第16話 vs牧
マウンドに立つ克己
大きく振りかぶる…
ワインドアップ投法(振りかぶる投球フォーム)を推奨する人は格段に減った。
その主な理由は腕を1球毎に挙げる仕草の徒労感と投球フォームにおけるバランス維持というモノ。
反面、ワインドアップの最大利点は反動を使えるのでボールの勢いが増すことができるのである。
振りかぶり、腕が上がりきったときに上体を少し揺らす
腹筋あたりが静止すると全身が一瞬ピタッと止まる
そこから挙げた腕を下ろしはじめると同時に足を挙げ、胸元付近まで左ヒザを挙げた状態で一本足で真っ直ぐ立つ
降ろす腕と挙げた足の反動を使いながら勢いそのままに並進運動がはじまり、流れるようにボールをリリースする
リリースされたボールは鶴崎中野球部の誰もが見たことない勢いでキャッチャーミットにおさまった。
「「「「………」」」」
鶴崎中ベンチは一瞬にして鎮まりかえった。
今まで見たことのないボールが目の前を横切っている。
鶴崎中ベンチはそれぞれが思う…
以前から(野球が)上手くて肩が強いのはわかってたけど
でも野手と投手では根本が違う
あれ(投げ方が)野手投げじゃねぇぞ
なんで今まで投げてこなかったんだよ!
なんなんだあの球(ボール)は?!
エースよりエグくねぇ?
ガチ二刀流じゃねぇか!
鶴崎中ベンチは動揺を隠せずにいる。
牧は『ここにきて…クソっ…』そう思いながらも気丈に振る舞う
「頼む!俺まで回してくれ!!絶対(ぜって)ぇ俺が何とかする!!」
自信や確信など一つもない。あるのは "借りを返す" という他者から見ればちっぽけなプライド…
しかしそれは牧をここまで成長させた大事なモノなのだ。
牧まで回すぞ!
まずは先頭っ!
なんでもいい!何としても(塁に)出ろっ!!
チャンスを作るぞ!!
鶴崎中ベンチは再度盛り上がる。
このチームは牧のチームといっても過言ではないくらい牧を中心に機能しているチームだ。
牧本人は否定するが、他チームから見てもそうだし、何より監督含め自チームの選手全員がそう思っているのだ。
そしてその想いに応えない漢(おとこ)ではない
打順は2番からはじまる好打順
5番に座る牧には一人ランナーが出れば回る
できることなら得点圏にランナーを置いて回したいが、理想はランナー一、二塁だ。いくら得点圏にランナーがいても一塁が空いていると敬遠されてしまう…それがセオリーなのだ。
《先頭(打者)が大事》
これもまた野球のセオリーのためどちらのチームもよく理解している。
そこため『何としても塁に出る』と気合全開で打席に立った先頭の2番バッターは身を屈ませ構えている。小さく縮こまって少しでもストライクゾーンを狭くみせて四球(ファアボール)を誘っている。
相手の思惑を充分理解した上で大きく振りかぶる克己
投球練習同様流れるようなフォームから放たれた初球…
ドゴッ!
まさかの死球(デッドボール)
両チームのベンチは何が起こったか理解できず一瞬の静寂が流れたが状況を把握するには然程(さほど)時間は必要としなかった。
うおぉぉぉー!!
キターーー!!
シャーーー!!
ナイスだーー!!
