⑦体外受精に切り替えたら、今まで見えなかった道筋が見えた
妊娠を目指してからの3年間。
私の頭の中は常に「赤ちゃんが欲しい」ということでいっぱいでした。
今思えば、今よりずっと若いそして身軽な私達。
もっともっと楽しめばよかったと思えるのですが、
その時はそうもいかず…
妊娠する前から、何でもかんでも我慢して、
夫に何かの修業でもしているの?!とケンカをして目が覚めた私は、
ステップアップをする決意をしました。
そのきっかけとなったことの1つは不妊治療をして赤ちゃんを授かった先輩の言葉でした。
「体外受精に切り替える前は、ゴールがどこにあるかもわからず、やみくもにボールを追いかけていたけど、体外受精に切り替えたらとりあえずゴールと、その道筋は見えるようになった。」
と。
確かにこの時点での私の状況は、
月に一度、「妊娠しているか」「していないか」の判断が下るのを待つだけそして、常に「神頼み」でしかありませんでした。
「命」を授かるという奇跡にちかい出来事で、手術を終えたばかりの私にとっては、ゴールの確率はすごく低いのに、できないとすごく落ち込むという、なんとも理不尽なことを自分に強いていた気がします。
先輩は、
体外受精だと、まずは採卵を頑張る→血液検査の結果がよいものであるように頑張る→胚盤胞まで育つ受精卵を持てるように頑張る→着床するように頑張る・・・と段階を経て、その節目節目で一応ゴールはあるので、やみくもに頑張っている時よりも気持ちは楽だった。
と振り返って教えてくれました。
その話は、卵巣膿腫の手術より前に聞いていた話なのですが、
夫とのケンカの後にふいに思い出したのでした。
よし!ステップアップをしようと、
スイッチが入った私は、体外受精についての「検索魔」になり、
沖縄在住だったので、それはもう、
沖縄から、近場では九州、関西、実家のある東京と調べに調べしらべまくるのでした。
体外受精に踏み切ることは、金銭的にも、決して喜ばしいことではありませんが、
この間コラムにも書きましたが、
神頼みしかない妊活の時期の「新しいチャレンジ」は、
やはり少し一歩前に進んだような、赤ちゃんに少し近づいたような、
少しだけ気持ちが明るくなるもので、
実際夫との関係もやみくもに頑張っていた時よりもよくなった気がします。
(それまでも悪かったわけではなく…私が子供が欲しい!ということに縛られすぎていたんですが・・・)
そして、そして、毎日…毎日、調べまくった結果
病院は、東京の新宿にある加藤レディースクリニックに決め、
「初診」の予約を取ったのでした。
ここからは、沖縄から東京へ通う「遠方不妊治療」に入ります。
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28歳 結婚を機に東京から沖縄へ
30歳 妊活スタート
初めてのクリニック
基本検査
タイミング 4カ月
人工授精 3ヶ月
身体中に蕁麻疹
大きい病院でMRI検査
両側に卵巣膿腫が見つかる
31歳 東京の病院で開腹手術
沖縄に戻り経過観察
無事生理再開
排卵を確認
病院に通わず妊活を再スタート
32歳 約1年排卵日チェッカーでの妊活をするもできず
体外受精に踏み切る決断をする
加藤レディースクリニックの門をたたく
(リアルタイムではないですが)今ココ
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