父が亡くなりました
朝病院から連絡があってあわてて病院へ。血圧が低く呼吸もたまに止まる。酸素も2kgくらいのプレッシャーで送られていて、酸素の数値は90後半。
僕らが到着してしばらくすると姉が息子(僕の甥)とやってきた。この時には姉が到着する前に息途絶えず良かったと思ってた。
しばらくは状況変わらず、数多も低いながら安定して、呼吸も止まりながらも酸素量は数値変わらず。
僕らは交代交代に昼食をとったりした。近くのファミレスへ。
主治医の診断でも、状況は良くないから今夜中にその時が来るかもと、そんな話でもまだ長い夜が続くのだと思っていた。
定期的に身の回りの世話をしてくれているスタッフさんが顔を綺麗に拭いてくれた時、話しかけながら思わず涙を流した時に初めて僕は「やっぱり先は長くないのだ」と実感した。
何人もの病人を見て来た経験者が感じている背中には説得力があった。
病院の外来が終わる頃、病院内に併設されているコンビニに行ってコーヒーを飲む。暖かく苦いその味で、気持ちも落ち着いてリラックス出来た気がした。
病室に戻るとアラートが鳴っている。酸素量の低下がトリガーの様子。適度に収まるものの、血圧も酸素量も微減していく。
医師の診断があり、看護師によってタンの吸引をしてもらう事になった流れで、更に酸素量が低下。それどころではなくなっていた。
血圧もみるみる下がり、脈も落ちる。波形は途切れ途切れになり山も小さい。酸素量の落ち込みはここからが早く、あっという間に50を切る。
酸素マスクから送られる酸素のプレッシャーはマックス。それでも酸素量の低下は止まらない。
姉と僕とが残る病室で、父は息を止めた。
主治医の最期の診察で死亡の確認がされた。17:20、父は永遠の眠りについた。
最後の呼吸は全く機能してなかったようで、酸素のプレッシャーによってかろうじて送り込まれていた様な気がする。
医師の話では、苦しさは無かっただろうとのこと。診断していた反応から、本当に眠りに着くように亡くなったと話を受けました。
家族のお別れの時間があり、その後看護師さん達に身支度をしてもらった父の姿は、少し笑っているような顔をしている。目を閉じてても笑顔が見えるそんな顔をしてました。
父は家へ帰ることを目標に闘病していたので、姉の提案で一度家に帰って来てもらった。通夜の日までは家でゆっくりしてもらう。
線香をあげ、簡易ながらも家の中に寝る場所を作って、今父はそこに眠ってもらっている。
父が亡くなった実感は薄いけれど、一番の感情としたは脱力感が強い。次に不安が押し寄せる。そして悲しみがじわじわと歩み寄って来た。
そんな気持ちを姉に伝えると、姉もやはり不安な気持ちが強いという。同じ感情がそこにあった。
脱力感は父の状況から気を抜けない日々を送っていたところからの解放。そして親を失うという現実の重さ。だるさにも近い感じで身体中の力が抜けていく。
今、僕も親父と同じ家に帰り自分の布団で休ませてもらっている。眠れないのだけど、徐々に疲れは抜けている。だいぶ元気になってきた。
多分大丈夫。
親父ありがとうな。葬儀が終わるまでは不安だろうし、僕らも完璧にできないかもしれない。でもさ、多分大丈夫だから。暖かく見守ってくれや。
ありがとう。お疲れ様。
お互い、今日は少しゆっくりしような。
頂いたお金は両親の病院へ通う交通費などに活用させて頂いております。感謝いたします。