鶴崎中ベンチはこの試合一番の盛り上がりをみせる。
すぐさまキャッチーの白崎が審判にタイムを要求し、マウンドに駆け寄る。
「おい、大丈夫か?」
「汗でちょっと滑った。」
「ロジンは?」
「忘れてた。」
「状況把握はできてるか?」
「ノーアウトランナー一塁。」
「打順は?」
「次は3番。」
「よしっ、大丈夫そうだな!次からは多めにロジンを使え!まぁお前のことだからそれくらい(の注意)で問題ないだろうけど、1点取られても同点なだけだから、気負わずな!」
「オーケー。」
「向こうのチームで一番厄介なのは5番の牧。ピッチャーやってるから5番だけど4番以上に怖いバッターだ。できれば回さずに試合を終わらせてぇからゲッツー狙いで行くぞ?」
「オーケー。」
「よし!勝つぞ!!」
そういうと白崎は小走りでキャッチーボックスに戻っていく。
「ノーアウトランナー一塁!!!」
ホームベース前で振り返り叫ぶ。
そしてセカンドゲッツーの守備シフトを指示してからホームベースを跨(また)いでキャッチーボックス内に座る。
ミットで手先を隠しながらピッチャーの克己にサインを送る。
頷いた克己はセットポジションを取り、ランナーに注意を配りながら投げ込む。
スーーーっ…
克己の投げたボールはなんと、バッターが一番打ちごろとされているど真ん中に向かっている。
鶴崎中は3番バッターに "待て" の指示(サイン)が出していた。
まずは同点にするためにバントを試みても良かったが、あのストレートのスピードだと失敗する確率が高いのと、初球にデッドボールを与えたピッチャー(克己)の様子を見たいとの思惑からの "待て" だったが…
ボコッ…
鶴崎中ベンチは全員唖然とする。
"待て" のサインが出ていることは全員把握している。なので打球音が聞こえることは考えられないことだったのだ。
キャッチーの白崎は『このボールがストライクゾーンに決まれば打たれる率はかなり低い。少なくともストライク先行させることができる。あわよくば引っ掛けてゲッツーもあり得る。』
その考えから《フォークボール》を要求していた。
交代したばかりのピッチャーが初球の真っ直ぐ(ストレート)をすっぽ抜けてデッドボールを出した直後にフォークボールを要求するのはセオリーとしては考えにくいが、キャッチーの白崎は克己のメンタル面への問題はないことが確認できたからこその選択だった。
そしてセオリーにはないことが相手の裏をつき、幻惑させることとなる。
3番バッターはサイン通り "待つ" つもりだった。
しっかり踏み込んではいたもののそれはタイミングを取るためだけのつもりだった。
そこにど真ん中の甘いボールが投げ込まれた。
『あっ、絶好球だ』そう思ったときにはもうバットが出ていた。
バットにボールが当たってはじめて自分がスイングをしていたことに気づいた。
勢いのない打球がボテボテのゴロとなってピッチャーとサードとキャッチーの間に転がる。
サードはスタートが遅れ、ピッチャーの克己はバランスを崩していた。それを見た白崎は少し強引にボールを捕りにいき、捕球後すぐさま2塁ベース上で待っているセカンドに投げる…が、強引に捕りにいったことが影響して送球が少し逸れる。
セカンドは逸れたボールを必死に捕球して2塁はホースアウト。しかし捕球で精一杯だったため1塁には投げられずランナーが入れ替わる形でアウトカウントを一つ積んだ。
ゲッツーを取れなかったことを悔しがりつつも仕方ないという表情をする白崎は声を張る。
「ワンアウトー!一個ずつアウト取っていくぞ!!」
盛り上がる上潮田中ベンチ
『わりぃ』と白崎に向かって口を動かす克己
それに対して『気にするな』という手を広げるジェスチャーをする白崎
バランスを崩した理由はマウンドの凸凹だ。
最終回まで使い込まれたマウンドは軸足と踏み込み足の部分が凹んでいたため足をとられてしまったのだ。
もし克己がバランスを崩さずに打球を処理していたらゲッツーの可能性は高かったと思われる打球だったため上潮田中としては惜しかったが、ワンアウトを取ったことによりベンチは勢いが出る。
ベンチからの声援を背に、凸凹のマウンドをならしながら次の投球に集中する克己。
ドンッ
ドンッ
ドンッッッ!
4番バッターを三球三振に打ち取る。
しかもすべてストレート
それによりさらに盛り上がる上潮田中ナインとベンチ
勢いと流れは完全に上潮田中だ。
ツーアウト、ツーアウト
あと一人!
次、バッター5番
左(打ち)だぞ!
ケース確認!
グランドの内外から大きな声が響く
一方、得点圏にランナーを進めてから5番の牧に回したかった鶴崎中は静まり返っている
ふぅ…
一息吐いてから立ち上がり、誰から見ても途轍もなく集中しているのがわかる表情のままネクストバッターズサークルから打席へ向かう
『ここは最低でも二塁打…長打が必要だ。そのためには甘い球を狙い打つしかねぇ。タイミングは真っ直ぐ(ストレート)、変化球は身体の反応に任せる。』
そう考えながらバッターボックスに入り、小さな身体に反して大きな構えからピッチャーと対峙する牧
克己はセットポジションから足をあげ、1球目を投げ込む
バシッー!!
