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ありふれた観客の願い
フィクションはどこまでも残酷に描ける。見る者の感情を悪戯に揺さぶって弄ぶ。弄ばれることを楽しめるのはフィクションだからだ。お金を払ってでも弄ばれたい。私は未知の感情の扉を開けてくれるフィクションを愛している。
それに比べてノンフィクションの残酷さはシンプルだ。醜い場面が事実であるということに胸を抉られる。虚構で味わう悲しみとは違う種類の苦味がある。鈍器で殴られたような痛みを身体に擦り込ませてくる。見えない場所の消えない傷になっていく。体験したことのない悲しみや痛みを想像して傷付くことに私は抵抗がある。それならばフィクションの残酷さに目を向けて胸を痛めていたい。即席で作り出した痛みを抱えて気休め程度に撫でているのがいい。
そんな風に歪みきった精神で生きているので、Travis Japanのドキュメンタリーを見ることに怯えていた。ドキュメンタリーは完全なノンフィクションではないかもしれないが(第三者に届けることを前提として撮影しているものは最早「作り物」だという認識で完全なノンフィクションとは個人的には思えないので)、発売日の前日にフラゲしていざ手元にドキュメンタリーが来ても、特典映像の楽しいところを先に見て本編を後回しにした。
というわけで Travis Japan -The untold story of LA- の感想を書くので、ネタバレ回避したい方はこの先を読まずにスルーしてもらいたい。
正直、予想外に非常にポジティブなドキュメンタリーだった。雑誌やインスタライブであらゆるエピソードを事前に知っていたため、彼らのどんな姿も受け止めようと色々覚悟していたが拍子抜けするくらいドキュメンタリーとしては明るく、アイドル仕様の淡い内容だった。私はそういう印象を受けた。
完全な偏見でドキュメンタリーはノンフィクションの切り貼りをしたフィクション、という位置付けをしていた。制作側の都合を優先する印象操作だって可能。質の悪いドキュメンタリーは感情移入させようという魂胆があからさまで、視聴者の同情を誘う構成になっていたりすることもある。自分の好きなものがそんな風に作られて消費されていくことは悲しい、と考えていた。だからドキュメンタリーの映像が商品化すると知ったときに、見たくないという気持ちが私は先行していた。作品が発表されることは嬉しいし商品を購入する喜びもあるが、見たいという気持ちは持っていなかった。この妙なめんどくささ、伝わるだろうか。
実際の映像はRIDE ON TIMEで見たようなインタビューが長尺で収録されていた。彼らの本音に近い話を聞けた。アイドルとしての思い、留学したあの日々をどう感じているのかが知れた。デビューが決まったときの映像も過度に編集されずにその場の雰囲気を感じるほどの距離感で映されていた。
ドキュメンタリー半分、インタビュー半分という構成で留学中の映像はそこまで多くはなかった。肝心の彼らの勇姿についてはあっさりと文字で処理されていた。大人の事情で映せない場面も多いのだろうが、本番に向けての前後の映像が見せ場として映るのかと期待していたので、淡白な編集でまとめられていたことは意外だった。個人的に危惧していた、メンバー同士の衝突だったりアイドルの仕事から離れて過ごす彼らの姿というものはほぼ全く映っていなかった。と思う。考えてみれば、アイドルのドキュメンタリーなのだからネガティブなイメージダウンに繋がる場面なんて存在したとしてもカットされるに決まっている。民放のドキュメンタリーとは違うのだ。ましてや映画でもないので、山場なども過剰に作らなくて良いのかもしれない。辛辣な言葉はあっても、ノンフィクション特有の鋭利な場面はなかった。何よりインタビュー中のビジュアルの良さで負の感情は相殺された。七五三掛龍也の目でっか…とインタビューで顔面が映るたびに思ってしまった。どこのファンデーションを使っているのか教えてくれ。顔が良すぎて話が入ってこないという現象が起きた。
オープニングの方で、WOD本番の前に佇む七五三掛龍也の後ろ姿がかっこよすぎて一時停止してしまった。時間を置いてからまた再生したが、やっぱりかっこよかった。私の好きな七五三掛龍也は間違いなくあのシーンである。あの龍也のアクスタをください。
私の心配は杞憂に終わり綺麗な気持ちでドキュメンタリーと向き合えた。YouTubeでよく見る彼らのラフな様子や、ダンスレッスンのオフショットなどが詰め込まれファンが安心して見届けられる作品だった。前向きな内容に安堵して、Travis Japanというグループは笑顔で終わらせてくれるアイドルなんだなと改めて嬉しくなったのだった。
と思いながらも、1度しか目を通せていない。ポジティブな気持ちで見終わったとはいえ、つらい場面はやはりあったので何度も見るということは私にはまだ出来ない。ほろ酔いで見た曖昧な記憶で感想を書いてしまったが、正直な気持ちを残しておくことにした。自己満足である。
デビューをサプライズで知らされたときの映像も、私は見たくないと思っていた。彼らだけの特別な場面を共有されることに罪悪感があった。でも事務所の方針はそうなんだ、と大人の思惑に渋々納得して構えて見た。どうしようもなく泣いた。松倉海斗の表情はいつも正直で、あの顔を見ていたら泣くに決まってる。今思い出しても潤んでくる。
そして七五三掛龍也の涙する表情の変化にも心がビリビリに破かれたくらい苦しくなった。もちろん嬉しくて泣いていることは理解できても、良かったねだけの感情で済まない。彼がデビューまでの不安な日々を送ったことや悔しい思いをしても辞めずにアイドルを続けてデビューを掴んだことに、胸が熱くなって涙が止まらない。デビューが決まったことについてメンバーが一言ずつコメントするときも、七五三掛龍也は目を真っ赤に腫らして、震える声で一生懸命に言葉を紡いでくれた。好きになった人のこんな姿を見せてもらえるなんて、こんなことがあっていいのだろうか。とてつもなく貴重な経験をしている。私は七五三掛龍也のことがもっと好きになった。存在してくれて今日も生きていてくれることが嬉しい。龍也ありがとう。
この先は7人全員が健やかにアイドルの仕事を楽しんでくれたらいいなと願うばかりだ。心を擦り減らしてまで人気者の地位を得て生きることを美徳とせずに、自分自身を大切に守りながらたくさんの人にトラジャのパフォーマンスの魅力を届けてほしい。世界という広い舞台で活躍することに重心を置くなら尚更、たくさんの縁を手に入れていくために心と体の健康を維持して自信を持ってアイドルを継続してほしい。
疲れたときこそ人に優しく、という言葉に加えて疲れたときは自分自身にも優しくしてほしい。ほどほどに甘やかしてアイドルの仕事とプライベートの時間のバランスを保ってくれたらと思う。どうか焦らずに7人のペースで成長していってほしい。Travis Japanの未来を信じたい。信じる。
時代がトラジャに追いつくまで、私も私のペースで応援していく。微々たる応援力だけれど責任を持ってトラジャ担を楽しみたい。想いは届かなくても七五三掛龍也の幸せを毎日願っている。私の日常、棘のないゆるふわの生活にはアイドル七五三掛龍也が不可欠ということをドキュメンタリーを見て改めて実感した。龍也今日も愛してるよ!
アイドルというフィクション、アイドルとして働く人間のノンフィクション、全部を消費しているファンの無慈悲な残酷さを自覚しつつ、応援することを全力で楽しんでいきたい。どこまでも明るく楽しませてくれるアイドルに感謝。いくつになってもエンターテイメントは最高だと学ばせてくれるアイドルを、どんな場面だろうと受け止めて愛し続けていきたい。これからもずっと。