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【日記】タスクシュートをもう1度始めてみた

ログ(記録)から始めるタスク&時間管理メソッド、タスクシュート。
以前、2年ほど使っていました。

それなりにちゃんと使っているユーザーだったと自負していますが、子供が産まれて生活が激変し、次第に使わなくなっていました。

しかし、今週から改めてタスクシュートを使い始めています。

現在のTaskChute Cloudの画面

きっかけは、TaskChute Cloud開発者の著書「先送り0」を読んだことでした。ふらっと本屋に立ち寄ったら、たまたま目に入ったのでした。

ちょうど自分は以下のような悩みを抱えていました(抱えています)。

  • いつも時間に追われている感覚がある

  • いつも「これでは足りない」「もっと勉強してスキルアップしなければ」という焦りがある。不足感でいっぱい

  • 予定していたタスクを全て完了しても幸福感を感じられない

  • 今は自己投資(学習)の時間が一番大切だから、他のことにはできる限り時間を使わないようにしている。でも、このやり方では満ち足りた人生にならないのではないか?という確信に近い疑問

「先送り0」は、これらの悩みにズバリ答えてくれる内容でした。

帰りの電車でこの本を読みながら「やっぱり自分はタスクシュートを使いたい。目の前のことに没頭して日々の不足感&欠乏感と訣別したい。この本をたまたま手に取ったのも何かの運命かもしれない」という気持ちになっていました。

思えば、タスクシュートをやめてしまったのは「ログを完璧に取らないといけない」という誤った思い込みが原因だったと思います。

子育てが始まり、目の前のことで手一杯になって記録どころではなくなってしまったのです。でも、「先送り0」を読んで、完璧に記録を取る必要はなかったのだということがよく分かりました。

本に書いてあった通り、最初は「今本当に前に進めたいことを3つ」だけに絞って実行しました。正直「3つなんて少な過ぎるのではないか?」と疑いましたが、初日から十分タスクシュートの力を実感できました。

タスクシュートの最も良い点は「今日1日よくやった!」と自分を認めてあげられるようになることです。

記録がないと、「今日は何もできなかったような気がする」という根拠のない不安に襲われてしまいます。この不安を記録によって払拭できるのです。人間の記憶はあまりに不確実なもので、今日やったことすら正確には覚えていません。記録をつけると間違いなく"記憶と記録"の差異にびっくりします。不当に自己評価の低い人にとって、タスクシュートのように記録を付ける作業は自分を守る良い手段となるかもしれません。

普通のTODOリストはやったことが消えていき、常に目にするのは「やっていないこと」の連なりです。だからいつまで経っても不足感ばかりが残り、不安が消えません。やってもやっても次のタスクをこなさないといけない気持ちになるのです。

まだ使い始めて数日ですが、明らかにタスクシュートの効果を感じています。タスク管理ツールなどというと、「生産性が倍にアップする!」みたいなことを期待されがちですが、多分タスクシュートの真価はそこにはありません(もちろん結果としてそうなる可能性はありますが)。

タスクシュートの真価は「日常の自分を肯定し、無駄な不安や欠乏感から解放されること。それによって日々の活動に没頭し、現在を生きて幸福・満足を感じられるようになること」だと思います。

日々付き纏う不安と欠乏感を払拭してより穏やかに生きていくため、この後もタスクシュートを続けていきたいと思います。

もちろん、途中で挫折しないように"良い意味で適当に"続けます。

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