2020年月記・文月
七月一日。いまいちPCの調子が悪く、さりとて原因が掴めず……という状況が続いていた。CPUもGPUもそろそろ寿命の折り返し地点を過ぎた頃合で、どちらが原因でもおかしくはない。ただ、CPUを載せ代えるとなると恐らくはマザーボードの交換もしなければならない(最新規格とはソケットが合わないので)。そうなるとほぼ確実にOSを入れ直さねばならない。半年ほど前にクリーンインストールしたばかりだと言うのに……
そこでひとまずGPUを換装することにした。選択肢としてはAMDのRX5600かRX5700のいずれかである。調べてみると5600は正しく認識されないことがある模様だ。趣味で改造するわけではないので試行錯誤するゆとりはない。可能な限りすぱっとクリーンに交換を済ませたい。そこで5700を使ったグラボのなかでも一番安価な玄人志向のモデルに決めた。少なくともRADEONのグラボはクーラー程度しか各メーカーの差異はないらしい。ポイントを考えると最も割安だったヨドバシカメラで注文しておく。
七月二日。昨日の今日でグラボが届く。そんなに急がなくていいのに。そもそもすぐにモノが欲しい人ってのは、それを売っている店が近場にない人なのではなかろうか。それはほぼイコール地方民のかただろう。となると、地方に届けるには僕のように首都圏住まいの人間に届けるよりは配達が遅くなるはずだ。だとすると即日配送のメリットはあまり生かせないように思う。速攻で届く首都圏住まいならばちょっと出ればどこで欲しいものが帰るわけだし。
(本州ならどこでも即配可能だったら見当違いの意見だが)
七月三日。PCを使う作業を一通り終えてからグラボを交換する。重たい・暑い・ホコリがすごいの三重苦の中での作業。これまで使っていたグラボも当時としてはかなり大きかったのだけれど、今回のグラボはさらにもう少し大きい。それでも同型機種の中では小さいモデルだと言うのだから驚く。これにマッチするであろう最新のマザーボードはどれだけ大きいのだろう?
交換後、動作確認のためにPCを起動し、ネトゲを軽く動かしてみる。発色はちょっと良くなっているかも知れない。その流れでなんとなくツイッターを開いて、もりしげ先生の訃報に触れた。
去年のある時期まで僕はもりしげ先生とツイッター上でFFだった。いつしか先生はアカウントを消したり再開したりが繰り返されるようになり、僕もそれを追い続けることが出来なくなってしまった。そのため疎遠になってしまったのだけれど……
ご夫婦ともに色々なものを抱えていらしたようで、哀しい想像しか出来ないのが辛いところだ。
七月四日。いまはもう全くプレイしていないデッドオアアライブビーチバレーを起動してみる。おお、綺麗だ。ロードにもたつくのはCPUが原因だろうが、この画質がフルスクリーンで動くのは嬉しい。
VRもそれなりに動くグラボらしいのだけれど、そもそも僕のPCのCPUは三年前の製品である。厳しそうだ。
書店勤務の知人が称賛していた「明日ちゃんのセーラー服」を読み始める。眩しい。眩しすぎて一つのエピソードを読むのに休憩が必要なくらいだ。フェチ味もすごい。中学生のスリップ姿。汗をハンカチで拭う仕草。髪をまとめるときの肘の脂肪のより方。性の匂いが一切しない、純粋なフェチズムだ。眩しい。
登場人物がみな性善説を体現しているような美少女ばかりなのも眩しさの原因だろうか。読み進めるごとに自分の醜さが炙り出されるような気がして辛い。眩しすぎる光は闇を際立たせてしまうのだ。
嗚呼、お母さんがエロい。
七月五日。いしいひさいちの同人誌「ガラクタの世紀」が届く。ネット通販でしか取り扱われていない本だ。
内容は戦争をカリカチュアした社会風刺漫画である。もの凄く噛み砕いて社会風刺をしているのか、それとも凄く単純な風刺なのかまるで分からないのは、偏に作者の技量だろう。いしいひさいちは数少ないインタビューで「自分は技術だけで描いているので深読みはしないでほしい」と語っていた。まさにその技術の結晶だ。
最初は白いページが、読み進めるにつれて徐々に灰色から黒へと変わっていく装丁も見事。
七月八日。調子を悪くしていた電動ガンを修理に出すことにする。ついでに改造もして貰うのだ。いざショップに送る段階で気付いたのだが、向こうの住所が大分県だ。まさにこの週は九州地方が大雨に襲われているではないか。メールでのやりとりでは何も言ってこなかったけれど、大丈夫なのか!?
