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【開催レポート】市民ゼロポイントフリートーク:戦争について考える

市民ゼロポイントフリートーク:戦争について考える

開催日:2022年7月17日(日) 於:松本市中央公民館
ゲスト:村田信一さん(写真家)
参加者:11人(企画運営委員含む)

企画概要のわかるチラシはこちら↓

開催レポート

今回は、数々の戦場を取材されてきた写真家の村田信一さんをゲストに市民ゼロポイントフリートークを行いました。
まず村田さんに、企画運営委員で用意した6つの質問に答えてもらう形で講演をしてもらい、その後、参加者のみなさんとフリートークをしました。
ここでは、村田さんの講演の要旨をお伝えします。

Q1. 戦場取材をやろうと思った動機はなんですか?何を撮ろうと思いましたか? 

 10代の頃(1970年代)、テレビのニュースで見たレバノン内戦の映像に目を引き付けられた。ベイルートの街並み、同じ年ごろの少年たちが銃を持つ姿が印象的で、そこに行って話してみたいと思った。このことがいつまでも気になり、自分なりに中東のことを調べるなどし、20代になって中東に行き始めた。
 撮りたかったのは、とにかく戦争を撮りたかった。ロバート・キャパなどのような写真を撮りたかった。最初に行ったのはパレスチナだった。センセーショナルなもの以上に、その場の空気や文化的なもの、物語性のある写真。その場が戦争をやっているからといって、それを撮らなくてもいい。戦場に加えて、そうではないところも撮る。

Q.2 戦場取材をした結果、写真家として成功したと周囲に思われたとお察ししますが、なぜそれを悔いてらっしゃるのですか?

 マスコミは、人が殺されているセンセーショナルな映像を「スクープ」として捉えてしまう。それは今も変わらない。ところが、一般の人の多くは、おそらくそうしたセンセーショナルなものが戦争だとは思っていないだろう。だからこそ、マスコミの戦争報道は部数を減らす。自分もいくばくかは、そうしたセンセーショナルな戦争報道に加わったことがあるので、それには後悔を感じる。ほんとうに撮るべきは、戦地での歴史や文化である。

Q.3 戦場取材をしてきて、最終的に「何を撮りたかった」のか振りかえって思うところはありますか?

 本来いきなり召集された普通の人であっても、銃を持った瞬間に、その人を兵士とマスコミは捉える。殺されても仕方がない存在になってしまう。戦地の歴史や文化であったり、そうした背景を撮るべきだった。一見、普通の風景写真に見えるが、戦争の本質が表れているような写真。

Q.4 なぜ「ウクライナ戦争」について考える思考をストップさせ、「戦争」について考えるべきとお考えになったのですか?

 ウクライナ戦争を通して、戦争について考えることは、絶対に必要だが、なぜ世界中で戦争が行われているのに、あえてウクライナ戦争が毎日とりだたされているかも考える必要がある。
  日本の難民問題も同様で、ウクライナからは受け入れているのに、他の国は受け入れない。パレスチナやアジアなども考えるべき。
 ウクライナは白人のヨーロッパであり、他のアラブや中東はそうではないというところに無意識の差別があるのではないか。

Q.5 「正義のための戦争」「正しい戦争」はあると思われますか?

 戦争によって侵攻された人にとっては、自分の命や暮らしが破壊されることに抵抗することは正しいと思う。そういう意味では、正しい戦争はある。ただ、そうしたありふれた人のまっとうな正義感を戦争に利用する政治家がいることは確かである。
 ただし、戦争というのは人間性や道徳観が失われていくものでもあり、間違った方向に行ってしまうものでもある。

Q.6 戦争を始めようとした政治家は別として、戦場で戦う兵士の「戦争犯罪」を問うことに意味があるでしょうか?

 戦場で人を殺す人は、銃を持てば「兵士」になってしまう。だが、それ以前にその人には人間として当たり前の暮らしがあり、訓練もままならない中召集されて、「兵士」となった人を人が裁けるのか、疑問を感じる。

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