありました。あと、誤解を恐れず言うと、関西人として、ずっと息子を関東の学校に行かせる、ということへの抵抗も振り返るとあったように思います笑。これは上手く言語化できないのですが、阪神ファンとして、別の球団に負けるよりも巨人に負けることのショックが大きい、みたいなものに近いような気がします。中学受験せずに関東で公立中学という選択肢ももちろんあったのですが、住むところを変えたいという思いが勝ったということもあります。ちなみに福岡では息子たちは公立の中学に行かせる予定です。

移住の決断を後押ししたもの

上記の理由はありながら、実際のところ会社の都合ではなく、家族がいる中、自己都合で住むところを変える、というのは大きなハードルがありました。心理的なハードルもそうですし、費用等もそれなりにかかるのですが、なぜ最終的に思っていたことを行動に移せたか、というのは自分自身がコーチングを学び、かつクライアントとしてコーチを付けていたことが大きかったように思います。CTIのコーチングは特に行動変容とそこからくる学びのサイクルを回すことを大事にしており、まさに今回の決断はコーチングに伴う自身の行動変容だったと思います。新しいチャレンジをしたいが、なかなかできないという方、是非ともコーチを付けることをおすすめします!

移住先として新幹線で通勤圏内の熱海、軽井沢、那須などを候補に考えるようになり、最終的に縁もゆかりもない福岡に決めた理由は近々別の回で触れたいと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました!

いいなと思ったら応援しよう!