葬儀屋としてばあちゃんをおくる僕
祖母(愛称:ママ)がなくなり1年が経ち、あの時の想いを思い出しもう一度書いています。
そして祖母の自宅に到着した僕ら。
祖母は長年利用していたフカフカの自宅ベットの上で安らかな顔をして眠っていました。
話しだと最後は誰に看取られる事なく、たぶん前日の夜中の0時位と推測され
腎不全だそうです。
その日は全国的に急激に寒い1日でした。暖冬と言われていた今年の冬でしたが
その日は本当に寒い日だったんです。
きっと寒がりのばーちゃんだから
寒さに耐えられなかったのかもしれません。
布団の中で、真っ暗な暗闇でどんなことを考えながらこの世を去ったのか?
ベットに触れながら祖母の想いを想像します。
祖母に傍には母がいました。
母も、もうしばらく泣いていたのか、目がパンパンに腫れ上がっています。
母が、祖母の布団に手を入れて『まだ暖かいよ』って言います。
母は祖母の事を長年介護をしてました。
介護が必要と決まった時、母は自宅で最後まで面倒を見ると決意して、祖母を自宅介護していたのです。
部屋にあるポータブルトイレ。トイレ1回行くにも根気よく1時間も2時間も付き合ったり、車椅子の祖母が、身体を動かすと痛いと逆切れされてモノを投げられたりもしました。
それでも母は笑顔で祖母と向き合っていました。
ただ、そんなに感動のいい話ばかりでなく、家族として母を見ても、仕事と介護の生活は過酷を極めてました。
それでも約5年、母はけして愚痴は言わず、祖母の介護をやり遂げました。
目がパンパンに腫れ上がっている母。
僕はそんな母を見て、気丈に振る舞うしかありませんでした。
『これからばあちゃんにドライアイスを当てるからね』
まだ暖かく、寒がりだった祖母にドライアイスをあてる
これが葬儀屋として、孫として、ばあちゃんにしなければいけない事です。
本当に心が張り裂けそうになりました。
隣で母と姉が『ドライアイスなんて可愛そう』と泣いています。
でも僕は涙は出ませんでした。
冷静になれ。
冷静になれ。
そう自分に言い聞かせながら僕は無情になり、まだ暖かい祖母の身体にドライアイスをあてていきました
孫として過去の想い出に触れる前にやるべきことがあるから。
泣くのはいつでもできるから、今、やるべきことをやろうと。
そう決めていたので葬儀屋としての業務を粛々と行いました。
悲しさをぐっと堪えて、
ピンポーン。。。
処置が終わった頃、インターホン
が鳴りました。
お読み頂きありがとうございます。
自分が葬儀屋としてどうあるべきか、ただ安い葬儀ではなく、ご利用頂くすべての方に心に残る葬儀とはなにかを本気で考えるきっかけになったのがこの祖母の死です。祖母が自分に残してくれたんじゃないか今でもそう思います。
心無い葬儀社との出会い。親族と家族の意識の違い、人の死に直面して起こる問題そんなお話を次に投稿します。
新潟市民葬祭