去年、久しぶりに「新宿鮫」の新刊が出た。
そう言えば大沢在昌の本自体、最近まったく読んでいない。ふとそんなことを思って会社の帰りに図書館に寄る。知り合いでもなく、わざわざ買わなくても売れている作家の本は図書館で済ませてしまうことが多い。
最新刊はなかったけれど、一つ前の作品「絆回廊」が書架に収まっていた。読んだような気もするけれど内容がまったく思い出せない。三十歳を過ぎてから、本当にこういうことが増えた。
どのみち新宿鮫は物語がはっきりと繋がっているので、最新刊をいつか読むにしても「絆回廊」の内容が分からなければ意味がない。とりあえず借りて読むことにした。
面白い。もともとウェットな人間関係とドライな犯罪との対比が際立って優れたシリーズではあるものの、「絆回廊」でもそれが見事に描かれている。 アイデンティティ無きままに犯罪を繰り返す「金石」と、二十二年間の怨念を抱えた樫原、そして樫原を支え続ける笠置。そんな人間関係を総て破壊するクライマックス。まさか新宿鮫を読んで泣いてしまうとは思わなかった。これは僕の感受性の変化の問題かそれとも老化が原因か……
そして最後まで読んでようやく気付いた。「これ、読んでなかったな」と。この失念の原因は間違いなく老化だ。
七月十日。ひとまず原稿を最後まで書き終えた。これから章ごとに提出して担当者にチェックを貰うことになる。これまでとはかなり異なる流れで進行しているので、いささかながら緊張がある。
七月十五日。直木賞と芥川賞の受賞者が発表された。「不夜城」からだいたい読み続けている馳星周の受賞はとても嬉しい。
いっぽう芥川賞を受賞された高山羽根子先生とは、数年前に海猫沢めろん先生のお宅で開かれた忘年会でご挨拶をさせて頂いた記憶がある。そのときは「遊星からの物体X」のボドゲを一緒にプレイしたのだけれど、同じ卓には日本SF大賞を受賞された小川哲先生と、萌えゲーアワードの複数の賞を受賞されたLEGIOん先生も着いていらした。自分という卑小な存在が恥ずかしい。
七月十九日。とある方が、SNS上でとあるエロラノベのレーベルに関して苦言を呈していらした。特に理不尽な言いがかりでもなく、さりとて諸手を挙げて受け容れることが出来るわけでもなく……というような内容である(要するに一個人の意見としては至極当たり前なものだということ)。僕自身にしてみれば全く関係のないレーベルの話だったので、好きに言えばいいとしか思っていなかった。
ただ、当事者であるそのレーベルの作家からすればむしゃくしゃする話だろうし、贔屓の作家を槍玉に挙げられた読者からすれば余計なお世話な話だろう。案の定、ちくりちくりとその苦言をあげつらうような発言をする作家と、それに追従するファンの姿が見られた。
いまの時代、読者はお客様だ。なんであれ金を払って購入してもらった商品に対してのお客様の意見であれば、そこは売主としてなんらかの誠意を見せるのが筋だと僕は思う。もはや「作家先生が書いて下さった小説を読者は読ませて頂く」という時代ではないのだ。真面目に意見を書いている読者をないがしろにするような発言はどうなんだろうなー……などと思ったけど、これもまた好きにすればいい話か。ネット上の発言が「便所の落書き」だった時代はもう終わっている。ネット上でのバトル。大いに結構。
少年サンデーで連載されていたとあるアクション漫画を読む。運転の得意な少年がPMCのような組織でドライバーとして活躍するという内容の漫画である。複数のライターにシナリオを作らせているためか、各エピソードの精度・密度がとても高い。少年漫画のお約束でもあるキャラの使い捨てもないので、登場人物への愛着も湧く。なかなかよく出来ている。これは恐らく編集者たちがバブル期の少年漫画に感じていた不満点を、いまこうして現代の漫画へと反映させているということなのだと思う。文化や娯楽というものはこうやって発展していくのだろう。
この漫画を読んでいて一つ気付いたことがある。主人公はPMCのエージェントとして俸給を受けているわけだが、これが出来高制である。それも、ボスの一言で受給額が決まってしまうのだ。「う~ん、今回は一万円!」とか、ひどいときだと「メシ代だけ」というようなこともある。ひどく軽いノリで給料査定されているわけだけれど、受け取る側である主人公も「ひどいな~」くらいの軽いノリなのだ。エピソードとしても「今回も薄給か~(チャンチャン♪)」という感じでオチが来るパターンが多い。
これはつまり、この漫画で描かれているようなチープな給与査定をギャグとして受け容れる土壌が日本に存在するということだ。もちろん、発表媒体が少年漫画のレーベルなので、読者の大部分は未就労の若者だろう。給料のことなど深くは考えないに違いない。こういうノリを意識の奥底に仕込まれたままで若い読者が大人になり、やがて他人を査定する立場になるのかと思うと、ちょっと暗澹とした気分になる。
