想像力とラジオと長男の話
いとうせいこう『想像ラジオ』
この本は長男が生まれた2014年に出版された本で、長女がまだお腹の中にいた2011年に起こった東日本大震災にまつわる小説です。
今の状況ってよく東日本大震災と比較されるじゃないですか。それで「3月11日に何していた?話」って誰しも1回はしたと思うんですね。「地震があった時さ、わたしは会社にいてさ、そのあとさ…」みたいな話をみんなで語り合う、あれです。
あの地震は歴史的大事件であり、それぞれの人生のとって相当なインパクトがあったから、その当時を語り合いたいのはわかるのですが、大事なのは「あのとき何していたか」ではなく「あのあとどう行動したか?」「あのあとどう生き方を変えたか」について「話し続ける」ことの方だとは思うんですけどね。
さてこの『想像ラジオ』は、想像力という人間の知性とラジオ波という目に見えないテクノロジーがあわさって、生者と死者を結ぶという悲しくもロマンチックなストーリーなんです。
「想像力とラジオ」ってなんか、ロマンチックじゃないですか、届いているか、届いていないかも分からないけれど、ただただマイクに向かって声を発し、想いを発信するDJの熱意とか、目には見えないけど放送をたくさんの人が聴いていると想像しながらひとりでその声を聴くというリスナーという関係が。
ところで、最近6歳の長男がキッズ・ユーチューバーにハマり始めているんですね。こどもがおもちゃをいじって感想やら実感コメントをだらだら喋っているだけの「●●ちゃんねる」的な、あれです。
幼稚園も休みなので、気を抜くとiPadにかぶりついて狂ったようにYOUTUBEを観ているんですが、「いいかげんにしろ、このやろう」と怒ってあげると、ぶつくさ文句を言いながら今度は自分のおもちゃをいじりだして、なにやら実況をはじめるわけです。
「おお、これは難しいですねー」
「できましたー!●●ソルジャーの××モード!」
「さあ、このあとどうなるのでしょう…!」
とかユーチューバーの真似しながら。
しかも長男、おもちゃづくりが得意なようでマニュアルにはない形のロボットを手先の感覚だけでどんどんつくりあげていったり、だいたい1発で組み立てパターンを覚えてしまう変な特技があります。変ではないですね。創造力のほうですね。
試しに、スマホでその様子を撮って動画を見せてあげたら、意外にもご機嫌で、嬉嬉としておもちゃ実況が加速するわけです。今日も今日とて黙々とおもちゃを組み立て、アレンジし、ぶつぶつとなにかを発している長男。
そんな様子をみていると、「誰も聴いてくれないかもしれないけど、僕はこのおもちゃの感動を声にしたいんだ!」という長男の切なる願いがひしひしと伝わり、それはまさにラジオ的ロマンチックさすら感じてしまうのです。これも想像力。
そこで、半分冗談、半分本気で「ケンタロウもユーチューバーになりますか?父ちゃんが撮って、アップしてあげるよ」というと、「わかった、やる!」と二つ返事。
「よし、じゃあ、どれから撮ろうか?」
「それは、できない」
「は?」
「だって、●●ちゃんねるは、箱を空けるところからはじめるんだよ。これ、箱ないじゃん。箱のあるおもちゃじゃないとだめなの」
「え?」
「だから、新しいおもちゃ買って!」
買うか、あほ。