㉗「子供はできないんだよ」と口にした・・・それが奇跡の始まりでした。
苦しくて長かった「不妊治療」が終わりました。
2人も授かることが出来て、クリニックにも、協力してくれた夫や、母にも感謝しているし、とにかく授かることが出来てよかったと思うけど、
『もしすんなり授かっていたら…』と思うと、
「経験したこと」
は
「経験できてよかった。」
とはやはり思えず…
「できるなら経験したくなかったこと」
であることは間違いないです。
メンタル超強くなったけど・・・
夫婦の絆も深まったけど・・・
子供達も「より」可愛いく感じるけど、
でもやっぱりすんなり授かれるならそっちを選びたいし、
不妊治療をしていたことで失ったことも沢山ある。金銭的にも…。
(だからこそ、今こうしてブログに残したい気持ちもある)
何事も意味があると言われたとしても、
そう解釈するには、厳しすぎる・・・とてもデリケートで、根幹の部分のしんどさを味わった経験だったと、全てを終えて感じています。
大げさだけど、犠牲にしてしまったものも多かった気がします。
(だけど、そのおかげで、2人の子供を授かることができたので、後悔は1ミリもしていないし、本当に頑張ったし、とにかく、あの頃の私達(私と夫)を労ってあげたいです。)
けど、これからは、今まで愚痴ひとつ言うことなく、一緒に歩んでくれた夫と、授かることのできた子供二人と、全てのことに感謝して、生きて行こう!新規一転、前を進んで歩いて行こう!心では思ってはいても、気が付くと、なんかぼーーと考えてしまっていました。
ここ10年、私は子供を作ることが全てになってしまっていたので、目標を失ってしまったのか、一つ前のブログに書いたような抜け殻症候群なのか・・・
2人の子育てで、日々目まぐるしく、ずっと落ち込んでいるってほどではなかったけど、やっぱりもう一度赤ちゃん抱っこしたかったな・・・と涙がポロポロと出てきてしまう・・・
そんな日を毎日過ごしていました。
前に、この記事で書きましたが、
”妊娠を意識しなくなったとたん出来た”
という話をよく聞きます。
でも、そんなの1000%無理。
不妊治療をしている間は常に、頭の片隅にそのことはあって。
忘れることはできないし、どうしたって期待してしまうし、もういいかなーと思っても、もし生理が遅れたら、もしかしたら?と思ってしまっていました。
でも、上記のような話を踏まえて・・・
最後の最後で私達に起こった奇跡の話を聞いてください。
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もうすぐ、陰性の結果が出て1カ月という頃…
子供たちが寝静まって、相変わらず抜け殻のようになっている私を心配して、夫と、お布団で色々と話をしていました。
夫が、夫の名前をももじって(自分の名前に郎を付ける感じで)
『〇〇郎を作ろう!』と言いました。
考えてみれば、授乳中は「おっぱい」は子供のものだったし、やっと卒乳した途端、移植周期前だったので、しばらーーーく私がその気になれず、
「仲良し」もしていなかったのですが…
珍しくなんかそんな流れになり、
もう一度夫が、確かめるように、
『〇〇郎を作るぞ』
と言いました。
それで、私は、10000000000%嘘のない、
正直な気持ちで、
『もういい加減、私達には自然には子供ができないって、認めた方がいいよ』
と夫に言いました。
はっきりと。
しかも「仲良し」の最中に・・・(ムードも何もない…)
その時夫が何て返事したかうろ覚えなのですが・・・
確か「そんなこというなよ・・・」と言ったかな。
そして。私のこのブログのタイトルにあるので、想像はつくと思うのですが、奇跡が起きました。
奇跡ってあるんだな…
神様ってやっぱりいるのかな…
私が気持ちをさらけ出したから?
夫の気持ちが願いを叶えたの?
ちょっと長くなってしまうので、
その奇跡と、
もう一つの奇跡エピソードの話を次のブログで書きます。
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