正直なところ、このテの給料ギャグは厳しい査定でチープな給料を支払われている立場には辛い。
七月二十五日。「いつか行こうよ」みたいな話がずっとされていた、とあるインドアフィールドへサバゲに行く。瓦工場をほぼ無改造でサバゲフィールドにした……というのが謳い文句のフィールドだ。実際、工場で使われていた大型の機材や、瓦類の載った大きな什器はそのまま放置されている。移動出来るものはサバゲに見合った位置に動かしてバリケードに流用されているけれど、さほど厳密とは言えない。
遮蔽物や障害物に関してほかのフィールドのような細かい計算がされていないためか、場所によってはかなり膠着する。「この場所に陣取られると一歩も先へ進めなくなる」「裏取り不可能」というポイントが幾つもあるのだ。そういう意味ではゲーム性はあまり高くはなかった印象である。同行者はそのあたりが気になっていたようだ。管理上の問題もあるのだろうけれど、もう少し動線が工夫されていればもっと戦略性に富んだフィールドになるのではないかと思った。
逆に「現実の戦闘って案外こんな感じなんだろうな」というリアリズムは存在した。気分は室賀厚「SCORE」である。結局、ゲーム性をとるかディテールをとるかはゲーマー次第なのだろう。もちろん、「工場の中での銃撃戦」というシチュエーションそのものに現実感はあるのかという話にはなるけれど……
サバゲの楽しみ方の一つに、「本日のゲームの様子」という一連の写真を観ながらの感想戦――というものがある。サバゲフィールドでは運営スタッフがカメラマンを兼任していて、ゲームの様子をカメラに収めてくれているのだ。撮られた写真はその日のうちにフィールド側のブログなり共有サイトなりにアップされる。
ところが、今回のゲームの写真がなぜか全くアップされない。機材トラブルなのか、操作ミスなのか、顔出しNGのものすごい有名人が来ていたのか……とにかく、写真が見られないので感想戦が出来ない。正直、これはマイナスである。結局、アップされたのは火曜日になってからだった。「えぇ~!?」という感じだが、どうもこのフィールドはカメラ撮影そのものが忘れられたりもするらしい。千葉(日本におけるサバゲの中心地)では考えられないけれど、地方のフィールドでは案外当たり前なのかも知れない。
七月三十日。担当者から原稿の戻しがある。修正箇所は多いものの、比較的ポジティブな修正。これが展開や設定を変えなければいけないネガティブな修正だと、ぐっと落ち込む。
七月三十一日。「宇宙からの色」の劇場版が公開される……けれど原稿があるので当分観に行けない。順当に行けば八月八日はメリーのライブを観に都内に出るので、そのときついでに鑑賞したいところ。
以下、今月読んだ小説やら漫画やらで面白かったもの。(必ずしも新刊ではないです)
『前科おじさん』……著者の高野政所氏とは一度だけ食事の席を囲んだことがある。そのときの会話で抱いた印象と、本書での語り口調にほとんど差異はない。言い訳をするでもなくユーモラスに語られる留置場暮らしは、花輪和一の刑務所漫画とも似ている。現実に役立つ情報も少なからず散りばめられている。ただ、一番興味のそそられる部分は巧みに隠されていたけれど……
『道産子ギャルはなまらめんこい』……最近、ギャルとナードのラブコメが本当に増えた。北海道が舞台ということもあるだろうけれど、あまりナマナマしいギャル感はない。どちらかというとギャル側の恋愛観が幼い感じすらある。そういう特異性も面白い。ストレスなく読めるラブコメは大事だ。
『アザミの城の魔女』……とてもテンポが早いのに、物語のポイントは伏せられたままというヤキモキ感が強い。だから余計に続きが待ち遠しい。最新刊は重要な過去話や物語設定にまつわるエピソードがあったりして、物語におけるブリッジ的な印象。早く物語の本筋が読みたい。女性キャラがみんなツリ目で意地悪そうなルックスなのが最高。
『ウィアード』……ツイッターにも書いたけれど、古本で購入した三十年前の文庫本。ウィアードテールズ傑作選のような内容。カットナーの「墓地の鼠」だけは読んだことがあった。翻訳はゴリゴリの逐語訳なので、テンポが悪いこと夥しいのだけれど、作品そのものが面白いせいもあってあっと言う間に読み終えてしまった。こういう怪奇幻想短編集をやりたい。さらっと読める短編を書き溜めていつか同人誌で出したいところだ。
来月に続く。
本文は一部敬称略とさせて頂きました。ご了承下さい。