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動きたくないとき


動きたくないとき。快適な状態から、そうではない状態へ移行するとき、しかし、そのままで留まれば快適な状態は対処を迫られる状況になり、快適でない状態ののちには平穏な状態がやってくる。続け様に快適ではない状態へ移行し続ける場合もあり得るが。

とにかく、快適な状態に留まれば、いずれ切羽詰まった状態に移行する。そこまでの時間のギリギリまで使い果たしてから対処するのが楽なのだろうか? いわゆる夏休みの宿題いつやる問題だ。
夏休みが始まって直ぐに手をつけて、そこで対処できるものは処理してしまい、その後は日々の作業が必要なものを期日まで淡々とこなす。精神的余裕が物事の判断に良い効果を与えるであろうことを考えると、この方法を取るべきだろう。
一方で、すべてまとめて期日間際にこなすという対処の仕方もある。このメリットは、余裕がないので嫌でも集中力は増し、一気呵成に仕上げられること。見直す余裕はないので、品質の問題はある。ただ、そもそも付け焼き刃の者にとっては、急拵えだろうが、準備しようが、アウトプットの品質に大差ない。そして、このタイプのメリットには、最後の集中に必要な英気が十分に蓄積されていることである。遊び疲れている場合もあり得るが、それこそ振り切って遊んでいれば、踏ん切りもつきやすいだろう。

当初のうちに手を打ち、その後に夏休みを堪能する場合、開放感では圧倒的な優位だ。なんなら、明日から学校というその日までぶっ倒れるまで遊んでいられる。

どちらがいいんだろうか? 今が人生だとすれば、今したいことをするべきだ。明日など来るかどうかわからない。今日やりたいことをやるのが、生きるということかもしれない。やりたいことをし続けて、宿題をやらずに登校し、評価が下がったとしても問題ない。やりたいこと、生きたい人生と学校の評価がリンクしないから。ただ、そのためには、本気で遊ぶ(やりたいことをやる)をしないと、社会的には生きづらい。徹底的に自転車で旅をしまくるとか、ゲームをしまくるとか、いまくって行き当たるところまで行く気でやったほうがいい。途中で軌道修正することもあるだろうけれど、とりあえず、徹底的にやってみることだ。そのために、学校の評価を捨てるということであれば、それはそれでいいだろう。

やらなくていいことは、やらない。ほっといていいことは、放っておく。
でも、処理してしまえることはしてしまったほうが、頭がすっきりして楽だ。バックパックの重さは軽いに越したことはない。貴重品は少ないに越したことはない。そのほうが、動くのが楽だからだ。やりたいことの準備だと考えれば、やりたくないと思うことをやることの負荷も減るだろう。
やっておいたほうがいいからやるのではなく、やりたいことをやるために積極的に処理する。そう考えて処理すれば良い。