「……ボール」
外角低めギリギリのコースに真っ直ぐ
球審は思わずストライクコールをしそうになるくらいギリギリのコースだったが結果は1ボール
『これはデカいな』
同じことを思うのは牧と白崎だ。
ボールカウントが先行することでバッターが有利になる。
バッテリーはストライクをほしくなるがあまりに甘い球を投げやすくなる。
その球を狙っていて、狙われていることを互いに理解している。
しかし牧は自信を持って見逃したわけではなく、手が出なかったので少しホッとしている。
『これまで対戦してきた中でダントツに速いな…』
冷や汗混じりの汗をユニフォームの袖で拭いながら、打(や)ってやると腹を括る。
一方の克己は『辛いな。』とは思ったものの意に介さず、返球されたボールを受け取ってすぐに捕手のサインを見る。
(白崎の出したサインに対して首を横に振る克己)
その仕草を見た牧は『真っ直ぐだ!』と狙いを定めて待ち構える。
投手は際どいコースに投げてその判定に納得がいかないといった今回のようなケースでは本能的に同じ球を選択しがちなのだ。
さらには続けてボールカウントを増やしたくないため少し甘めに投げられるケースが非常に多い。そこに狙いをつける。
セットポジションから2球目を投じる克己
先程のコースより真ん中よりにボールはキャッチーミットに向かっていく
『来た!甘め!!』
ここぞとばかりにスイングを開始しようと したとき "なんとなく" 嫌な予感がした。その直後に3番バッターの打撃結果が脳裏に浮かんできた。
打ち気に逸っていたバットはスイングをし始めている。
ストンッ
3番バッターと同じようにフォークボールが投じられていた。
『ヤバい!』牧は必死でバットを止める。
ストライーークッ!!
1ボール1ストライク
『危ねぇ、今のボールを打っていたらアイツと同じ(結果)になってたな。ったく、ここでなんちゅー球(ボール)投げんだよ』
と思いながら少し笑顔が溢れる。ワクワクが止まらない牧。
『それにしてもあの球(フォーク)は厄介だな。ただでさえ真っ直ぐ(ストレート)がありえねぇ速さなのに…反則だろ!』
打席で構えながら思考を巡らすが、考えがまとまらないうちに3球目が投じられる。
ズバンッ!!
ストライーーークッ!!
インコースギリギリにストレートが投じられたが、牧はピクリとも反応できなかった。
フォークボールに気を取られ過ぎた結果、ストレートに反応できなかったのだ。
『うっ、しまった…』
この場面での迷いはほんの少しでも致命傷になりかねない。
1ボール2ストライク
あと一球ー!
ラスト決めろー!
焦んなよー!
牧ー!
頼んだぞ!
狙ってけー!
両ベンチから悲鳴とも言えるくらいの声援が飛び交う。
克己や牧ら3年生は負けたら引退。
自然と応援に熱が入る。
『こんな場面で迷うとか、どうかしてるぜ、ったく』
ふーっと一息吐いて集中力を高める
『ここまでやってきた自分を信じる!』
そう心に決めて右手一本で持ったバットのヘッドを一度ベースに触れてから左肩に乗せ、さらに集中力を高めてピッチャー(克己)を睨むように対峙する。
バッテリーのサイン交換が終わり4球目が投じられる
投じられる直前にバットを高く構え直しながらボールを見極める。
『アウトコースの真っ直ぐ(ストレート)際どいコースだけど(俺なら)いける!』
そう判断した牧は高く挙げた右足を踏み込んでスイングを開始する…が…
『えっ?』
真っ直ぐ(ストレート)に合わせて振りにいったのだが、全然ボールが(予想してたミートポイントに)来ない。
真っ直ぐと判断したボールは※チェンジアップだったのだ。
気づいたときには時すでに遅し
身体は投手側に前のめりに突っ込んでしまい、本来の力強いスイングとはかけ離れた状態になっている。
『クソッ…』
それでも食らいつこうと体勢を崩しながらもスイングを試みる牧
『届け』
目一杯腕を伸ばして必死になってバットにボールを当てようとするが……
ブンっ…
ストライーーークッ!バッターアウトッ!!
ゲームセット!!!
思い虚しくバットは空を切り、試合は終わってしまった。
うつむいて今にも泣きそうな牧に
「さすがだな」
キャッチーの白崎が声をかけた
「1球も余裕がなかったわ。こっちが追い込んでるはずのに追い込んでる気がしなかったしな。」
「そうか?そんな感じには見えなかったぞ…」
「あぁ。本来一番得意な球はスライダーなんだけど、内側に入るボールは持っていかれ(ヒットを打たれ)そうだったからな。俺は見せ球で使おうと思ったけど首を振られたよ。おかげで使える球種を絞らなきゃいけなくなった」
「マジか…」
「まぁそのおかげで逆にインコースのストレートがうまく機能したよ。あれがあったからチェンジアップが活きた」
「最後のヤツはチェンジアップだったのか…」
「サークルチェンジ。お前みたいな左(打者)の、特に強打者用の決め球。準備しておいて正解だったよ」
白崎は話し終えるとマウンドに集まる歓喜の輪に向かって走っていった。
▼▼▼▼▼▼
『あの時の悔しさはもちろんだけど、何よりドキドキ感が忘れられなかった。一緒に野球をやってみてぇって思うなんて夢にも思わなかったぜ!』
終始笑顔の牧
バシンッ!!(それにしてもあの頃より速くねーか?)
『絶対(ぜってぇ)負けねぇー!!』
バシーーーッ!!