仰せのままに

アイドルは完璧でいなければ。そんな風に思っている人間がいる。どんな場面であろうとイメージを崩さないようにキャラクターに徹し、完璧を目指すアイドルも実際にいる。自らの意思で選んだ特別な仕事を完璧にこなそう、という強い思いがあるアイドルは自覚的にストイックに過ごし、自分のキャラクターに責任を持って生きている。

アイドルは周りの人間から完璧であることを強いられていないか?と、お節介なオタク心で心配になるときもある。誰かに「常に完璧でいてください」と言われたわけではないだろうが、真面目なアイドルは無自覚に自分を追い込んでしまうことがあるかもしれない。ファンにとって「完璧なアイドル」はあくまで理想であって、時に際限なく追い求めてしまう存在であるが、その完璧さが何か大きな犠牲の上で成り立つものなら願い下げたい。未完成でいてほしい気持ちと、成長し続けてほしい気持ちと、矛盾だらけの未熟なファンの心を受け止めてほしい気持ち。ファンはいつも抱え込みすぎている。アイドルを愛するあまりに。

虎Tubeで中村海人が述べた「等身大でいたい」という言葉。アイドルは嘘をつく職業だとも思われるが、彼は「嘘はつきたくない」と言った。
中村海人は感情が態度に出やすい性格であり反応が素直であり、自我が強い方である。自分の意見を正しく伝えることを望んでいるようで、発言に勢いがある。その場の状況によっては、言い回しがキツくなってしまうことや相手を慮れない事態も発生してしまうようで、メンバーとも衝突してしまうエピソードが多々ある。そんな中村海人さんであるが、トラジャのメンバーに愛され受け入れられている。パフォーマンスもメキメキと実力を上げている。自分に正直でいられる環境に身を置くことができているようである。だからこそ等身大でいたいという気持ちに辿り着いたのかもしれない。


前髪を大事にしていた頃の七五三掛龍也は、アイドルらしさや完璧であることに執着しているようにも見えた。前髪は思春期にありがちな拘りの1つでもあるだろうし、本人の中で前髪が全てを司ると決めつけていたのかもしれない。そんなところも含めて20代前半にしてプロ意識の高さが異常。ビジュアルに懸ける思いも行動力もアイドルとして素晴らしい振る舞いである。七五三掛龍也のビジュアルの極め方を教科書に載せてほしい。
あの頃に比べて今の2023年の七五三掛龍也は、変わった。とんでもなく良い方へと追い風が吹き大きな波に乗っている。余裕すら感じる。過去とは全然表情が違う。生き生きしててどの瞬間もかっこよくて気高い。完璧であるけれど、全方位隙のなかった頃(リアルタイムで追っていないので、個人的に過去の映像を見てそう感じているだけであるが)よりも、息苦しさがなくなった…と感じている。今は抜けるところでは抜いて、キメるところでキメるというメリハリを感じられる。この魅せ方はある意味、等身大の姿じゃないかと思った。見せたい自分をファンに届けられることができているのは良いことだと思う。無理してない感じがする。
アイドルが自分らしくいられるなら嬉しい。ファンはただ見守るだけだが、いつも安心して応援したい。幸せの根源は安心。安心させてくれるアイドルこそ正義。という持論。

完璧でいることを無理していたとしても、正直に無理と言えない世界にアイドルはいるのかもしれない。限界が来てからでは遅いし、悲しみは避けたい。
アイドルのありのままの姿を積極的に公開してほしいわけでもないし、完璧を強要したいわけでもない。ひたすら好きなことをしているアイドルを見られるだけで良いのに、と思ってしまう。でもそれは不可能と知っている。大人の事情があるようだ。誰かまず残酷エンタメに終止符を…。

完璧じゃなくても良いのに、完璧を保っている七五三掛龍也さんに今日も乾杯。ブログ更新や自撮りを毎日ありがとう。キラキラツヤツヤなビジュアル提供をありがとう。毎日おいしくてお腹いっぱい。いつも貰ってばかりで申し訳ないくらい幸せです。
しめちゃんのキャラクターで生きること、アイドルの自分と向き合うことが苦しい日はお休みしてくれていい。無理な日はとことんお休みしていいしプライベートも大事にしてほしい。大事にしてくれているはず、と勝手に信じている。お休みしたら翌日からまたがんばればいい。明日がだめなら明後日からでもいい。どこか力を抜いて気楽でいて、アイドルの仕事をこのままずっと好きでいてくれたらいいなと思った。自然体の七五三掛龍也が何よりも魅力的だから。

以上、心配性なファンの戯言シリーズでした。(止〜まらない俺らの思い〜)

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