資本主義のその先

サディステック・ミカ・バンドの曲を久々に聴いていたら「用意された明日、選ぶだけのいま」と。

なんとなくバブル前の微かな思い出の中で、何かを求めるときに選択肢ってなくて、他を選ぶなら「つくる」しか無かった感覚が残ってる。
「自分が」というよりも、世の中の風潮として。

それがバブルによって無駄に選択肢が増えていった感じもあって、それは今でも残ってるかな。
だから「クリエイティブ」が他者に委ねられたり、自ら生み出さなくても満足できる世の中になったのだと思う。
それはパターン化されたり、ブランドの流行やファッション誌のトーレスみたいな生き方もできて。個性が薄れそれに呆れる感覚がその歌詞なのかなとか、勝手に思いながら昨日は聞いていた。

なんだかんだと選択肢はより増えてコモディティ化してしまった中では、何を選んでも大差ない状況に「選択」によって得られる個性は更に薄れてしまった上に、選択さえもAIに薦められるままに。選択を手放してしまった中に個性はあるのか無いのか。

何か「自分の欲しいモノを生み出す」ことの難しさは「欲しいという欲求」を持つことの難しさだなと思ったりもする。モノを見て「欲しい」という事ではなくて、何もない状況で「想像する力」なんだよな。

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